2023/1/3
立花孝志物語 14 長期計画のつづきです。
2008年1月27日投開票の大阪府知事選挙で弁護士の橋下徹が当選した。孝志は橋下を支持し、応援した。
2008年4月上旬、孝志はテレビに出演した。
日本テレビ系列で放送されていたズームインスーパーの街頭インタビューに答えて、それがオンエアされたのだ。
テーマは翌年5月から施行されることが決まっていた「裁判員制度について」であった。孝志は三浦和義氏の話題を中心に真面目に15分程度熱く語った。
しかし、オンエアされたのは、「阪神金本選手の連続試合出場が途切れたらどうする」と発言した部分のみだった。
孝志は裁判員制度に賛成であったが、孝志が裁判員制度に反対しているかのように取れる編集だった。テレビ局の意向に沿う発言だけが切り取られたのだ。
テレビの影響力は絶大であるので、こういう編集方法に孝志は疑問を感じた。
2007年3月NHK経営破綻説を外した孝志は、次にNHKが経営危機に陥るのは2011年だと予想した。
2011年、地上デジタル完全移行の際に一部スクランブルを導入する事が出来ればNHKを解体できる。
そのように孝志は考えていた。
孝志は2ちゃんねるで情報発信を始めてから、孝志に対して批判的な人間に対しても誠実に対応してきた。2年ほどその方針で対応してきた結果、孝志は次のように書き残している。
「私は2年以上この掲示板で書き込みをしています。その経験でわかったことは、私を理解してくれる人は理解してくれるし、私を理解しない、あるいは理解しようとしない人は、いくら説明しても理解してくれない事がわかりました。
そして理解しない人に理解してもらう努力をしても何の得にもならない事を知りました。
確かに人間には、自分の行動を他人に理解してもらいたいと願う本能があります。
しかし、その他人に理解して貰いたいという願望を捨てた時に真実が見えてくると思います」
2008年8月30日、大阪高等裁判所は孝志の請求を棄却した。
孝志が裁判所に期待していた「NHKが国会で虚偽答弁しているか否か」の判断も裁判所はしなかった。
裁判官がNHKに有利な判決をする前提で考えていることを孝志は理解した。
それでも孝志は諦めなかった。2023年現在、孝志はNHKとの裁判を続けている。
2008年、パチンコの年間利益は1400万円だった。
バイト13人を雇い毎日2店舗に分かれて稼動した。
「世間は不景気のようですがチーム立花は好景気です」
孝志は2008年の年末、このように書き込みしている。
2008年12月、孝志は妻と正式に離婚した。
協議離婚で慰謝料700万円養育費25万円であった。
離婚の直接のキッカケは孝志の浮気であったが、性格の不一致により教育方針で意見がぶつかることもあった。
妻は本棚に1巻から順番に並べなければ気が済まない性格であったが、孝志は一切気にしなかった。妻は娘の部屋が不衛生であると苦情を言ったが、孝志は本人の好きにさせろ、と言った。
離婚後も孝志と妻子との関係は良好に続いた。
NHKと闘い、自由でありたい孝志の性格を考えて妻は離婚という形態を選んだのだろう、と孝志は理解した。
NHKが視聴者を相手に起こした裁判の判決が2009年7月末に出た。
視聴者側全面敗訴であった。
被告の2人は共に控訴する意志を表明した。
2009年8月に行われた総選挙の選挙期間中、孝志は大阪16区民主党森山浩行候補の選挙応援をしていた。
2009年9月6日、京都JR丹波口駅近くの光徳公園で行われたNHKに対する抗議デモに孝志は参加した。
そこで保守系の活動家たちとの交流を持った。その中に後にNHKから国民を守る党川西市議会議員となる中曽ちづ子がいた。彼女は黄色い着物を着て日の丸を抱えて登場し、「NO MORE SILKROAD、NHKは国民に謝罪しろ、NHKは受信料を返せ!」とシュプレヒコールを上げていた。

2009年9月10日孝志は次のように書き込んだ。
「○○アナがまだ和歌山局に居た時に、○○アナがお付き合いしていた女性と肉体関係がありました。
その事を2チャンネルに書き込んだらすぐに○○アナが白髪になったから、2チャンネルの書き込みが原因なのかな?っと思ってます」
2009年9月19日、孝志は渋谷駅前で演説を行った。
テーマはもちろんNHK解体であった。
2009年の末頃、孝志は民主党の議員と情報交換をしていた。
この頃、孝志は司法の場でNHKと闘うことに限界を感じていた。各地で視聴者が裁判で負けていた。
11月20日、孝志は民主党衆議院議員と参議院議員に訴状・答弁書・判決文のコピーを提供したことを2ちゃんねる上で明かしている。
