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過去20年の選挙を3分で振り返る。沖縄の名護市長選が注目を集めるワケ

2018/2/1

宮原ジェフリー

宮原ジェフリー

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沖縄県の名護市長選挙が1月28日に告示され、2月4日投開票されます。

現職の稲嶺進氏と新人の渡具知武豊氏が立候補しているこの選挙には地元メディアのみならず、全国紙・キー局のテレビ・ラジオ局が報じている他、各政党の幹部クラスや全国的な知名度がある政治家が両候補の応援に立っていて、人口62,000人弱の市長選としては異例な盛り上がりを見せています。

名護市長選挙がなぜここまで注目されるのか、過去20年のデータを振り返りながらひもといてみましょう。

1998年 反映されなかった市民投票

1995年に発生した米兵による少女暴行事件を契機に沖縄県で基地反対運動が盛り上がり、これに呼応するかたちで日米両政府は沖縄に関する特別行動委員会(SACO)を設置しました。

この委員会は翌1996年12月に両政府合意の元、最終報告書をまとめ、その中で普天間基地を含めた11施設の返還が明記される一方で、代替施設を沖縄本島東海岸沖(後に名護市辺野古のキャンプシュワブ沖合が候補地とされる)に建設することなどが返還の条件として記されており、それが地元に受け入れられるか否かが大きな焦点となりました。

受け入れをめぐり当時の名護市長である比嘉鉄也氏は原則反対としながらも、那覇防衛施設局による事前調査を容認するなど態度を定め切れず、賛否を問う住民投票を行う声が市民から沸き起こり、過半数を超える市民の署名により市民投票条例案が市議会で審議され、成立。12月に実施された市民投票の結果は以下の通りとなりました。

「名護市における米軍のヘリポート基地建設の是非を問う市民投票」 投票率82.45%

賛成 2,562票
環境対策や経済効果が期待できるので賛成 11,705票
合計14,267票(45.33%)

反対 16,254票
環境対策や経済効果が期待できないので反対 385票
合計16,639票(52.86%)

結果的に僅差で反対多数となりましたが、開票の3日後に比嘉市長はこの結果に反して受け入れを表明。同時に市長を辞任しました。

そして、比嘉氏の辞任に伴って実施された1998年の市長選には比嘉市長のもとで助役を務めていた岸本建男氏が、反対派が擁立した玉城義和氏に僅差で勝利しました。

1998年名護市長選 投票率82.35%

岸本建男(自民推薦) 16,235票
玉城義和(社民、社大(沖縄社会大衆党)、共産、民主推薦) 15,103票
辻山 清(正義の声公認) 44票

ちなみに辻山氏は月光仮面の衣装で様々な場所で立候補した政治活動家です。

2002年 市民の「基地疲れ」

同じ年の11月に行われた知事選では現職の大田昌秀氏が、自民党が推薦する稲嶺恵一氏に敗れ、革新陣営が連敗を喫します。
選挙中、普天間基地の移設先については「北部の陸上に軍民共用空港」を15年の使用期限付きで整備すると公約した稲嶺氏でしたが、選挙の翌年には公約を翻して辺野古沿岸への普天間基地県内移設を表明。岸本名護市長に受け入れを求めました。

岸本氏は青木幹雄官房長官との会談を経て、「日米地位協定の改善及び受け入れ施設の使用期限15年」など条件付きでの受け入れを表明。この時岸本市長は新施設をヘリコプターの使用に限定していましたが、のちにSACO合意の範囲内で使用を認めると修正します。さらに2001年には15年期限案がアメリカ側から拒否されてこれも譲歩することになります。

一方で沖縄県内は当時失業率が9%近い不況に加えて同年9月に起こったアメリカ同時多発テロの影響で観光客が激減。修学旅行は87%が中止となる異常事態となりました。

また、当初はサンゴ礁の外側である海岸から3km沖合に建設するよう辺野古地区は求めていたものの、これも結果的にサンゴ礁の上に建設されることに。米兵による不祥事が相次ぎ、地元と中央政界の板挟みの中で厳しい市政運営を担った岸本市長でしたが、2期目の選挙は革新陣営の市議会議員、宮城康博氏を相手に圧勝します。

