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注目の名護市長選挙はコロナ禍でどのように行われたのか?これからの課題は?(宮原ジェフリー)

2022/1/25

宮原ジェフリー

宮原ジェフリー

1月23日に投開票された名護市長選挙は現職で自民党、公明党が推薦した渡具知武豊氏が、新人の岸本洋平氏に対して5,085票の差をつけて2回目の当選を決めました。

2回目の当選を決めてインタビューを受ける渡具知武豊氏

 人口約6万人の自治体ながら、毎回異例の注目を集める名護市長選挙。その背景をおさらいしつつ、新型コロナウイルス・オミクロン変異株が猛威を振るう中で行われたこの選挙での両陣営の闘い方について、現地での取材報告をお送りします。

辺野古新基地建設問題と名護市長選挙

1995年に起きたアメリカ兵3名による小学生女子強姦事件に端を発し、沖縄県内の反基地感情の高まりを受けて翌1996年に日米両政府は、宜野湾市にある普天間飛行場の返還を含む基地負担軽減策を示した中間報告を取り交わしました。

しかし返還には代替施設の建設という条件がつけられており、そこで定められたヘリポートの建設場所として、名護市辺野古にあるキャンプシュワブ沖合が候補地として浮上。

地元の頭越しに進められた計画に対し、当時の比嘉鉄也市長が反対表明、市議会も全会一致での反対決議、2度の市民による抗議集会が行われるなど強い反発を呼んだものの、日米両政府は辺野古沖合を代替施設建設予定地とした最終報告書をまとめました。

 一方で、土木建設事業者などを中心にこの計画を地元の経済振興の機会として歓迎する機運も生まれており、市長は防衛局による代替施設建設のための事前調査を受け入れを表明。これに反発して市民有志を中心に建設の是非を問う市民投票が行われ、反対が賛成を上回る結果になりました。

しかし、比嘉市長は「苦渋の決断」として基地受け入れを表明。市民投票で示された民意を覆す決定をするにあたり、比嘉氏は市長を辞任。以降、基地受け入れに賛成か反対かを巡って市を大きく二分する市長選挙が繰り返されてきました。

辺野古大浦湾に立つ、埋立反対派による抗議テント(2019年撮影)

過去6回の選挙では基地受け入れ反対の立場の市長を誕生させないため、政府与党としては大臣や政党幹部らが複数回立会演説に入るなど、人口に対して異例の規模で保守系候補の応援に力を入れてきました。もちろん、建設反対の立場の陣営も野党の党首クラスが応援に入り、大きな盛り上がりを見せてきました。

しかし、今回の選挙は新型コロナウイルスの第6波によるまん延防止等重点措置により、県をまたいでの移動や、大人数で集まることの自粛が呼びかけられる中で行われたため、両陣営とも工夫が求められる選挙戦となりました。

名護市長選挙の歴史については過去の記事もご参照ください。

現職:渡具知武豊vs新人:岸本洋平

両候補の選挙ポスター

 当選を決めた渡具知武豊氏は1961年に名護市に生まれ、県立名護高校を卒業後、福岡の第一経済大学(現日本経済大学)を卒業し、会社員を勤め商工会青年部副部長を経て1998年から市議会議員を5期努めたのち、2018年の名護市長選挙では自民党、公明党、日本維新の会の推薦を受け、現職でオール沖縄陣営が推す稲嶺進氏に3,458票差をつけて勝利しました。

 落選という結果になった岸本洋平氏は後に名護市長を勤める岸本建男氏の長男として本土復帰の1972年に生まれ、県立名護高校を卒業後、東京の明星大学に進学。早稲田大学大学院を修了後、医療事務の職につき、2006年から名護市議会議員を4期勤めました。

 渡具知氏はこの選挙で、保育料・給食費・こども医療費の無償化「子育て3点セット」を実現した実績を強調。コロナ対策や中心市街地の活性化、東海岸を含めた均衡ある発展など経済対策を中心とした公約を掲げ、支持を訴えましたが、辺野古への基地建設のための埋め立てについては「国と県の係争を見守る」として4年前と同様に賛否を明らかにしない態度で臨みました。ただ、渡具知氏が掲げる振興策は国からの再編交付金の交付が前提となっています。

