2017年10月22日に投開票が行われる第48回衆議院議員選挙において、立憲民主党埼玉県第5区選挙区の公認内定候補者となっている枝野幸男氏の経歴を見てみましょう。
枝野幸男氏は1964年05月31日、栃木県宇都宮市の生まれで現在53歳です。宇都宮市立峰小学校、宇都宮市立陽東中学校、栃木県立宇都宮高等学校を卒業後、東北大学法学部に進学。1988年東北大学卒業後、24歳で司法試験に合格。弁護士として登録します。
また中学・高校時代には合唱部に所属。中学時代に2年連続でNHK全国学校音楽コンクールにおいて全国優勝するといった一面もあります。
1993年日本新党の候補者公募に合格した枝野氏は、公募による候補者として第40回衆議院議員選挙において、旧埼玉5区選挙区から日本新党公認候補として出馬し初当選します。1994年の村山内閣発足を期に、新党さきがけに合流し政策調査会副会長に就任。1996年には旧民主党結成に加わります。
1996年の第41回衆議院議員選挙では、小選挙区で敗退。比例北関東ブロックから比例復活で再選を果たしました。旧民主党政調会長、政策調査会筆頭副会長を経て、2000年の第42回衆議院議員選挙でも3選。2003年の第43回衆議院議員選挙では、得票数95,626票を得て4選を果たします。
さらに、2005年の第44回衆議院議員選挙では得票数103,014票を、2009年の第45回衆議院議員選挙では得票数130,920票を得て、それぞれ当選しています。
2009年に、政権は自由民主党から民主党(当時)に交代。鳩山内閣で枝野氏は、行政刷新会議の事業仕分けチームの統括役に就任。行政刷新担当大臣も務めます。2010年菅内閣発足後は、民主党幹事長に就任。改造内閣後退任となるも、幹事長代理に就任しました。2011年の内閣改造により、内閣官房長官に就任。後に行政刷新担当大臣を兼務します。
2011年の東日本大震災時の福島第一原子力発電所事故では、スポークスマンとして対応に追われました。2011年の野田内閣発足に伴い、内閣官房長官を退任。後に経済産業大臣に就任します。2012年の第46回衆議院議員選挙では、得票数93,585票を得て7選。2014年には民主党幹事長に就任します。2014年の第47回衆議院議員選挙では、得票数90,030票を得て8選を果たしました。
現在は立憲民主党を発足し、自ら代表を務めています。
枝野氏は、HPによれば、キャッチコピーとして「許さない!!利権・バラマキ・先送り」を掲げ、具体的には、
・1996年 薬害エイズ問題を解決
・1998年 金融国会で金融再生法成立
・2002年 民主党政策調査会長
・2003年 政策会長としてマニフェストを作成
・2004年 民主党憲法調査会長
を実績としてあげています。
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