2025/10/23
| 小森さだゆき|参政党所属/高槻市議会議員
インドで街を歩いていると、ターバンを巻いた人をよく見かけます。観光客の多くは「民族衣装」くらいに思っているかもしれませんが、実は彼らの多くはシーク教徒です。ターバンは信仰の象徴であり、神への誇りと規律を示すもの。その信仰の中心が、パンジャーブ州アムリトサルにある黄金寺院(ゴールデン・テンプル)です。この街は、隣国パキスタンとの国境にも近く、歴史と緊張、そして文化が交差する場所でもあります。
寺院の外は相変わらずの喧騒で、クラクションや人々の声が響いています。しかし、靴を脱ぎ、頭に布を巻いて門をくぐると、空気が一変しました。聖水池を囲む静かな回廊、黄金に輝く本殿、そして響き渡る祈りの音。そこには観光地とはまったく違う、信仰が日常に生きている空間がありました。

黄金寺院の中でも特に印象に残ったのが、「ランガル」と呼ばれる無料の食堂です。ここでは一日およそ10万人以上の人々に食事が振る舞われています。運営はすべて寄付とボランティアによって成り立ち、誰でも自由に利用できます。裕福な人も貧しい人も、観光客も信者も、同じ床に並び、同じ料理を同じ皿で食べる。そこには差も、上下も、一切ありません。
料理は豆のカレー、チャパティ、野菜炒め、そして甘いミルク粥のような「キール」。どれも素朴であっさりしていて、派手なスパイスもないのに、インドで食べたご飯の中で一番美味しかったと感じました。無料で振る舞われているにもかかわらず、味には一切妥協がなく、食事そのものが信仰の誠実さを物語っていました。

このランガルは、シーク教の理念をそのまま形にしたものです。「神は一つ、人は皆平等」。正直に働き、得たものを分かち合い、奉仕(セーヴァ)を通して生きる。それを教義ではなく、日常の行動で示しているのがシーク教徒です。寺院の厨房では何百人ものボランティアが、巨大な鍋をかき混ぜ、皿を洗い、次々と来る人々に食事を差し出していました。そこには“見返り”も“命令”もなく、ただ淡々とした奉仕の姿がありました。
シーク教徒はインド全体のわずか2%ほどですが、軍や警察、実業界などで高い信頼を得ています。勤勉さと誠実さ、そして互いに助け合う文化を重んじる姿勢が、人々の尊敬を集めています。そして、シーク教徒の多くは自らの収入の約10%を寄付する「ダスヴァンド(Dasvandh)」という伝統を持っています。宗教心が、人々の暮らしの中で自然と“支え合いの仕組み”を作り出しているのです。
黄金寺院を後にするとき、私は強く思いました。日本社会の中でも、確かに“共同体”というものが忘れられていると感じることがあります。格差が広がる時代の中で、宗教という教義が存在する社会には、「喜捨の精神」が培われているのではないか。社会保障制度が十分でない国において、宗教が人を支えるセーフティネットとして機能していることを、この場所で実感しました。そして、その仕組みの根底には、「誰かを見下さず、誰も飢えさせない」という、当たり前だけれど見過ごされてきたものが、宗教という枠の中で確かに息づいているのだと感じました。

| 小森さだゆき|参政党所属/高槻市議会議員
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