 再編交付金は2007年に制定された「駐留軍等の再編の円滑な実施に関する特別措置法」に定められた、在日米軍の再編に伴い影響を受ける市町村に、公共の施設の整備その他の住民の生活の利便性の向上及び産業の振興に寄与する事業に充てるため、国から交付される交付金のことで、渡具知氏の前任、基地建設反対派の稲嶺進市長時代にはこの受け取りを拒否していました。

 市議会では岸本氏を含む多数派が渡具知市長による子育て無償化を含む再編交付金を使用を前提にした予算案に反対し、一度は否決されたものの、市長は再議権を行使し、多数派の反市長派が退席してこの予算案が成立した、という経緯があります。

道ゆく車に手を振って支持を呼びかける渡具知氏

 一方の岸本氏は渡具知市政で実施された3つの無償化は継続する、とこの選挙で宣言。財源については市の歳入の3%に満たない再編交付金に頼らず、基金の創設や公共施設の公民連携などの行財政改革で捻出できると主張しました。

 岸本洋平氏の父である岸本建男氏は住民投票の結果に反して基地建設の受け入れを決めた比嘉市長の後継者として1998年から2006年まで名護市長を2期勤め、1999年には基地の使用期限15年、安全性の確保など7つの条件をつけた上で受け入れを容認を表明しました。体調不良により2期で市長職を降りましたが、その任期の直前、2005年10月に日米両政府はまたしても市長の提示した7条件を無視する形で地元の頭越しにキャンプシュワブ沿岸へのヘリポート建設に合意。岸本建男市長は合意の受け入れを拒否しましたが、翌2006年の選挙で当選した島袋吉和新市長は日米政府案を受け入れます。

 保守政治家であり一度は基地建設を受け入れたものの、市民生活にできる限り配慮するための条件を提示し、市民から広い支持を集めた岸本元市長の息子である、という物語を背負って、洋平氏は現状で進められている基地建設については玉城デニー沖縄県知事とともに反対の立場を貫く姿勢を示し、事実上の容認の姿勢を取る渡具知氏との立場の違いを鮮明にしました。

街頭で演説する岸本氏

コンプライアンス選挙

 沖縄県ではこれまで、証紙付きの法定ビラ以外の選挙ビラが撒かれたり、公選法で定められたポスター以外のポスターが街中に貼られたり、候補者の氏名を書いた登りが道路沿いのガードレール多数立てられたりする選挙運動が当たり前に行われており、「公選法の治外法権」などと揶揄されてきたものの、与野党ともに名護市長選挙のように激しく競り合う選挙ではそれが特に顕著だったのですが、今回についてはそれがほとんど見られませんでした。

 一部の例外はあったものの、候補者以外の運動員は2連のぼり(政治活動として認められる演説会の告知の体裁を取ったもの。候補者の写真・氏名だけでなく、もう1人別の人物の顔と氏名が書かれているかどうかが選挙運動用ではなく政治活動用であるという判断基準とされている)沿道には違法なビラ、ポスターの類は一切見当たらないなど、これまでの沖縄の選挙を知っている人からすると、「本当に選挙をやっているのか?」と疑問に思ってしまうほど視覚的な変化のなさに驚きを覚える状況でした。(もちろん、午前8時から午後8時まで両陣営の選挙カーが走り回っているので、音で雰囲気を否応なしに感じることになりますが……)

こうした法定外のビラの類はかなり少なくなった

 今回の選挙で両陣営ともコンプライアンス遵守の姿勢をとることとなった大きな要因は、SNSの普及にあると考えられます。2013年にインターネットを用いた選挙運動が解禁されて以来、SNSを用いて政策や候補者の魅力をアピールすることが一般的になった一方で、考え方の異なる立場のユーザーが、候補者のイメージダウンをはかり、場合によっては「炎上」を呼び起こすこともしばしば見られるようになったのは、選挙ドットコムの読者のみなさんはよくご存知かもしれません。

