2025/10/21
| 小森さだゆき|参政党所属/高槻市議会議員
今から約20年前、あるテレビ番組でインドとパキスタンの国境で行われる“国旗降下式”の様子を見たことがあります。
夕暮れ時、両国の兵士が威勢よく行進し、互いの国旗が高く掲げられたまま降ろされていく光景――その緊張感と迫力に圧倒され、「いつかこの場所を自分の目で見たい」と強く思いました。
そして今回、その思いを胸に、ついにアムリトサルを訪れることができました。

アムリトサルは、インドとパキスタンの国境に位置する町です。
この町の名を聞くと、多くのインド人がまず思い出すのは「分断の記憶」です。
1947年、イギリスから独立したインドは宗教を軸に東西に分けられ、西側がパキスタンとなりました。
その線引きを担ったのは、イギリスの法学者サー・シリル・ラドクリフ。彼は南アジアの事情をほとんど知らないまま、わずか数週間という短期間で国境線を決めたといわれています。
机上で引かれた線は、多くの村や家族を真っ二つに分断しました。
誰がインド人で、誰がパキスタン人になるのか――それは信仰によって決められ、人々は突然、敵と味方に分かたれました。
列車が襲われ、町が焼かれ、およそ100万人が命を落としたこの出来事は、「印パ分離」として今も深い傷を残しています。
当時、アムリトサルの駅には「死の列車」と呼ばれる列車が何本も到着しました。
難民を乗せてパキスタンから逃れてきたはずの列車でしたが、駅に着いた時には車両の中の全員が殺害されていた――そんな惨劇が何度も繰り返されたのです。
「列車で帰れば助かる」と信じて乗り込んだ人々が、二度と目的地にたどり着くことはありませんでした。
それほどまでに、国が分断されるということは人々の心まで引き裂く出来事だったのです。
ワガ国境に立つと、日没前から観客が集まり、太鼓やラッパの音が鳴り響きます。
両国の兵士が誇りを胸に力強く行進し、互いの旗が100メートルを超える高さで翻ります。

緊張の中にも、どこか儀式のようなリズムがあり、国の威信を示す場であると同時に、戦争を抑止するための「象徴的な対峙」のようにも感じられました。

アムリトサルでは、ヒンドゥー教、イスラム教、そしてシーク教の礼拝所(シーク寺院)が同じ通りに並び、人々は過去の痛みを抱えながらも日常を続けています。
宗教の違いを越えて、店を開き、市場を歩き、祈りを捧げる――その姿には、争いを超えて生きようとする人間のたくましさがあります。

大陸にある国境というのは、ある日突然そこに線が引かれ、秩序が崩れ、そしてその線を守らなければ常に侵略される現実が生まれる。
アムリトサルに立つと、国境とは理想や理念ではなく、現実としての「緊張と防衛」の象徴なのだと痛感しました。
日本のように海が境となる国では想像しにくい、陸続きの国家の宿命がそこにはあります。
多くの人が命を落としたあの混乱の中で、アムリトサルはどうやって再び立ち上がったのか。
独立・分離直後の1947年からしばらくの間、この地域はまさに地獄のような状況でした。住宅の4割が破壊され、家族を失った人々が町に溢れ、誰もが「次に襲われるのは自分かもしれない」という恐怖の中で暮らしていました。
しかし、その後の数年で少しずつ秩序が戻り始めます。
政府や自治体が難民キャンプを設置し、追われてきた人々のための住宅や土地を確保しました。
かつて敵対していた宗教の人々も、日常生活を取り戻すために同じ市場や道を共有し、徐々に“暮らしの再構築”が進んでいきました。
宗教の対立を越えて、人々が再び店を開き、寺院やモスク、そしてシーク寺院の鐘と祈りの声が同じ空に響くようになったのです。
それは、誰かが指示したわけではなく、「生きるために共存するしかなかった」という現実の中から自然に生まれた平和でした。
そして時が経ち、2017年には「分離の記憶博物館(Partition Museum)」が設立されました。
当時の惨状と、その後の再建の歴史を伝えるこの施設は、かつての悲劇を“過去のもの”として忘れるのではなく、記憶として残し、次の世代に伝えるための場所です。
もう二度と同じ過ちを繰り返さないという、人々の静かな決意の象徴となっています。
アムリトサルは今、インド北部を代表する信仰と観光の町として再び活気を取り戻しています。
大陸の深い歴史を知る有意義な訪問になりました
| 小森さだゆき|参政党所属/高槻市議会議員
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