書籍:『民王』
著者:池井戸 潤
出版:文藝春秋
発行:2013.6.7
「金融キキンによる、あー、ミゾユーの危機にジカメンいたしており、景気は著しくその、テイマイしておるところでございます」。このセリフは、『民王』の中で語られる内閣総理大臣の国会答弁である。数年前の麻生太郎元総理の答弁を思い起こさずにはいられない。麻生さんが「未曾有」を「みぞゆう」、「踏襲」を「ふしゅう」と読んで「漢字が読めない総理」と馬鹿にされお茶の間の話題をさらったのは、まだ記憶に新しい。麻生さんが読めないのは問題だが、おバカな大学生が読めないんだったら?……総理の顔をしているけれど、実は中身はボンクラ大学生だったとしたら?『民王』は、そんな奇想天外な設定で総理大臣の奮闘の日々を描く。
総理大臣に就任し意気揚々としていた武藤泰山は、国会中に突然、耳鳴りのような声を聞く。休憩を挟もうと立ちあがった途端、見えた景色は、割れたシャンパングラスにこぼれ散ったワイン、薄暗い店内でざわめく若者たち。一人息子の翔が遊びに来ていた六本木のクラブだった。一方の翔も、からんでくる女を振り切ろうと立ち上がった途端、視界が変わった。全議員に注目される中、そこが国会だとわかるまでしばしの時間を必要とした。
入れ替わってしまった彼らはどうなるのか。ろくに大学にも通っていない学生が、どう国会を乗り切るのか。ふんぞり返った政治家が、就職試験で面接官にどう向き合うのか。そもそも、彼らはなぜ入れ替わってしまったのか。政権をめぐる政界の陰謀にまんまとはまった彼らを救う手は……?
ハチャメチャな設定に呆れるかと思いきや、読み進めると描写はなんともテレビ的で、コミカルに進むストーリーは読む者を飽きさせない。官房長官のスキャンダルを執拗に追及してくるマスコミに、実は単なる学生に過ぎない翔が言う。「いったいあんたたちの仕事はなんなんだ。人の私生活を暴いて、女とああしたこうしたと書き立てることか?……いったいお前ら、政治家としての狩屋孝司をどう評価してるんだ……よく考えてみろ。官房長官としての狩屋になにか落ち度があったか?」小気味よい翔の発言には、ぐうの音も出ない。
ここぞとばかりに攻撃する野党議員の質問にも「ここは予算委員会だろうが。日本の国家予算を論じる場のはずだ。それなのに、さっきから……くだらねえ質問ばっかりじゃねえか」と一蹴。実に胸がすく。
議員の息子として親の金で遊びほうけ、一生懸命やダサいことを避けてきた翔だが、自らの体に戻った後に言う。「苦しくて逃げたいと思う時も、どこかになにか次の幸せにつながる欠片が落ちてると思う。俺は今日、その欠片をひとつ拾った。俺たちが、俺たちであるために、乾杯しよう」……なんてクッサいセリフ。中途半端で斜に構えた学生でも、本気で考え、自らの言葉で語れる機会があれば、変わるのだ。『民王』は、ノリで読める娯楽小説というだけではない。ニヒルだけれど全てを否定してしまうこともできない若者の成長を描く青春物語でもあるのだ。
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