2022/8/26
2020年7月26日第1刷発行の飛鳥新社 「経済で読み解く日本史6 平成時代 上念司著」が面白かったのでご紹介しようと思います。
「経済で読み解く日本史6 平成時代 上念司著」を読んでみた3のつづきです。
第6巻平成時代の第3章のタイトルは「デフレの泥沼」です。
3章のタイトルよりも、3章第1項の小見出しの方が、章の性格を表しているように思います。
それは「経済ハルマゲドンの入り口『住専問題』」です。
住専とは当時、ニュースで良く耳にしましたが、この本を読んで、どういうことだったのか、よく分かりました。ニュアンス的には、サブプライムローンみたいな感じでしょうか。違うかな。
P.80 1995年3月20日、オウム真理教による地下鉄サリン事件が発生しました。経済の面では、経済ハルマゲドンの入り口とも言われる「住専問題」が発覚しました。住専とは住宅専門金融会社の略称で、個人向けの住宅ローンを提供するノンバンクのことです。バックについている銀行のことを「母体行」と呼びました。
1990年に大蔵省の総量規制が実施されると、母体行から住専への資金供給は制限を受けるようになります。ところが、農協系金融機関だけが規制の対象外とされたのです。そのせいで農協系金融機関から住専に多額の資金が流れました。しかし、土地バブルは91年にピークを付けて不動産価格の下落は始まっています。このビジネスがうまくいくはずがありませんでした。
なんで「農協系金融機関だけが規制の対象外」にするようなことが起きたのでしょう。後の説明では官僚の利益のためだったというような説明がありますが、それをなぜ政治家は止められなかったのでしょう。気づけないんでしょうねえ。救国シンクタンクの売り文句ではありませんが、政治家は官僚からだけ知識を得るのではなく、民間シンクタンクを活用するようにしないとダメだなあと思います。
P.82 不動産価格の下落は2001年ごろまで続き、(略)。バブルのピーク時から概ね7割安になったとき、価格は突如、反転していることが分かります。
バブル経済の時代、ジャパン・アズ・ナンバーワンと呼ばれて、日本人は日本に対して自信があったように思います。いずれ経済や土地の価格は回復する、そういう感覚はみんなが当時持っていたのではないでしょうか。
でも、土地の価格のピークが1991年で、底を打ったのが2001年ということですから、10年間も土地の価格は下落しつづけたことになります。「10年も」と書きましたが、最終的に平成不況は30年続いた訳で、令和になっても経済的に活況を呈しているという感じはしないのですから、えらいことになったものです。
P.83 東京の商業地のように、一定の需要が見込める場所以外はそもそも利回りの計算が成り立たないぐらい土地代が高く、投資家が誰も手を付けないわけです。しかし、実際には土地価格は十分に下がっていました。でも、誰も買わない、借りない。最大の問題は、その土地を買ったり借りたりしてやる予定の商売に利益が見込めなかったことにあります。(略)。日銀と政府が景気を悪くする政策の競争をしていたからです。日銀は過剰な金融引き締め、政府(大蔵省)は総量規制に増税。
「日銀と政府が景気を悪くする政策の競争をしていた」
税金使って何やってんだよ!と突っ込みたくなりますが、日銀と政府はなぜこんなことをしたのでしょう。わざとやったのでしょうか。意図は分かりませんが、やはり結果的に日銀と政府の政策が間違えていたことは、歴史を振り返れば分かることです。
P.84 そんな奈落の底に落ちる住宅を担保に、お金を貸していた住専がただで済むはずもありません。1995年、住専7社の総融資残高は約13兆円に達し、うち4分の3が不良債権になっていることが判明しました。P.85 母体行は住専の融資先のうち安定的な顧客には銀行ローンへの借り換えを薦め、不動産業者や開発業者などリスクの高い債権を住専に押し付けた。そして、バブル崩壊が決定的になると住専への融資そのものを引き上げ、その肩代わりとして農協に目を付けたのだ。(略)。こうした詐欺まがいの手を使ってまで大蔵省が農協の肩代わりを誘導したのはなぜか。実は住専各社の社長には大蔵省出身者がずらりと名を並べていた。
P.86 銀行と大蔵省が結託して、天下り先の確保のために農協をカモにしていたのです。1996年、経営破綻した住専7社は清算され、それに伴う損失約6兆5000億円の穴埋めのために6800億円の公的資金が投入されました。銀行のゴミ箱として好き放題して大損したのに、国民の税金が投入されて救済される。多くの国民はこの措置に怒りを覚えました。
こんな滅茶苦茶なことをしたら国民が怒るのも当然ですが、国民の意思、特に怒りは政府の政策決定に影響していることがこの本を読んでいるとわかります。それなら普段から多くの国民が感心をもったら良いのにと思います。それと、マスコミに怒りを誘導されないように、気を付けたいとも思います。が、当時と今は状況が違っていて、ネットで様々な意見を聞くことができますので、一方向に国民全体が誘導されることはないとはおもいます。これを「分断」と言う人がいますが、多様な意見が存在するようになった、と僕は好意的に見ています。