 ここ数年、特に沖縄での選挙運動で、コンプライアンス違反となる事例の写真をSNSにアップして指摘する投稿が非常に多く見られ、そういった投稿だけをアップする専用のアカウントも登場しました。

 こういった投稿は立場が異なる陣営からは格好の攻撃材料となるのですが、これまでの沖縄の選挙戦では保守革新、自公オール沖縄問わず似たような違法行為が当たり前に行われてきたので、批判合戦の泥仕合となるのがお決まりとなっていました。

 沖縄選挙イヤーの口火を切る今回の選挙で、泥仕合を避けて余計なイメージダウンや印刷費を使わない方向に舵を切ることができたのは画期的な進展と言えるのではないでしょうか。(推測ですが、どちらか一方の陣営が違法行為をやめたのではなく、両者とも同じタイミングでやめたので、両陣営の間で選挙運動をクリーンに行うこととする何らかの取り交わしがあったのかもしれません。)

コロナ禍での選挙の戦い方とインターネット

 公選法遵守のクリーンな選挙を行うことは(本来当たり前のことですが、)大変結構なことですが、その分市民に認知してもらう機会は減少してしまいます。ましてコロナ禍で、人を集めた大規模な集会が行えないとなると、新たな工夫が必要になります。

 まずは両陣営のインターネットを使った選挙運動について振り返ってみましょう。

 渡具知陣営で特筆すべき点は、なんといっても動画のクオリティです。選挙期間中’、[SNSチーム]と書かれた腕章をつけたハイエンドの機材を持った3人ほどの撮影チームが渡具知候補に密着し、演説や手振り(沿道を走る車に向かって手を降ってアピールする選挙運動。沖縄だけでなく、車での移動が一般的な地域でよくみられる)の様子をいち早くSNSでシェア。極め付けは投票日前日の午後11:30にアップロードされた「みんなの選挙〜この闘いは世界が注目する名護市長選〜」と題されたこちらの動画。

当日の夜に行われた打ち上げ式の素材まで使って、まるでテレビドラマのような仕上がりで、渡具知氏の応援者に、感情的な面での盛り上げに一役買ったものと推測できます。(その分、この動画では政策的な訴えは省かれていることは指摘しておきます)

 一方の岸本陣営も、ボランティアで応援する市民がスマートフォンではあるものの小まめに各地での街頭演説を生中継したり、手作りでありながら渡具知陣営に引けを取らない、とっつきやすい動画をTwitterにアップし、多いものでは6000再生を超えていました。

 また、岸本氏はマイクを使った選挙運動ができる夜8時以降の時間を使って、インスタグラムを使った生配信(インスタライブ)を試みていました。初回のインスタライブでは岸本氏の他に司会進行役の男性、玉城デニー知事、大学生の女性の4人のトークを配信。大学生の疑問や提案に岸本氏が答える、という構成で、若者の声を聞き応答する、身近な存在として親しみを持ってもらう効果を期待しての取り組みであったように思えます。

 ただし、演説のようにかしこまった場ではなく、ざっくばらんなトークだからこそ、候補者の弱点も見え隠れしたとも言えるかもしれません。例えば「女性の地方議員、候補者を増やすために行政としてどのように取り組むか」という大学生の問いかけに対して「女性の方は子育てをはじめ、愛情が非常に深いですので、そしてまた非常にまっすぐな素晴らしい感性を持ってらして、しがらみに囚われず言うべきことをはっきりとおっしゃる印象がある」と応え、性別役割分業を前提とした、旧来的なジェンダー観も持っていることが透けて見えてしまう場面があり、リベラル寄りの思想を持った支援者であっても首を傾げざるを得ない一幕があらわになってしまいました。