2002年名護市長選 投票率77.66%

岸本建男(自民、公明推薦) 20,356票
宮城康博(社大、共産、社民推薦) 11,148票
又吉光雄(世界経済共同体党公認) 80票

ちなみに又吉氏は「唯一神」を自称し、現在は東京都を拠点に国政選挙に挑戦しています。

投票率は過去最低で、基地問題に翻弄され続けた名護市民の「基地疲れ」が結果に現れたと言われています。

2006年 激動の最中に岸本氏が突然の引退

名護市長選に続いて年末に行われた県知事選では現職の稲嶺氏が1期目の実績を評価され、共産党とそれ以外に分裂した革新陣営の票を合計しても16万票以上上回る圧勝で2期目の当選を果たします。

2004年の沖縄国際大学への米軍ヘリコプター墜落事故の翌2005年に小泉首相は辺野古案の見直しを検討しますが、国内に適当な候補地が見つからず断念。名護市長選が迫る2005年10月には日米両政府間で、一部埋め立てを伴うキャンプシュワブ沿岸に新基地を建設することで合意。沖縄県、名護市の頭越しに行われたこの決定に知事も市長も受け入れを拒否します。そんな最中、岸本氏は2006年の選挙に健康上の理由で立候補しないことを表明(2006年3月に死去)。後継候補となった島袋吉和氏は「沿岸案反対、ただし沿岸案が修正された場合は検討する」という方針を掲げて当選しました。

2006年名護市長選 投票率74.98%

島袋吉和(自民、公明推薦) 16,764票
我喜屋宗弘(民主、共産、社民、自由連合、社大推薦) 11,029票
大城敬人 4,354票

しかし、当選からわずか3か月後の2006年4月、島袋市長は政府との交渉の結果、当初の案よりも負担が増大した沿岸にV字型滑走路を建設する案を受け入れました。稲嶺知事は15年の期限付きのヘリポートを主張する立場を堅持して「受け入れられない」としつつも政府との協議には応じる姿勢を示しました。稲嶺氏は同年11月に県知事選に立候補しないことを表明。後継候補の仲井真弘多氏も「V字案は認められない。政府に抗議し適切な対応を求める。」として普天間飛行場の3年以内の閉鎖を公約に掲げ、革新陣営が推す糸数慶子氏に4万票近い差をつけて当選しました。

2010年 移設反対派の初勝利

島袋氏の任期中、国政では政権交代が実現して民社国連立による鳩山政権が誕生しました。鳩山首相は当初「最低でも県外」をスローガンに辺野古への基地建設を否定する考えを示していましたが、閣内の不一致が目立つようになり、辺野古に代わる建設地を決められないまま行われた2010年の名護市長選では、新人で新基地建設反対を強く打ち出した稲嶺進氏が保守層の一部も取り込んで僅差で勝利。島袋氏は経済政策を押し出す一方で基地問題については「適切に対応する」と具体案を述べずに選挙を戦いましたが、再選はかないませんでした。

2010年名護市長選 投票率 76.96%

稲嶺 進(民主、共産、社民、国民新、社大、そうぞう推薦) 17,950票
島袋吉和 16,362票

自民・公明は島袋氏を推薦せず「支持」としました。

その後、鳩山首相は移設先候補として鹿児島県徳之島を挙げて強い反発を受け、最終的には辺野古案に立ち返った形で日米共同声明を発表。鳩山氏は混乱の責任を取って総理を辞任することとなり、続く菅直人政権もこの共同声明を踏襲することを表明しました。

与党民主党と沖縄県民の溝は深まり、同年11月の県知事選挙では民主党は政権与党でありながら独自候補を擁立できず、自主投票としました。結果的に現職の仲井真氏が社民・共産・社大など革新勢力が推す前宜野湾市長の伊波洋一氏と幸福実現党の金城竜郎氏を下して2期目の当選を決めました。

2014年 大荒れの政治状況の中で〜「オール沖縄」の誕生

2012年12月の衆院選では民主党が大敗し、自公が政権を奪還。第2次安倍内閣が発足しました。沖縄県内の4つの小選挙区のうち3選挙区で自民党候補が勝利を収めたものの、いずれも普天間基地は「県外移設」を求めるという党本部と異なる立場で選挙を戦っていました。

しかし、翌2013年の11月、参議院議員の島尻氏を含めた沖縄県選出の国会議員全員が新基地建設容認に転換、自民党沖縄県連もこれに追随しました。その翌月、仲井真知事も自身の公約を翻して公有水面埋立て申請を承認。直後に体調不良を訴えて東京都内の病院に入院します。この間に安倍総理と会談を行い、普天間移設辺野古新基地建設のための埋め立て申請の承認の方針を固める一方、沖縄振興策として2021年度まで毎年3000億円台の予算を確保する約束をしています。

