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小説家が紡ぐことば 『ぼくらの民主主義なんだぜ』(書評)

2015/8/26

川上伊織

川上伊織

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書籍:『ぼくらの民主主義なんだぜ』
著者:高橋源一郎
出版:朝日新聞出版
発行:2015.5.13

 

高橋源一郎というひとの書を評するのは、難しい。文章は極めてやさしく、難解なテーマでも語り口調で解説し、さらりと問題点を際立たせる。心にも響く読みやすい文章なのに、軽く流してしまえない筆者特有の口調が、頭に残って離れない。それはきっと、高橋源一郎というひとが、小説家だからだ。

著者によると、小説家というのは、炭鉱のカナリアだそうだ。炭鉱に入って毒ガスの存在をいち早く知らせる。自ら「小説家って普通の人たちより少しだけ感受性がこまやかで、世界の変化を敏感に感じ取るセンサーとかアンテナの役割を果たしていると思うんです」と言う通り、彼は繊細なのだ。

そのセンシティブな彼が、おおよそ繊細さとは似つかわしくない政治やジャーナリズムといった領域で発表した論考をまとめたものが『ぼくらの民主主義なんだぜ』である。「クソ民主主義にバカの一票」と題した2014年12月の回では、同年に行われた総選挙を振り返って、投票したい候補者がいないために無力感にかられつつも、有権者が前に進む方法を考えている。同じく作家であり、政治家である田中康夫氏の文章を引きつつ、「こういうことばを選べる政治家が多ければ、有権者も絶望しないですむのだけれど」と。

確かに、ことばを選べる政治家は少ない。小泉純一郎のようにキャッチーなフレーズを使えるということではなく、橋下徹のように時勢を捉えて言葉を操る技術を有しているということでもなく、自らのことばで相手と対話できるひと。誰が思い浮かぶだろうか。

一連の論考を依頼されたとき、著者が、断る口実としていくつか考えた理由の一つに「政治や社会のことばは、小説家の源泉にある大切な泉を干からびさせてしまうんじゃないだろうか」という危惧があったという。それほどまでに、政治や社会の言葉は、人の心を動かす文学のことばとはかけ離れてしまっている。だとしたら私たちは、早急にことばを取り戻さなければならない。

炭鉱に入れられたカナリアは、毒ガスの存在を周囲に知らせたら、自らはその毒にやられて死んでしまう。その儚さと不条理性、そして、おそらくは生きることに対して背負っている使命感とを享受して筆を取っている筆者の覚悟に、彼の文章を評しようとする読み手の私は、ためらいを覚える。やわらかいけれど両手で包むにも息を殺さなければならないような緊張感が背後にあって、手強い。「ぼくらの民主主義なんだぜ」なんて、語り口で軽く書いてはいるものの、著者が「民主主義」ということばを考えるに費やした膨大な時間の存在を、そこに思う。読者にそうさせるだけの力を持つのが、高橋源一郎というひとの作品である。

 

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川上伊織

川上伊織

零細メディアにて約7年間、本の紹介コーナーを担当。絵本からビジネス書まで多岐にわたって、要約、書評、著者インタビュー、文学賞の取材などを行う。選挙に関わる人たちの近くで仕事をするようになって久しいものの、選挙の知識は相変わらず門前の小僧程度。日々精進します。

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