2017年10月22日に投開票が行われる第48回衆議院議員選挙において、宮城県第5区から出馬予定の安住淳氏の経歴を見てみましょう。
安住淳氏は1962年1月17日宮城県石巻市(旧牡鹿町)の生まれで現在55歳です。宮城県立石巻高校、早稲田大学社会科学部を卒業し、1985年に日本放送協会(NHK)に入社し秋田支局に配属、後に東京報道局の政治部記者として総理官邸、自民党、文部省、自治省政治改革などを担当しました。
1993年のNHKを退職し、同年の第40回衆議院総選挙に日本新党・新党さきがけの推薦を受けて無所属で出馬したものの落選。1996年に旧民主党結党に参加し、第41回衆議院総選挙に立候補、初当選を果たしました。その後、7回連続で当選しています。
これまで内閣において防衛副大臣、財務大臣、政府税制調査会会長を歴任。また衆議院では沖縄北方問題に関する特別委員会委員長、安全保障委員長、国家基本政策委員会、財務金融委員会理事、沖縄北方問題に関する特別委員会委員長、国家基本委員会理事などを務めました。また民主党の選対委員長、副幹事長、企画・広報委員長代理、代表代行などを歴任しました。
第48回衆議院議員選挙には無所属で出馬予定です。
安住氏はホームページにおいて政治に対する理念などを
政治活動で大切にしていることは?
対話の継続です。私は地元で、定期的に”お茶のみ集会”を開催していて、この20年で2000回を超えました。有権者との対話こそが、私の政治の原点です。これからの日本の政治はどうなる?
やはり野党を再建して、自民党との二大政党を確立することです。一党支配の政治は腐敗を生み絶対にダメ。政権は交代交代やる方が良いと思います。また、被災した故郷に対する地元議員としての思いも綴っています。
ふるさと復興
私は牡鹿半島で生まれ育ちました。
あの大震災・大津波以来、私の故郷は多くの命とかけがえのないものを失いました。
石巻も女川も東松島も大きな被害を受けました。
時に絶望し、時にあきらめを感じ、時に天を恨みました。
しかし故郷は今、みなさんのたゆまぬ努力で再び立ち上がろうとしています。
私はこの地元選出議員として、命をかけて故郷復興をやり遂げる覚悟です。
言葉ではなく行動でそれをお示しするのが私の使命です。
私はここで生まれ、ここで育ち、いずれここで土に帰ります。
この故郷をあの大震災の前よりも、素晴らしい故郷に再生させるために全力投球です。みなさんの先頭に立って、復興をやり遂げる事をお誓いしてあいさつといたします。
と紹介しています。
この記事をシェアする
選挙ドットコムの最新記事をお届けします
My選挙
あなたの選挙区はどこですか? 会員登録をしてもっと楽しく、便利に。
話題のキーワード