2023/1/10
立花孝志物語 21 NHK集金人の訪問を止めるのつづきです。
2021/01/18
区議二瓶親子を脅迫した脅迫罪、NHKから個人情報を入手したという不正競争防止法違反、そしてNHKの業務を妨害したという威力業務妨害罪についていずれも孝志は無罪を主張した。
そして、罪状認否として以下の文章を公開した。
「私はいずれの罪についても無罪です
二瓶文徳氏に対する脅迫は、そもそも母親は無関係です。
また身体や自由に対して危害を加えるつもりもありませんでした
唯一、二瓶文徳氏と文隆氏の裏切り行為をYouTubeを通じて明らかにし、政治責任を問うていくことを表明しただけで、正当業務行為であると考えます
不正競争防止法については、私は不正の利益を得たり、NHKに損害を与える目的で受信者情報を得たわけではありません。
また政治活動として行ったものであり、これも正当業務行為であると考えます
威力業務妨害罪については、政治家として必要かつ合理的なパフォーマンスをしただけであって、「威力」も行っていないですし、「業務を妨害」もしていません
また、これも正当業務行為にあたると考えます」
2021/01/25
ひと月と経たずに党名変更した。略称は「NHK」から「NHK党」になった。
2021/02/17
この裁判では「相殺」について争われ、それが認められなかった点を孝志は「不当判決」と評価した。会見に参加した記者からは「NHK受信料の支払は義務か否かが争点になると考えていた」という質問が出た。
孝志は次のように説明した。
「NHKの受信料は裁判になってから支払えばよい。利息を請求されることはないので、遅れて払った方が得であること。さらにNHKから受信料について裁判に掛けられる可能性は0.3%くらいである」
現在は、裁判に負けた場合でもNHKに相談をすれば対応している。
2021/03/02
2021年3月16日号のFALSHをきっかけに幹事長の上杉隆がNHK党を去ることとなった。
2021年3月25日
日本の選挙制度、特に衆議院議員選挙、参議院議員選挙の国政選挙は一般の政治団体と国政政党の扱いが異なる。政見放送、政党助成金など衆参の違いはあるが国政政党のほうが有利な条件となっている。そこで、掲げる政策や理念が異なり別の組織を有している政治団体が国政政党NHK党のプラットフォームを活用して、国政政党と同じ条件で国政選挙に挑戦できるシステム「諸派党構想」を孝志は考えだし、堀江政経塾で披露した。
2021/03/29
2021/04/05
2021/04/06
2012年から2014年の2年間、フジ・メディア・ホールディングス(フジHD)が外資規制違反をしていたことが報じられた。
この違反があった場合、総務大臣は報道機関の免許を取消さないといけない、という相当重い法律がある。
一般の企業の場合、外資が20%あるいは50%入ろうが問題はない。
しかし、テレビ局に関しては特別な制限がある。なぜか。「テレビは核兵器に勝る武器」であり「国民を洗脳する装置」だからだと孝志は解説する。
「フジテレビというのは明らかに韓国の放送局なんです」と孝志は明言する。
電通の実質的支配者であったN.YとフジテレビのトップH.Hは連携していた。
N.Yは両親は日本人だが、韓国で生まれ育ち、韓国の国民栄誉賞のようなものを受賞している人物である。
孝志が仕えた元NHK会長の海老沢は電通N.YやフジのH.Hのことが大嫌いだった。一方、海老沢は読売新聞の渡辺恒雄のことは大好きだった。
かつて、NHKと読売新聞は日本を守ろうとする勢力であり、電通とフジテレビは日本を弱体化していこうとする勢力であった。
この2つの勢力がかつては闘っていた。NHKには受信料収入で潤沢な資金があったことから電通と闘うことが出来た。電通やフジにとってはNHKがうっとうしかった。
週刊文春も電通、フジテレビの仲間である。
2004年から始まった週刊文春の批判記事によって海老沢は失脚した。その後、技術畑出身の橋本が会長になったかが、彼もインサイダー取引事件の責任を取って辞任した。
