2026/8/11
先日、NHKのテレビ「こころの時代」で、今年の二月に亡くなった、生物学者であり哲学・思想家である最首 悟(さいしゅ さとる)さんのことを、放送していました。
番組は、最首さんと、知的障がい者施設「津久井やまゆり園」の入所者19人を刺殺した元職員・植松聖死刑囚との、手紙のやり取りから始まりました。
現代においては、何についても、わかっていないと、馬鹿ばかにされる風潮があります。わかっている人、物知りが偉いように思われています。しかし最首さんは、わからないというところに、真実が開かれると言います。たとえば、宇宙について研究すればするほど、わからない、奥行きが深く、すごいことだという、真実が見えてくると言います。
ガリレオ・コペルニクスが地動説を説くまで、人々は太陽が地球を回っていると「わかっている」と、学者だけてはなく、皆が思っていました。太陽が地球を回っていると「わかっている」と思っていたために、宇宙に、とてつもない奥行きががあるとは、誰も全く思いもよりませんでした。
私の叔父に物理学者がいたのですが、私が高校時代に「真理はあるのか」と尋ねたところ「固定した真理などはない。わからないということが、真実だ。だからこそ、謙虚な姿勢で研究し、世界全体、存在そのものの声を聞き、教えてもらうしかないのだ」と言われ、感銘を受けたことを思い出しました。
宇宙についていえば、ダークマターだけでなく、何故太陽の表面温度は約6000度なのに、太陽から離れたコロナとよばれる宇宙空間が、100万~200万度という、とてつもない高温なのかわからない。掘り下げれば掘り下げるほど、ますますわからないことだらけだということが、いよいよ露わになってきている。だからこそ、宇宙におどろき、感動し、謙虚になれるのです。
しかし、わからないという真実は、実は宇宙についてでだけでのことはなく、あらゆる出来事、人間関係にについても、そうなのです。
自分はわかっていると思っている人には、謙虚さがありません。そして、「わかっていないのではないか」と指摘されると、ブチ切れるのです。
年配の人は、自分は経験が長いから、若いもんより「オレはわかっている」と思っているため、若者の声を謙虚に聞くことができません。

古代ギリシャの哲学者・ソクラテスが死刑判決を受けたのは、わかっていると思っている人々に問答を仕掛け、実は何もわかっていないことを暴いたために、恨みを買ったからです。
最近、地元の市のある関係者と話しているときに、私がつい、「この問題は奥が深いので、なかなか簡単にはわかないでしょう」と申したところ、その人は突然「オレはちゃんとわかっている。馬鹿にするな」と突然、激怒されました。私は、その時、ソクラテスのことを思い出しました。
わからないということは、決して恥ずかしいことではない。わかっていると力んでいても、それは表面のことしかわかっていないかもしれないし、他人からの伝聞や、根拠が怪しいネット情報、あるいは、その人の経験による決めつけでしかないかも、しれないのです。
「わからなさ」を、肯定的に捉える発想そのものが、現代から欠落している。わかっていないことはダメだめなことだ、能力のない証拠であり、馬鹿にされるという脅迫観念が、あふれている。それは合理主義・断定主義・能力至上主義につながっており、知的障がい者は何もわからない、価値のない存在であるという、「わかるということ」に絶対の価値を見ていた故の、知的障がい者大量殺人だったのです。
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ホーム>政党・政治家>高柳 まさひろ (タカヤナギ マサヒロ)>「ほんとうは、わからない」という謙虚な心に「真実の扉」は開く①