2017年10月22日に投開票が実施される第48回衆議院議員選挙において、自民党鹿児島県第1区選挙区の公認内定候補者となっている保岡興治氏の経歴を見てみましょう。
保岡興治氏は1939年5月11日、東京都千代田区の生まれで現在78歳です。父は衆議院議員の保岡武久氏。鹿児島大学教育学部附属中学校、千代田区立麹町中学校、東京都立日比谷高等学校を卒業後、中央大学に進学します。1964年に中央大学法学部を卒業後、司法試験に合格。1967年に判事補に任官。鹿児島地方裁判所の裁判官を経て、1968年に退官します。
保岡氏は父・武久氏の後を受け、政治家への道を決意。橋本登美三郎氏の政治秘書となります。1972年の第33回衆議院議員総選挙では奄美群島区選挙区から無所属で出馬し、初当選します。当選後、自民党に追加公認され田中派に所属。1976年のロッキード事件で田中角栄氏が逮捕されると、保岡氏は弁護士として弁護団に加わります。
大平内閣では国土政務次官を、鈴木内閣では大蔵政務次官・衆議院建設委員長を歴任。1990年の第39回衆議院議員総選挙では落選。1993年の第40回衆議院議員総選挙では、旧鹿児島1区選挙区から出馬し当選します。小渕派を経て、1994年に自民党を離党。新進党結成に参加するも、1995年に新進党を離党し自民党に復党します。
1998年の憲法調査会設置に伴い、同調査会の幹事に就任します。2000年の第2次森内閣では、法務大臣として初入閣。2001年の第1次小泉内閣では、自民党国家戦略本部事務総長に就任します。2003年の第43回衆議院議員選挙では、得票数95,841票を得て当選。2004年には自民党憲法調査会会長に就任。「憲法改正大綱」の原案を党内に提示しました。
2005年の第44回衆議院議員選挙では、得票数112,437票を得て当選。2009年の第45回衆議院議員選挙では、得票数94,226票を得るも惜敗します。2012年の第46回衆議院議員選挙では、得票数76,652票を得て当選。2014年の第47回衆議院議員選挙では、得票数67,376票を得て13回目の当選を果たしました。2016年からは裁判官訴追委員会委員長の要職を務めています。
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