その後、NHKの会長になったのは民間企業出身の人物である。
NHKの会長は大学の教授など公共性の高い人物がふさわしく、競争のある企業のトップがなるのはふさわしくない。民間企業の経営者がNHKの会長になるようになったのは、電通の影響力が巨大になったからだ。
今や電通が完全にNHKを掌握している。スクランブル放送を行わないのもそこに原因がある。NHKのお金を民放に回していく、という構造が出来上がっているから民放もNHKを批判する報道をしない。
日本のテレビ局は既に外国勢力、特に韓国によって支配されている可能性が非常に高い可能性があると孝志は指摘する。
テレビは核兵器に勝る武器であり、外国勢力によるテレビ局の支配は国防の問題であると孝志は指摘し、総務大臣によるフジテレビの処罰を訴えた。
2023年1月現在、フジテレビは処罰を受けていない。
2021/04/16
ハゲ党にはならなかった。
2021/04/22
「特になし」にもならなかった。
2021/05/10
「既成政党を支持しない党」にもならなかった。
2021/05/14
「古い政党から国民を守る党」に党名変更した。略称は「古い党」になった。
2021年5月20日
黒川敦彦は2017年の総選挙で元総理安倍晋三が当選した山口4区から立候補し得票率4.63%で落選した。供託金の300万円は没収され、多くの人は黒川敦彦が立候補していたことすら気が付かなかった。
これは、無所属や諸派と呼ばれる政治団体から立候補した場合、政見放送すら、させてもらえないからだ。そして、マスコミからは国政政党の候補者でなければ無視されている状態となる。
参議院の場合は3300万円で全国比例に立候補することができる。一方、衆議院議員選挙で全国比例に立候補するには最低でも2億4千6百万円の供託金が必要である。国政政党でなければ得票に応じた政党助成金も貰うことができなし。これは明らかに新興勢力に対する迫害の制度だ。
その不平等、不公平を解消するためNHK党のプラットフォームを開放すると孝志は説明した。
2021/06/08
2021年6月11日
38度の熱が下がらないこと、食欲がなく食事を摂っていないこと、血中酸素濃度が95を維持していることから、入院することになった。
娘、姉、母、元妻から電話をもらった。
姉と元妻は看護師であり娘は薬剤師である。
医療に関わっている人が周りにいることに感謝し、自分のことを彼女たちが心配してくれることに涙した。
家族を一時見捨てたような人間である自分が、とても恵まれていることをしみじみと感じた。
支援者や部下からも沢山メールを貰った。
NHKの改革を訴えて退職したときは誰からも理解されなかった。
世の中を恨んで何度も自殺を考えた。
病気になって一人でないことを実感している、と語った。
2021/06/23
「嵐の党」略称「あらし」に党名変更したが、都議選でも全く話題にならなかったという理由で約3週間後に党名変更することとなる。
2021/07/12
2021/07/21「NHKと裁判している党弁護士法72条違反で」に党名変更した。2021年の総選挙はこの党名で闘った。略称「NHK党」
2021/09/01
2021年10月18日
NHKのスクランブル放送を実現するためには、自民党にその必要性、意義を認識してもらわなければならない。自民党がNHKをスクランブル化すると言えば、それは実現する。そのため孝志は自民党と協力関係を築くことを目指していると説明した。
自民党と手を組めばNHK党が過半数を取ることなくNHKのスクランブル放送は実現する。現実的な路線である。
2021年10月18日
「お金を使わない選挙を目指していまして、党名を変える度に報道されるので無料で目立つ」と回答した。
2021年10月19日
NHK問題、外交・安全保障、経済、エネルギー問題を政策の柱とすることを公約として掲げた。
2021年10月、堀江貴文は孝志と共に総選挙の政見放送に出演し、「NHKをぶっ壊す!」をポーズ付きで披露した。
堀江貴文は孝志のことを次のように紹介した。