12月、民主党新人議員と3時間新幹線で意見交換をした。彼らは「民主党もNHKを怖がっている感じがする」と言った。
世論を喚起しなければNHKは解体できないと孝志は考えた。
2009年12月7日、孝志はTwitterをはじめた。
最初のツイートは「いまどうしてる?」だった。
2010年11月4日、sengoku38というアカウント名から尖閣諸島中国漁船衝突映像がYouTubeに投稿された。
2011年3月19日から孝志は家族旅行をかねて子どもたちと沖縄に避難していた。
福島第一原子力発電所3号機の事故に関して政府やマスコミから正しい情報が発信されていないと考え、念には念を入れての避難だった。
当時は孝志の行動を理解できない者も少なくなかったが、福島第一原子力発電所はメルトダウンを起こしていた。
3月の時点で、テレビや新聞の記者たちはメルトダウンしていると知っていた。しかしその情報は一般の国民には伝わらなかった。
2011年4月23日、最高裁が堀江貴文の上告を棄却したため、懲役2年6か月の実刑判決が確定した。
2011年5月31日、受信料支払の督促を受けて異議申し立てをし、裁判になっていた案件の最高裁判決が出た。
報道によると「2件の訴訟の上告審で、最高裁第3小法廷(田原睦夫裁判長)は男性側の上告をいずれも棄却する決定を出した。決定は5月31日付で、東京都内の2人に計約19万3700円、札幌市内の男性に約17万7000円の支払いを命じた2審判決(10年6月と同11月)が確定した。NHKが起こした同種訴訟で最高裁まで争われて確定するのは初めて」とのことだった。
孝志は敗訴した視聴者と関係を継続した。
2011年7月30日、孝志は元海上保安官一色正春に会った。Sengoku38の名でYouTubeに尖閣諸島中国漁船衝突映像を流出させた人物である。
孝志と一色は同じ1967年生まれであった。
後年孝志は「一色正春さんは立花孝志が尊敬する人物であり、数少ない友人です」と書いている。
2011年夏、孝志の祖父母が亡くなり、孝志が立花家の家督を受け継ぐこととなった。
「心境の変化が2ちゃんねるに記録されていき、それを通じて子々孫々に自分の生きざまを見てもらえるのは嬉しい限りである。自分の祖先の生きざまを子々孫々に伝えていかなければいけないという責任感が沸いている」と孝志は2ちゃんねるに書き残している。
2011年8月24日、孝志は内部告発した当時の直属の上司であったN.Sに渋谷のマルハンで遭遇した。孝志の隣の隣の銭形平次3166番台にNはいた。Nが無邪気な顔でパソコンを打っている姿を見て孝志は安心した。さすがに声をかけるのはまずいと思い挨拶は控えた。
2011年9月22日、孝志がインタビューを受けた内容が記載された書籍が発売となった。著者は経済評論家の三橋貴明。タイトルは「大マスコミ 疑惑の報道」だった。
孝志は、この本をプレゼントすることを2ちゃんねるに書き込んだ。
この呼び掛けに応じて孝志にメールをして、その本をプレゼントされた女性がいた。
彼女は、後にNHKから国民を守る党の公認を得て三重県選挙区から出馬し、オモシロ政見放送でホリエモンこと堀江貴文にすら認知された門田節代だった。
2011年に地上デジタル放送が開始されるまではパチンコをしながらゆっくりしていた、と立花さんは語っていますが、その言葉通り、このころは1年1イベントくらいのスピードで時間が経過しています。
でも、2ちゃんねるの書き込み、NHKとの裁判、民主党議員との共闘も継続していますし、京都での抗議デモに参加したり、渋谷での街頭演説を行ったりと、NHKとの闘いをやめることなく継続していたことが分かります。
YouTubeに動画を投稿して話題となったSengoku38こと一色正春さんとの出会いは立花さんの人生を変えたのではないでしょうか。
YouTubeの存在を知って三日三晩興奮して眠れなかったと、立花さんはほうぼうで繰り返し発言しています。
本文の「白髪」の項で、僕はアナウンサーの名前を伏せましたが、2ちゃんねるで立花さんは実名をあげて書いています。
国会議員に当選後も実名をあげてインタビューに応じていますので、興味がある人は読んでみてください。
https://tocana.jp/2019/08/post_110216_entry.html
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モリヤマ ヒデキ/歳/男
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