 ラフなトークといえども、事前の準備や打ち合わせを十分にしておかないと失点になりかねない、ということは今後の注意点として参考になる事例でしょう。

組織力vsフレッシュさ 両者のイメージ戦略

 では、インターネットではなく対面での選挙運動はどのように取り組んでいたのでしょうか。渡具知氏は告示日の1月16日(日曜日)には、市内を細かく29ヶ所回って市民に訴えたのに対し、2日目、3日目については時間と場所を告知しての街頭演説は行われませんでした。

https://twitter.com/toguchitaketoyo/status/1482503827459047425

事務所で話を聞くと、渡具知氏本人は平日は企業や支援者の元に直接出向いて支援を求めているとのこと。

ただ、4日目以降は午後3時以降、複数箇所で事前告知のある演説会をしていました。コロナの影響で県外から新聞やテレビでよく目にする政治家の応援演説で人を集められない分、例えば地元自治会の役員も勤めている市議会議員が先に挨拶をするなど、「誰もが知っている人」ではなく「地元で知られている人」が応援している、というアピールを市内全域で展開して票の積み増しを図っていました。

 終盤には自公の県議会議員や国会議員の応援も加わり、比較的大規模な演説会を行ったり、候補者がいない場所で沖縄及び北方対策担当大臣を勤める西銘恒三郎衆議院議員が演説をしている場面も市内では見られました。

街頭演説する西銘大臣

 他方、岸本氏は基本的にはオール沖縄各陣営が取り仕切る形で、各政党・政治団体の県議会議員や市議会議員らにバックアップされての演説が多かった印象です。

 そもそも「オール沖縄」とは、共産、社民、沖縄社会大衆党といった革新政党と、保守の立場ではあるものの辺野古新基地建設に反対する立場の勢力による共闘の枠組みのことで、翁長雄志氏が2014年に自民党を離党し、那覇市長を辞職して沖縄県知事に立候補する際に生まれました。思想的立場を超えて、基地建設阻止という目的のために一つになる、「イデオロギーよりアイデンティティ」でまとまった「オール沖縄」は、翁長氏という優れた政治手腕を持つカリスマ的な存在のもと一つになれたドリームチーム的な勢力として2014年の衆院選では沖縄県内4選挙区で全勝するなど各種選挙で破竹の勢いを見せたものの、2018年に翁長氏がこの世を去り、後継の玉城デニー氏が県知事に当選して以降は各政治勢力間の調整がうまくいかない場面も時折り生じ、当初の勢いが徐々に弱まって行きます。

 岸本洋平氏自身も元々保守の立場を取っており、父建男氏の時代には革新政党と激しく争っていたことから、その時代を知る革新陣営の人の中には煮え切らない思いを抱えながら支持を決めた人もいたということでした。

 また、選挙運動を通じてのイメージ固めという意味では終盤の20日木曜日の両陣営の運動が対照的でした。

 渡具知陣営は沿道にのぼりを持った支援者がずらっと並び、通行する自動車に向かって手を振る「Vロード作戦」と称される運動を展開。組織力をフルに使った人海戦術で有権者に対しても、相手陣営に対しても強い印象を与えられる上に、密集しないのでコロナ禍でも比較的動員しやすく有効な戦術と言えるでしょう。およそ2kmに及んだVロードには、渡具知陣営が揃って着ている緑色のジャケットを着ている人たちだけでなく、作業服を着た男性たちの姿や、関係する建設業者のオフィスの前にはスーツ姿の男女の姿も見られました。

沿道でプラカードやノボリを持って支持を呼びかける「Vロード作戦」

 岸本陣営は同じ日「ツールドようへい」と銘打ち、選挙カーに先行して競技用の自転車で市内各地に赴き、遊説しました。この選挙運動を通じて現職より11歳若い岸本氏としては若さや、体力があるイメージを視覚的に候補者に伝えることが念頭にあったように感じられます。

家族と選挙

 この選挙では両陣営とも候補者の家族が選挙運動を支えている様子が目につきました。

先に紹介した動画でも、渡具知氏は妻と娘とのやりとりが印象的に描かれていましたし、街頭演説では「妻です」「娘です」と書かれたタスキをかけて政治家の応援弁士とならんで渡具知氏の応援をバックアップしていました。

