さとう しゅういち ブログ
社説 三原も上安も続く汚染水垂れ流し 産廃行政の弛緩は自治体の統治能力を問う
2026/6/30
◆社説 三原も上安も続く汚染水垂れ流し 産廃行政の弛緩は自治体の統治能力を問う
三原本郷産廃処分場では、住民調査で基準の五倍、行政調査では七倍超の汚染水が恒常的に流出している。
これはもはや「偶発的な事故」ではない。構造的汚染であり、行政の監督不全そのものだ。広島地裁が2020年に設置許可取消を命じた判断を、先日広島高裁が覆した。
だが、司法判断の変転を理由に、行政が身動きできないとするなら、それは統治の放棄である。
廃棄物処理法は、現在進行形の生活環境保全上の支障があれば、行政はいつでも許可を取り消せる。
裁判の勝敗は、行政の責任を免じる免罪符ではない。それにもかかわらず、広島県は「慎重な検討」を繰り返し、三原市・竹原市の要望書提出後も、なお腰を上げない。
汚染が続いているのに、許可取消に踏み切らない行政は、もはや行政ではない。
これは“判断の遅延”ではなく、“判断の放棄”である。
広島市の上安産廃処分場も同様だ。
森林法違反疑い、不適切盛り土、野積み状態、PFAS汚染の可能性——問題は山積している。
政令市である広島市が管轄しながら、実態調査すら十分に行われていない。
県と市の縦割りが原因だというなら、なお悪い。
縦割りを理由に危険を放置する行政は、統治機構として失格である。産廃行政は、自治体の“統治意思”を映す鏡だ。
汚染が続いているのに、許可取消に踏み切らない——この事実は、
「行政は住民の生命・環境よりも事業者の都合を優先する」
という、最もあってはならない疑念を生む。
本郷も上安も、行政が本気で動けば、許可取消は可能だ。
必要なのは、法的根拠ではない。
統治の覚悟である。
広島県・広島市は、惰性と先送りの政治文化を捨て、
汚染の恒常性を直視し、直ちに許可取消を検討すべきだ。
それが自治体としての最低限の責務である。
さとう しゅういち
サトウ シュウイチ/50歳/男