「立花さんを紹介されたときは、大丈夫かなと思っていたんだけど、意外に面白い人で、ちゃんとNHKの中にいたんだな、海老沢の懐刀だったんですよね。ちゃんとNHK内部のことを知っているから、理論立てているから「NHKをぶっ壊す!」をやって、その先の構想があるんだっていうのを僕は知って、なるほど、ベンチャー企業ぽいな、と。僕はベンチャー企業の経営者をやっていて、0から1を作り出すことをしてきましたが、国政政党で0から1を作り出したあのやり方「こんなやり方できるんだあ!」というのと、政党助成金を使って更に党勢を拡大しようと、ちゃんとやっているな、と。正攻法でやっても小さい勢力は勝てない訳ですよ。トリッキーなことをやり過ぎてイロモノ扱いされることもありますが、でも、そうじゃなかった。僕が伝えたいのは、立花孝志はイロモノじゃねえよ、ってことです。僕は短期的に結果を出そうとしますが、立花さんは5年、10年、15年と長期スパンで計画を立てて行動をしているところが凄いです。船橋の市議会議員になって、参議院議員選挙から挑戦するところが現実的なんです。みんな何をやっても代わらないと諦めて選挙に行かない人が多い中、選挙をハックして変えていう、ということをちゃんとやっているのはNHK党だけだと思うので、その部分で応援してる」
2021年10月28日、堀江貴文は応援演説で次のように語った。
「20年戦略で政見を取ろうとやっていてベンチャー企業的だなと思ったんです。NHK党はベンチャー政党なんだと思った。
これからの時代、みんなスマホとかSNSを持っているので、世の中のスピードがすごく早くなっているんですよ。
でも、日本って、いい意味でも、悪い意味でも民主主義がすごく発達している国で、民主主義のダメなところって何かというと意思決定に時間がかかることと、決められない代わらない。だから世界に日本だけが取り残されていく。
だからそこに必要なのはたぶん強烈なリーダーシップで、ある程度トリッキーな派手なことやってイロモノぽいことをやって世間と対話をしながらリーダーシップをもってやっていける政治家ってなかなかいなくて。
立花孝志、意外とそれがすごい。
自民党はもう変らないよな。立憲民主党、もっと変らないよな。維新の会いけるのか?と思っている人は、ワンちゃん、NHK党にBet(賭ける)するのは悪くないかな。
賭けておくと自分の将来が少しは良くなるかもしれないって僕は思いました。僕もだからBetしました」
2021/11/12
「NHKの裁判に勝ってしまった党」にはならなかった。
2021年11月16日、孝志は国会議事堂を背景に一人、演説を行った。その日からちょうど10年前の2011年11月16日に初めてYouTubeに動画を投稿した。当初は過激なことをおこなってアカウントが4回バンされた。10年前から立花孝志を見てきた人は、10年後に立花孝志が国政政党の党首となるとは予想していなかったと思う。でも、それは想定していたことだった。党首討論などを経験してこの国を引っ張っていくのは自分しかいないという思いを深くしている。これからもこのチャンネルは大切に使っていく。
そう言った内容の話だった。
2021年12月7日、孝志は時期参議院議員選挙にNHK党から立候補する人をオーディションで決定する構想を発表した。
審査員長は堀江貴文が務めた。
日本の国政政党で初の予備選挙だった。
2021/12/12
立花孝志物語 23 ガーシー出現へつづく
2021年は今振り返ってみると笑ってしまうくらい党名変更していましたね。NHK党の歴史で見ると諸派党構想を打ち出してNHK党として初めての総選挙を闘ったことが重要なのかもしれませんが、開票速報ライブでも関係者の出席は少なかったですし、僕自身もあまり印象に残っていません。諸派党構想で「女性議員50%を目指す党」を立ち上げて和歌山2区から立候補した遠西愛美さんに副代表に任命してもらいました。その流れでNHK党関係者がみるChatworkに入るようになったので、ここで外部から内部になったようなきもしますが、よくわかりません。