これに対しては革新陣営のみならず沖縄県内の自民党からも異論が続出。後の翁長知事誕生の「オール沖縄」の枠組みの布石となります。そんな大荒れの状況下で行われた名護市長選は現職の稲嶺氏が、基地問題よりも経済政策を中心に訴えて自民党の推薦を得た末松氏に競り勝ちました。

2014年名護市長選 投票率 76.71%

稲嶺 進(共産、生活、社民、社大推薦) 19,839票
末松文信(自民推薦) 15,684票

この時公明党は新基地建設に反対する立場から、自主投票としました。

2018年 選挙疲れ再びか、オール沖縄復調か

公約破棄で求心力を失った仲井真氏は2014年の知事選に立候補するも、前回選挙で仲井真氏の選対本部長をつとめた那覇市長の翁長雄志氏が、社民、共産、社大党などの革新陣営と自民党所属(のちに除名・離党)の那覇市議らによるいわゆる「オール沖縄」の枠組みで新基地建設を「あらゆる手段で阻止する」ことを公約にして圧勝。再び政府と県との対立構造となる一方、県と名護市の協調関係が生まれます。

この間、県内に強い反対意見が多くあるにも関わらず政府は護岸工事を実行。抗議活動で逮捕者も出しており反発が見られています。

2014年の衆院選では全4選挙区で「オール沖縄」が支援する候補が当選(自民党の4人は全員比例復活)。
2016年の参議院議員選挙でも「オール沖縄」が推薦する伊波洋一氏が、現職大臣の島尻安伊子氏に勝利するなど、「辺野古新基地建設」を公約にした候補者はことごとく選挙に敗れてゆきます

しかし、2016年末、国が沖縄県に対して仲井真知事時代に承認した辺野古沿岸の埋め立て申請を、翁長知事になって取り消したことを撤回させる裁判で沖縄県が敗訴。2017年に再び行われた解散総選挙では沖縄4区で「オール沖縄」候補が自民党の西銘恒三郎候補に敗北。沖縄県の国政選挙で辺野古新基地建設を容認して勝利したのはこれが初めてとなりました。

今年に入ってから実施された南城市長選挙ではオール沖縄が応援した瑞慶覧長敏氏が自公推薦の現職を抑えて当選。八重瀬町長選では自公推薦の新垣安弘氏が当選と1勝1敗となっています。

今回の選挙では、現職の稲嶺候補は基地問題のほか、基地に頼らず市の予算を増額したことや、ディズニーパレードを誘致した実績などをアピールしながら、中国からパンダを誘致する計画などを発表しています。

前回は自主投票に回った公明党は渡具知氏の推薦を決めています。推薦にあたっての政策協定を経て、辺野古新基地建設について渡具知氏は詳しい言及は避け「海兵隊の県外・国外への移転を求めます。 辺野古代替移設については、現在、国と県が係争中であり、この行方を注視していく。」と公式サイトで述べるにとどまっています。(埋め立て承認撤回については沖縄県が敗訴しましたが、沖縄防衛局が岩礁破砕等許可をはじめ様々な沖縄県の認可が必要な行政手続を経ずに工事を強行していることから、工事の差し止めを訴えて裁判を争っています。)前回の市議会議員選挙では公明党の候補に入った約2,300票の行方が当落を左右するか否かに注目が集まります。

渡具知氏はゴミの分別をシンプルにすることや、こども医療費の無償化、基幹病院の整備など生活に根差した政策に力点を置いて市民への浸透を図っていますが、基本的には両候補とも基地以外の政策については大差がない印象となっています。

しかし、記事執筆時現在(1月30日午後7時)まで稲嶺・渡具知両候補がそろった討論会や座談会などは渡具知氏側の「多忙のため」という理由で開催が実現していません。

投開票は今週末

以上見てきたように、非常に複雑な政治状況に20年以上翻弄され続けてきた名護市の次の4年間を担うリーダーが間もなく決まります。11月頃に予定されている沖縄県知事選に向けても非常に重要な選挙となるのは間違いなく、全国から注目が集まっています。

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宮原ジェフリー

宮原ジェフリー

選挙ライター、キュレーター(現代美術)。 1983年東京都出身。中学生時代から衆参の選挙の度に全選挙区の当落予想を続ける。ポスターデザイン、インディーズ候補、政見放送、選挙公報、街頭演説など選挙に関わること一切が関心領域。著書に『沖縄〈泡沫候補〉バトルロイヤル』(ボーダーインク)がある。

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