基本的に一定年齢に到達しており、何らかの刑罰を受けて公民権が停止されていなければ、全ての日本国民は参政権を有します。もちろん障害者もそうでない人と同様です。ただし、障害を有している場合、参政権を適切に行使するために何らかの適切な支援が必要になることがあります。
例えば、候補者の情報を知りたいとき、聴覚障害者は演説のような音声による情報を得ることが困難であり、視覚障害者は文字による情報を得ることが困難です。このため手話によって音声情報を視覚的な情報に変換したり、逆に文字情報を音声情報に変換したりするなどの支援が必要になります。しかし、このような障害者が適切に参政権を行使するための施策は昔から実施されていたわけではありません。今回は障害者の参政権に一石を投じた事件を紹介します。
この事件は1986年の衆議院と参議院のダブル選挙の時に起きました。この時の参議院選の東京都選挙区に雑民党というミニ政党に所属していた渡辺完一という人が立候補しました。この人は言葉を話すことができず、手話でコミュニケーションを取るろう者であり、ろう者が国政選挙に立候補したのはおそらく初のことでした。
参議院選に立候補するに当たり、この言葉を話すことができず、手話でしかコミュニケーションを取れないという障害が特に大きな問題になったのは政見放送でした。当時、参議院の比例区以外の政見放送では候補者本人以外が出演することを禁止していました。このため、政見放送のルールを厳格にあてはめた場合、手話をしている姿しか放映することができず、手話が理解できないほぼ全ての視聴者は候補者が何を伝えたいのか全く分からない状態になります。
このため渡辺完一は政見放送に字幕か手話通訳をつけてほしいと自治省や放送局などに内容証明郵便で申し込みました。しかし、これに対する返事が無く、収録の際に再度要求したものの、自治省や放送局は政見放送の規程になく、一人だけ特別扱いはできないと要求を拒否しました。なお、この拒否に関しては渡辺完一本人だけではなく、他の政党に所属する障害を有する複数の候補者も自治省に抗議する事態に発展しています。
このように抗議が複数あったものの、政見放送に字幕か手話通訳を付与してほしいという要求は通らず、テレビの政見放送では手話をしている映像のみが放映され、ラジオに至ってはときたま候補者の唸り声が流れるだけのほぼ完全に無音という衝撃的な内容になりました(なお、ラジオに関しては放送局側の判断で「手話通訳者を介することなく、手話による政見をそのまま放送しました」というお知らせを入れています)。
この「無言の政見放送」事件は社会に強烈なインパクトを与え、放映直後に数十件の抗議が自治省等に届きました。そして、様々な議論を呼び、翌年の1987年に候補者が声を発することができない障害を有している場合、原稿を提出すれば政見放送はアナウンサーが代読するという形に改められたのです(なお、この代読が行われた事例は現在のところ1回もありません)。
(ちなみに渡辺完一が所属していた雑民党は以前、『原則「編集厳禁」の政見放送。差別用語に他人への侮辱…どこまでが許されるのか? 』で紹介した東郷健が党首を務める政党であり、政見放送の歴史的な事件に東郷健は2回も関わっていたと言えます)
さらにこの事件は以前よりあった障害者の参政権についての議論を活発化させました。特に政見放送の前身である立会演説会には公費負担で手話通訳士が配置できたのに対し、政見放送では手話通訳士が配置できないという点は聴覚障害者にとって大きな問題になっていました。これに対し、自治省はテレビ画面では抽象的な言葉が手話ではうまく表現できないとしたことや字幕は字数制限があること、手話通訳士の不足などの問題を挙げていましたが、ようやく1995年に参議院選の比例区で政見放送の手話通訳が初めて認められました。
ただ、衆議院選の比例区は2008年からとかなり遅く、また衆議院選の小選挙区は持ち込んだ映像に手話を付与することはできるもののスタジオ撮影の場合はできず、参議院選の選挙区に至っては現在でも手話を付与することはできない状態になっています(これは手話通訳士が不足しており、全国一斉に行われる国政選挙では手話通訳士を確保できないという事情があります)。
また、中途失聴者などの手話を理解することのできない人に対しては字幕を付与することが望ましいですが、字幕の付与は衆議院選の小選挙区で映像を持ち込んだ場合と参議院の比例区以外は機材などの様々な事情からできず、まだ課題は多いといえます
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