立花さんの歴史を見ていると、「フジテレビは日本の国益を無視し韓国の為に放送をしていると私(元NHK職員立花孝志)は思っています」という動画を上げたことが非常に重要だと僕は今回考えました。結構すごいこと言ってますよ。話題にもならず反論、批判がなかったのがかえって怖いくらいです。
「【裁判記者会見】不当判決!NHKと裁判所の癒着を追及します!新しい闘いが始まりました!」は、受信料裁判で立花さんが負けた動画ですが、「NHK受信料は払わなくて大丈夫」と言っていたのに負けちゃったじゃないか。何がどう大丈夫なんだ?という疑問が沸きました。当時、僕はYouTube動画を作っていて、それで受信料不払いについて調べたことをアップしました。結構、複雑なんですよね。視聴者さんのコメントを受けて、2度、3度動画を作りながら考察を深めた記憶があります。
その後、北海道、長野、広島で補欠選挙があり、政見放送のアイデア募集のような呼びかけがあったように記憶しています。スライドを作って立花さんに送り、必要であれば総会でプレゼンさせてください、とメールを送りました。それで、2月か3月の総会に出席してプレゼンした結果、選挙公報を書く仕事をいただきました。ネット選挙株式会社の人との打ち合わせで新小岩のコールセンターを訪れた時に堀江政経塾で「諸派党構想」について立花さんが説明している動画が流れていた記憶があります。
堀江政経塾に3か月在籍したのですが、入塾する前に1日1冊くらいのペースで堀江さんの本を読んでYouTubeにアップすることをしました。10冊くらい読んだ気がします。それから堀江政経塾に参加すると、堀江さんが立花さんに本を出すことを勧めていて、立花さんから僕に協力依頼があり編集協力することになりました。5月26日のことでした。そして、5月31日に立花さんにアポをいただき打ち合わせをさせていただく予定でした。でも、僕はやりたい仕事(諸派党構想の編集協力はボランティアでしたが)をゲットして楽しすぎて興奮しすぎたのと、それ以前も色々頑張りすぎて自律神経がおかしくなったのを実感しました。交感神経と副交感神経は、車で言うとアクセルとブレーキのような関係なのですが、アクセルをふかしすぎてブレーキが機能しなくなったような感覚でした。30代のころにも過労で同じような症状になったことがあったので、直ぐに「これはまずい」と思いました。心臓の鼓動が変だったのです。動悸で分かりました。これはちょっと休養が必要だと思いました。僕はフリーランスでやりたいことをやっているので、休まないのです。やりたいから休めないという状態です。ワークホリックかもしれません。それで立花さんに自分の状態を説明して本の制作作業を少し休ませてもらおうと考えました。待ち合わせの参議院議員会館に到着すると立花さんからショートメールが来ていたことに気が付きました。体調が悪いので打ち合わせの日にちを変えて欲しいという内容でした。急いで電話を掛けると「昨日から熱が出ていて、こういうご時勢だから念の為、会わない方が良いかなあと思って」とのことでした。後で分かるのですが立花さんはコロナに掛かっていました。あの時立花さんが「コロナなんてただの風邪だ。ホリエモンと約束した本作りを急がねば」と考えていたら、僕もコロナにきっと罹患していました。熱があるとのことでしたが、立花さんは落ち着いていて普段と変らない口調でした。立花さんの様子が分かったので、僕の状況を聞いて貰いました。簡単に体調のことを説明して1週間くらい休ませて欲しいと伝えると「興奮しすぎたんやろ」と即座に僕のことを理解しました。立花さんは躁鬱病を経験しているので分かったのだと思います。僕は躁の状態でした。「うつ病」と「躁うつ病」はありますが、「躁病」という疾患は医学的にはないと僕は理解しています。立花さんは「本は急がなくてゆっくり進めれば良いから、まず体をしっかりやすめなさい。今すぐ病院にいって薬を貰ってきなさい」と言いました。
