2026/6/22
粕屋町の議会の中でも発言しているが、
日本で生活する上で私には何も不満はない。
何故なら、日本ほど行政サービスが行き届いとる国など殆どないからだ。
一時的な海外旅行ではなく、一定期間を海外移住した日本人なら、客観的に日本の公的制度の凄さを感じるのではないだろうか。
一つ例を挙げれば、
国民皆保険制度。
そんな私であるが、今、日本の問題が何か、と問われれば、少子化ではなく、親の介護、及び、高齢になった時の自分の介護。
これらは、将来の不安材料だ。
本題に移る。
ヤフーに上がったABEMA TIMESの記事を拝借。
22日の衆議院の予算委員会で、日本維新の会の議員が、将来のあるべき社会保障制度について国民会議で議論すべきと指摘。
2040年には「要介護認定者」が900万人を超え介護士不足になる可能性を指摘。
現在が約700万人。
200万人が増えるということかな。
私には、現在、87歳の父、85歳の母、が自宅で生活しているのだが、
体力の衰え、認知機能低下、等々、
毎月1回、県外の両親のもとへ様子を見に行くのだが、
介護という現実が我が家族にも遂にやってきたか、と実感せずにはいられない。
数年前までは、
父母との会話で、
自分自身で下の世話が出来なければ、死にたい、死なせてくれ、という話を良くしたものだ。
しかし、それは、ある意味本人の願望であり、日本の法律がそのようなことを認めていない現状、何が何でも生き続けねばならない、選択肢は、自分の意志と違っても生かされ続けるしかいないんだな。
それを前提に考えると、
本当に近い将来、施設で生活してもらう、ということ以外に手段はないのかもしれない。
こんなことでいいのだろうか?
という問いを両親に会う度に感じるわけだ。
本人たちが望んでもいないのに施設で生活。
ただ死を待つのみという人生が楽しいはずもない。
こんな問題があるのを知っていながら、政治は、何ら動こうとしない。
国会議員は何をしとるんだ。
と私には映るんだな。
こんな苦しみをあと何人の人に強いるんだ、と。
長く生きたい人は今まで通り。
しかし、そうでない人、自分が自分でなくなった時には、死を選べる選択肢を与えてやるべきじゃないのかね。
私は、今まで、親戚が人里離れた施設に入り、死んでいく姿を数例、見てきた。
私の名前も、顔も、誰だかわからない状態で、生き続けている・生かされ続けている親戚を見ながら、自分は、このような最期を迎えたくない、こんな施設に入りたくない、と切実に感じたものだ。
兎に角、日本は、治安も良く、本当に住みやすい社会なんだが、一つだけ、欠点を申すなら、人生の最後を自分らしく死ねないということではないかね。
介護予備軍の人たちにとって、
あなたは、どのような最期を送りたいんだ、という声を上げてほしいものだ。
まだ元気なうちに、あなたの思考力がまだ健在な時に。
私は、安楽死の合法化、尊厳死の合法化、を日本社会に必要と思うがね。
!!!

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