2017年10月22日に投開票が行われる第48回衆議院議員選挙において、岩手県第3区選挙区から立候補予定とされている小沢一郎氏の経歴を見てみましょう。
小沢一郎氏は1942年5月24日、東京都台東区生まれで現在75歳です。水沢市立水沢小学校、水沢市立常盤中学校から東京の文京区立第六中学校、東京都立小石川高等学校を卒業後、慶応大学に進学します。1967年慶応大学経済学部を卒業後、弁護士を目指し日本大学大学院法学研究科に進学。父の急死に伴い政治の世界へ足を踏み入れます。
1969年に第32回衆議院議員選挙において旧岩手2区選挙区から自由民主党公認で出馬し、得票数71,520票を得て27歳で初当選します。この総選挙の党幹事長が田中角栄氏であり、田中派に所属することとなります。
文教委員会常任委員を経て、1972年の第33回衆議院議員総選挙では、得票数60,675票を得て再選します。科学技術政務次官を務めた後、1976年の第34回衆議院議員総選挙では、得票数71,449票を得て3回目の当選。建設政務次官、建設委員会理事、自民党政調科学技術部会長、自民党岩手県連合会会長の要職を歴任後、1979年の第35回衆議院議員総選挙では、得票数70,183票を得て4回目の当選を果たします。
1980年の第36回衆議院議員総選挙では、得票数72,838票を得て5回目の当選。自民党政務調査会副会長を務めた後、1982年には自民党総務局長に就任します。1983年の第37回衆議院議員総選挙では、得票数63,212票を得て6回目の当選。議院運営委員長を経て、1985年に第2次中曽根改造内閣において、自治大臣兼国家公安委員会委員長として初入閣を果たしました。
1985年に創政会を結成。1987年には経世会として独立します。1986年の第38回衆議院議員総選挙では、得票数95,208票を得て7回目の当選。1987年の竹下内閣では、内閣官房副長官に就任します。1989年には47歳で自民党幹事長に就任。1990年の第39回衆議院議員総選挙では、得票数89,449票を得て8回目の当選を果たします。その後、自民党幹事長を3期務めた後、1993年には新生党を結成。1994年には新生党代表幹事に就任します。
1993年の第40回衆議院議員総選挙では岩手県第2区選挙区から新生党公認候補として出馬し、得票数142,451票を得て9回目の当選。新進党幹事長・党首の要職を歴任し、1996年の第41回衆議院議員総選挙では岩手県第4区選挙区から新進党公認候補として出馬し、得票数125,619票を得て10回目の当選をします。1998年には自由党を結成。自由党党首に就任します。2000年の第42回衆議院議員総選挙では自由党公認候補として出馬し、得票数119,099票を得て11回目の当選。
2003年には自由党が民主党に合流。2003年の第43回衆議院議員総選挙では民主党公認候補として出馬し、得票数128,458票を得て12回目の当選を果たします。民主党代表代行、民主党副代表員の要職を歴任し、2005年には第44回衆議院議員総選挙において、得票数124,578票を得て13回目の当選。2006年には第6代の民主党代表に選出されました。その後、党代表を3期務めます。
2009年の第45回衆議院議員総選挙では、得票数133,978票を得て14回目の当選。2009年には西松建設疑惑問題で民主党代表を辞任するも、同年に幹事長に就任。その後、陸山会事件をきっかけに党員資格停止処分が決定。2012年には民主党に離党届を提出しました。同年には国民の生活が第一を結党。党代表に就任します。2012年の第46回衆議院議員総選挙では日本未来の党公認候補として出馬し、得票数78,057票を得て15回目の当選。
2012年には国民の生活が第一を解党。2013年には生活の党代表に就任します。2014年の第47回衆議院議員総選挙では生活の党公認候補として出馬し、得票数75,293票を得て16回目の当選。党名を「生活の党と山本太郎となかまたち」に改めました。2016年には党名を自由党に変更。自由党代表に就任します。現在は党代表のほか、党選挙対策委員長、国家基本政策委員会の要職に就いています。なお、今回の衆議院議員選挙では無所属で出馬する予定です。
小沢氏は、HPによれば、政策のキャッチコピーに「生活を守る」を掲げ、具体的な政策としては、
・国民生活を立て直す
・原発ゼロで経済成長を実現する
・安心・安全を実感できる社会を確立する
・全員参加型社会を構築する
・地域が主役の社会へ転換する
・自立と共生の外交を展開する
を揚げています。
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