僕は2019年に立花さんを知ったのですが、テレビや新聞などのマスコミ報道だけでは本当の立花さんは分からないと考えました。本人の動画での発言はもちろん参考になりますが、本人が言っていることを画面越しで見ているだけでは分からないこともあります。そこで現地に行って本人の言動を確認し、関係者に話を聞いて自分で判断しました。立花さんが言っていることは本当だと判断しました。会見で何度も質問をして理解を深めました。「立花孝志かく闘えり(大洋図書)」を書いたときは、出版社の編集者さんと僕が主に原稿を作ったので立花さんは取材される立場でした。印刷後に誤字脱字が見つかり報告したときは何も咎められなかったので立花さんの人間性の一端を見ました。そして、「諸派党構想~我々は政権を奪取する」を一緒に作るようになりました。この時点ではまだ出版社は決まっていませんでした。立花さんの立場に立てば堀江貴文さんと約束した企画です。出来るだけ早く出版を実現したかっただろうと思います。もし立花さんが自分中心の人だったら「いつ頃、制作に取りかかれる?」とか聞いて僕の体調よりも本の出版のことを気にしたはずです。でも、本のことは後回しにして、僕の体調を優先してくれたのです。上杉隆さんが立花さんは「利他」の人だと言っていましたが、それは本当だなあと思いました。その後、無事に出版することになったのですが、直前にあるトラブルが発生しました。最悪の場合はどういうことが起きるのかを伝えて立花さんに相談しました。最悪の場合になったとしても立花さんは「俺が対処する」と言って具体的な方法を僕に説明し僕を安心させてくれました。原因を誰かに求めて非難するようなことは一切ありませんでした。その人の人間性は一緒に仕事をしてみるとよく分かる、と僕は思っていますが、特にトラブルが発生した時にこそその人の人柄が分かると思っています。この時の経験から立花さんは本当にすごいと思いました。色々な人が立花さんの時間を欲しがっています。それが分かるので順調なときは僕は出来るだけ立花さんの時間を奪わないようにしています。一緒に仕事をして順調にいっているときは素っ気ないくらい立花さんも放置してきます。でも、トラブルが予見された時はしっかり話を聞いてこちらの不安に応えてくれたのです。
僕の母は昨年9月21日になくなりました。入院を拒み自宅で最期を迎えることを希望したため9月1日から3週間僕は泊まり込みで母の看病をしました。母は夜は調子が良かったので毎晩僕は晩酌をしながら色々なことを話しました。母は僕が立花さんと関係していることは知っていて応援してくれていましたが、やはりどこか心配していたようです。政治に関係するとなると親はそう思うものなのかもしれません。でも、母と過ごした最後の3週間のとき、母に上述した「諸派党構想~我々は政権を奪取する~」を作ったときのエピソードを話して聞かせました。母は「それは大物だね」と関心してくれました。母が亡くなる直前でしたが立花さんという人を母に理解して貰えて良かったなあと思っています。
僕が立花さんのことを書くと「立花孝志はそんな人間ではない」と言ってくる人がいます。まあ、人間って色々な側面があるので、ある人にとってみたら立花さんは僕がみているのとは違うのかもしれません。ただ、僕は自分が見聞きして経験し感じた通りに書いているので、僕にとっては真実なんですよね。
立花さんに病院に行って薬を貰うように言われましたが、僕は自分で治すと言って病院には行きませんでした。
立花さんはコロナに掛かったことを日々YouTubeでアップしていたので様子を知ることが出来ました。熱はあるが元気だ、とのことだったので、毎日メールしました。その後立花さんは虎の門病院に入院したのですが、何度か病院から電話で指示を貰いました。看護師さん(?)がお昼を運んできた声が電話から聞こえたので病院からだと確認できました。コロナで入院しているのに酷かなと思いましたが、立花さんからは何も言われませんでした。
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モリヤマ ヒデキ/歳/男
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