タスキをつけて渡具知氏の応援をする渡具知氏の家族

 また、岸本氏も妻の聖子さん母の能子さんがYouTube動画などで応援メッセージを寄せたり、街頭でも能子さんがマイクを取り「(洋平氏は)建男(元市長)が残した傑作だと私は思っています」と褒めるなど、両者とも感情に訴える場面で家族が登場していたように感じました。

洋平候補への支持を呼びかける母、能子氏

勝因・敗因

 今回の選挙では、渡具知氏が前回の票よりも4年前の選挙よりも865票減らしていますが、得票率では3ポイント近く増やしている一方、岸本氏は前回の稲嶺氏の票数から2,492票、得票率で3ポイント近く減らし、得票数の差は5085票となりました。

 街の様子を見る限り、必ずしも選挙で盛り上がっている、という雰囲気ではありませんでしたが(まん延防止等重点措置の只中ということもありますが)、過去最低の得票率といえども68.32%と一般的な日本の選挙と比較すると、異次元の高さです。

 渡具知氏は一期目の4年間で子育て支援などを充実させ、目に見える、肌で感じられるかたちで市民生活を向上させてきました。それに対して岸本氏は「支援策は継続しつつ、財源となっている再編交付金に依存しないかたちを目指す」という立場をとったものの、コロナ禍で経済的な負担を負った有権者としては、それが本当に実現できるか不安があったのかもしれません。

 また、投票日当日の早い時間はかなり激しい雨が降り続き、浮動票の掘り起こしが課題となっていた岸本陣営に不利に働いたことも敗因に繋がったようです。

 ここで考えてみてほしいことがあります。そもそも、基地負担か経済活性か、という2択を迫られる状況そのものが異常だということを。名護市民のみなさんは日米の安全保障上の都合、という名目で過去7回、23年に渡って米軍基地建設容認/反対という二者択一を迫られ、分断させられてきたのは、日本に住む私たち全体が日米関係におけるコストを沖縄に、名護に負担させてきたことが、このような歪な状況を作っていることに、少しでも考えて、今後の政治を考える一助としていただけたらと思います。

結果の受け止めとこの先

 辺野古大浦湾の埋立工事は進んでおり、選挙中も土砂の搬入ゲートでは座り込みによる抗議活動が続けられていました。しかし、国と県の間の裁判は続いており、建設予定地の地下にはマヨネーズほどの軟弱な地盤が見つかっていて、過去に例のない難しい工事になることがわかっており、工期が見通せていません。

 この選挙を受けて岸田総理は「市長と連携し振興に取り組む」として、辺野古の問題にはすぐには触れずに慎重な姿勢を示しています。4年前に行われた選挙では安倍政権下の菅官房長官は「選挙は結果が全て」として埋立賛成の民意が示されたことを考えると対照的ではありますが、岸田政権も普天間飛行場の代替施設の建設については「辺野古が唯一」という立場を崩していません。

 いずれにしても、この先に続く選挙もまた辺野古新基地の建設をめぐって議論が行われることになるのは確実です。今年全県で行われる参議院議員選挙や沖縄県知事選挙で、埋立を推進する立場の政権与党がこの勢いに乗るのは確実です。普天間基地を抱える宜野湾市でも市長選挙、市議会議員選挙が行われますし、名護でも市議会議員選挙が予定されています。

 先述のように、沖縄以外の日本に住む私たちにとっても選出する政治家がこの問題にどのような姿勢を見せているかについて考えてみることの必要性を感じてもらえたらと思います。

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宮原ジェフリー

宮原ジェフリー

選挙ライター、キュレーター(現代美術)。 1983年東京都出身。中学生時代から衆参の選挙の度に全選挙区の当落予想を続ける。ポスターデザイン、インディーズ候補、政見放送、選挙公報、街頭演説など選挙に関わること一切が関心領域。著書に『沖縄〈泡沫候補〉バトルロイヤル』(ボーダーインク)がある。

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