2017年10月22日に投開票が行われる第48回衆議院議員選挙において、自民党福岡県第8区選挙区の公認内定候補者となっている麻生太郎氏の経歴を見てみましょう。
麻生太郎氏は1940年9月20日、福岡県飯塚市生まれで現在77歳です。大久保利通を先祖に持ち、祖父は元首相の吉田茂氏、実妹は寛仁親王妃信子殿下という家系。
麻生塾小学校、学習院初等科から中等部・高等部を経て学習院大学に進学。学習院大学政治経済学部を卒業後、スタンフォード大学に留学。帰国後1966年に、麻生産業に入社します。1973年には麻生セメントの社長に就任。1976年のモントリオールオリンピックでは、クレー射撃の日本代表選手として出場しました。
麻生氏は1979年、第35回衆議院議員総選挙に旧福岡2区から出馬し初当選します。自民党青年局局長を経て、3期目の第37回衆議院議員総選挙では落選。その後の第38回衆議院議員総選挙ではトップ当選を果たします。自民党外交部会長、自民党副幹事長などの要職を歴任し、1996年の第2次橋本内閣では経済企画庁長官に就任。初入閣を果たします。
2001年には経済財政政策担当大臣に就任。同年の小泉内閣では自民党政務調査会長に、2003年には総務大臣に就任します。2003年の第43回衆議院議員総選挙では、得票数132,646票を得て当選。2005年には外務大臣に就任します。2005年の第44回衆議院議員総選挙では、得票数145,229票を得て当選。2006年の自民党総裁選では、安倍晋三氏に敗れています。
安倍内閣では外務大臣に就任。2007年には自民党幹事長に就任するも、安倍総理の退陣に伴い出馬した総裁選で敗退。幹事長の職を退きます。2008年に自民党幹事長に再任。福田総理の退陣に伴い、総裁選に4度目の出馬をし、自民党総裁に就任します。第92代内閣総理大臣に就任。2009年の第45回衆議院議員総選挙では、得票数165,327票を得て当選。しかし、自民党の惨敗の責任を取り退陣を表明。政権を民主党に明け渡しました。
2012年の衆議院議員総選挙で、自民党は政権を奪回。麻生氏も第46回衆議院議員総選挙において、得票数146,712票を得て当選します。第2次安倍内閣では、副総理兼財務大臣兼金融担当大臣に就任。2014年の第47回衆議院議員総選挙では、得票数126,684票を得て12期目の当選を果たしました。
現在も安倍政権において、副総理兼財務大臣兼金融担当大臣に就いています。
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