P.87 住宅ローンは、マイホームを担保に取り、借り手の負担で生命保険までかけさせられるため、銀行にとっては極めてリスクの低い融資だと考えられていました。住宅ローン融資は銀行収益の柱になっていきます。しかし、景気悪化で人々の賃金が伸び悩みはじめると、銀行は大蔵省と組んで悪魔のような返済スキームを編み出しました。1992年から始まり大いに流行した「ゆとりローン」という制度です。
(景気が回復して、給料や地価が上がっているであろう)。6年ごとか11年後から金利が上がって返済額が大幅に増えるローンで、「家賃並みの返済額で家が買える」と利用者を募り、住宅購入を煽ったのだ。P.89 「政府が後押ししているぐらいだから」と、この制度を利用しまくっていました。そして、高い確率で後に悲惨な目に遭いました。
破産件数全体に占める住宅ローン破産の割合は、97年は5%、2000年には7%、02年には9%にまで増加しました。まさにゆとりローンが住宅破産を「量産」したのです。
なるほど!住宅ローンというのは銀行にとってリスクが低い融資なのかあ、と初めて知りました。
「ゆとりローン」というのはこの本を読んで初めて知りました。「住宅ローン破産」なんて悲しい言葉でしょう。
P.90 なぜこんなことになったのでしょう。1990年代を通して根強く信じられた「いずれ景気は回復して不動産価格も元に戻るだろう」という根拠のない思い込みが原因でした。日本の大企業は盤石で、年功序列賃金も定期昇給も終身雇用も永久に続くという希望的観測は根強かったのです。
「根拠のない思い込み」と上念さんは言います。確かにそうでしょう。でも、これを書いていて思いついたのですが、それは国民が政府を信用していたということではないでしょうか。その信用を政府が裏切ったのではないか、と思うのです。
P.93 住専問題以降も、世間の甘い見通しは裏切られ続け、運命の1997年を迎えます。この年の11月3日に三洋証券、同月15日に北海道拓殖銀行、同月22日に山一證券が連続破綻し、翌98年10月には私がかつて勤めていた長銀、12月には日債銀が破綻しました。世に言う不良債権問題が噴出したのです。
この時期は衝撃的でした。僕が就職して2年目のことでした。僕は就職活動に失敗して1年で最初の会社を退社して、第二新卒で外資系の製薬会社に再就職しました。その会社が他の会社に吸収合併して翌年にはなくなってしまったのです。リストラされた先輩たちを沢山みました。
世間でも、有名な会社がいくつも倒産していて、僕の会社観、仕事観、人生観に大きな影響を与えました。
どんなに会社に尽くしても、その会社自体がなくなってしまうことがある。会社がなくなって社会へ放り出されても、やっていけるだけの能力、スキルを身につけなければならない、と切実に思いました。高度経済成長期にサラリーマンをしていた人とは偉い違いです。
P.94 当時の日本政府の動きは極めて鈍いものでした。なぜなら、1995年の住専処理の時に公的資金を注入して、国民から激しい怒りを買ったことが大きなトラウマになっていたからです。
P.96 住宅ローンのデタラメ、住専問題のデタラメ、農協に対する詐欺、総会屋やヤクザに対する不正融資や利益供与です。当時の国民にしてみれば、銀行は「最悪のクソ野郎集団」だったわけです。
P.97 1997年に発覚した第一勧業銀行の総会屋に対する利益供与事件は国民感情を逆なでする最悪の事件の一つでした。(略)。第一勧銀は大蔵省の金融検査でこの件が発覚することを恐れ、検査官を接待漬けにして手心を加えてもらっていたのです。後にそのことが発覚して、大蔵省を解体へと導く大スキャンダルに発展しました。これが世に言う「大蔵省接待汚職事件」です。
P.99 橋本龍太郎首相の大衆迎合的な省庁再編により大蔵省は解体され、財務省と金融庁に分割されました。「財政と金融を分離すれば業界との癒着は起こらない」という不思議なロジックがその背後にあったようです。また、日銀法が改正され、日銀は大蔵省の言いなりの子会社から、晴れて「独立」を勝ち取ることになりました。
P.100 「独立」の意味をはき違えた日銀は、政府の言うことを無視し、(略)。景気が回復しかけると「バブルが再来する!」といったデタラメな主張をして金融引き締めに走るという愚策を繰り返してしまったのです。これが日本の長期停滞の原因でした。
P.105 一般的に中央銀行の政府からの独立とはあくまでも「手段の独立性」を指します。これは全世界の中央銀行設置法に謳われている枠組みです。金融政策の目標は政府が定め、中央銀行はその目標を達成するためにあらゆる手段を自由に使ってよい。これが「手段の独立性」であり、中央銀行の国際常識なのです。
P.106 全国有効求人倍率は2001年、02年と0.56まで落ち込みます。
有効求人倍率0.56、恐ろしい。。。。
つづく
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モリヤマ ヒデキ/歳/男
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