今、大阪では3度目の「都構想」に向けた動きが、 再び慌ただしくなっています。
法定協議会の設置が可決され、
またあの「賛成か、反対か」の激しいぶつかり合いが始まろうとしています。
私は、製造業の現場で長く実務に携わってきました。
現場の人間にとって、新しい手法を取り入れることは日常的なことですが、
それ以上に大切にしている工程があります。
それが「検証」です。
実際に形にしてみて、 それが本当に設計通りの精度を出しているのかを検査し、
不良率は下がったのか、費用対効果は見合っているのか。
もし、思ったような成果が出ていなければ、 意地を張ってその手法を押し通すことはしません。
どこに不具合があったのかを徹底的に洗い出し、 設計を「修理」し、
あるいは第二、第三の手があるのかどうかを検証し、軌道修正します。
それが「実務」というものです。
翻って、今の大阪の都構想を巡る議論はどうでしょうか。
2015年、そして2020年。
大阪市民は二度にわたって、微調整した案を住民投票という形で「NO」の審判を下しました。
それにもかかわらず、また3度目の微調整を強行しようとする動きに対し、
多くの市民が「またか」と、 疲弊し、呆れているのを感じます。
私は維新支持でも、反維新でもありません。
特定の党利党略に与することのない 「是々非々」の立場を貫く無所属の候補者です。
主権者は市民であり、政党や会派、議員や首長、行政ではありません。
だからこそ、今の大阪に最も欠けているのは、 イデオロギーの対立ではなく、
これまでの「改革」に対する「冷静な検証」だと確信しています。
私たち主権者の選択は本当に「YESかNO」しか無いのでしょうか。
身を切る改革や行政の効率化。
それ自体は確かに否定されるべきものではありません。
しかし、その「改革」によって、私たちの暮らしは本当に良くなったのでしょうか。
大阪市が3,000億円もの貯金「財政調整基金」を積み上げる一方で、
足元の下水道の5割が寿命「耐用年数50年」を超え、
年間約170件もの道路陥没が起きている事実に、
どれほど行政が、議会が向き合っているでしょうか。
華やかなIR事業や万博の跡地利用、そして都構想。
一発逆転のような大きな話ばかりが目立ちますが、 現場の目から見れば、
それは「基礎がボロボロのまま、豪華な屋根を載せようとしている」
危うい設計図に見えて仕方ありません。
「賛成」の人は、改革のスピード感を止めたくないと言う。
「反対」の人は、大阪市がなくなることの不安を訴える。
この二項対立の間に、 「論理や数値に基づいた中立な検証」という第三の道はないのでしょうか。
地方議会は「二元代表制」であり、 本来は行政の監視役であるはずです。
首長の与党となって追認するだけの機関であってもいけないし、
何でも反対するだけの組織であってもいけません。
喧々諤々の議論を尽くしたと、言葉で語るだけでなく、
議事録の公開や結果で語るのが本来のあり方だと考えています。
私は、国政政党のしがらみがない立場から、
大阪の「設計図」を徹底的に検証します。
良いものは伸ばし、ダメなものはダメだとはっきり言う。
「都構想」という看板を掲げることにエネルギーを費やす前に、
まずは目の前のインフラ老朽化や、 空洞化する製造業の再生、
そして孤立する高齢者福祉といった「市政の不具合」を修理すべきと考えています。
改革の次に必要なのは、次なる改革ではなく、
一度立ち止まって行う「精密な点検」と「実務的な修理」です。
いつまでも改革ばかりだと、一周回って同じ場所に行きつきます。
作業着姿の人間が、厳しい目で市政を計算し、 ごまかしのない答えを出す。
そんな政治が、二項対立に疲れた大阪には今、必要なのではないでしょうか。
私たちは、政治の力学での勝ち負けが見たいのではありません。
自分たちの住むこのまちが、
10年後、50年後も「普通に、安心して暮らせる場所」であってほしい。
ただそれだけのはずです。
平野区の皆さんと共に、 感情論ではない「納得のいく大阪」を、
実務者の誠実さで築き上げていきたい。
それが、私が今回立ち上がった、 一番の理由です。