みさわ ひろと ブログ

嫌われても議論すべきことがある。30歳の人生哲学と、私が議会で向き合いたいこと

2026/7/8

長岡西倫理法人会モーニングセミナーでの講話に向けて、練習も兼ねて動画を撮りました。テーマは「嫌われても議論すべきことがある」。幸福、自己責任、生活、SNS炎上、そして長岡市議会で向き合うべき議論について、30歳の今の自分なりの考えを話しています。
 

文字起こしはこちら💁


皆さん、おはようございます。

今日は、明日予定している倫理法人会での講話に向けて、練習も兼ねて動画を撮っています。

実際の講話は45分間です。
どんなことを話そうか、自分の中で大体まとめたので、練習用としてお話ししていきたいと思います。

それでは、改めまして。

皆さん、おはようございます。

本日は、長岡西倫理法人会モーニングセミナーという貴重な場にお呼びいただき、心より感謝申し上げます。
長岡市議会議員の三澤寛人です。

今日のテーマは、

「嫌われても議論すべきことがある」

です。

そして副題として、私は今30歳ですので、

「30歳の人生哲学」

とさせていただきました。

最初に、正直なことを申し上げます。

私は、倫理法人会という場で、皆さんに偉そうに何かを教えられるような人間ではありません。

道徳的にも、倫理的にも、人格的にも、皆さんに比べて優れているとは全く思っていません。

今年の1月20日に30歳になりました。
人生経験としても、まだまだ浅いです。

今だって迷いながら、悩みながら、時に自分に負けながら、日々を過ごしています。

簡単に自己紹介をします。

私は青森県の出身です。
青森にいたのは中学生までで、その後は神奈川県にある自衛隊系の学校に進みました。

卒業後は、陸上自衛隊の航空科に配属され、ヘリコプターの整備をしていました。

その後、いろいろな仕事を経験し、佐川急便で働いていた時に今の妻と出会いました。

妻と一緒に新潟に家を買い、長岡に移住しました。
長岡に家を買ったのは、だいたい23歳の頃です。
長岡に来て、今年で7年目になります。

今は4人の子どもを育てながら、地域活動に関わり、市議会議員として活動しています。

ただ、こう話すと、一般的ではないにせよ、まっとうに生きてきたように聞こえるかもしれません。

でも実際には、人に誇れるような立派な人生ではありませんでした。

失敗して、逃げて、挫折して、悩んで、また少し動いて。
その繰り返しです。

ですので、今日は成功談ではありません。

30歳という短い人生の中で、何度も失敗し、何度も挫折し、何度も心が折れながら、それでも私が考えてきたこと。

そして市議会議員として、なぜ賛否が分かれるテーマに向き合おうとしているのか。

それを、等身大の話としてお伝えしたいと思っています。

今日の話の中心は、大きく2つです。

1つは、人の心を作るのは、考え方や哲学ではなく、生活なのではないかということ。

もう1つは、時に嫌われても、議論しなければならないことがあるということです。

この2つを軸に、お話しさせていただきます。

今日の流れとしては、最初に簡単な導入と自己紹介をしました。
この後、私の「30歳の人生哲学」をお話しします。

その後、議会での議論について、そして長岡でこれから議論しなければならないと私が思っているテーマについてお話しします。

最後に、結論として、今の私が一番大事だと思っていることをお伝えしたいと思います。

まずは、30歳の人生哲学から始めます。

最初は、幸福についてです。

最近、新潟県内でとても印象的な選挙がありました。

田上町長選挙です。

2026年5月31日に投開票があり、佐野恒雄町長が3期目の当選を決めました。

得票は、佐野町長が3,030票。
相手候補が3,029票。

わずか1票差です。

まさに町を二分する選挙だったと思います。

その佐野町長が、「幸福度ナンバーワンの町を目指す」という趣旨のことを話されていました。

私は、これを聞いた時に、少し引っかかりました。

もちろん、町民の皆さんに幸せになってほしいという気持ち自体は、すばらしいことだと思います。

ただ、私は個人的に、幸福を目指しすぎることが、かえって不幸の入り口になるのではないかと思っています。

例えば、日本で一番自殺率が低かった自治体として知られている、徳島県の旧海部町という地域があります。

この旧海部町は、自殺率が非常に低い町として研究されてきました。

では、その町の人たちは、みんな自分のことを幸せだと思っていたのか。

実は、そうではありません。

旧海部町の幸福度は、近隣の市町村と比べて高かったわけではなく、むしろ低かったという紹介もあります。

一方で、自分は不幸だと答える人も少なかった。

つまり、すごく幸せなわけではない。
でも、別に不幸でもない。

そういう感覚の人が多かったということです。

私はここに、大事なヒントがあると思っています。

人間がしぶとく生き続けるためには、「すごく幸せ」になることよりも、「別に不幸ではない」と思えることの方が大事なのではないか。

もっと幸せになりたい。
もっといい生活がしたい。
あれも欲しい。
これも欲しい。

そう思い始めると、限度がありません。

世の中には、自分ではコントロールできないことがたくさんあります。
だから幸福を求めすぎることは、時に不幸の入り口にもなるのではないかと思います。

もちろん、不幸になってはいけません。
不幸を放置していいという話ではありません。

ただ、政治や行政が目指すべきなのは、幸福の最大化というよりも、不幸の最小化なのではないかと思っています。

最大多数の最大幸福という考え方もあります。
でも、そこを追い求めすぎると、なかなかうまくいかない。

それよりも、人生が転落しても自殺しなくてよい社会。
生活が苦しくなっても、もう終わりだと思わなくて済む社会。

そういう世の中を作ることが、政治や行政の一番大事な役割なのではないかと思っています。

これが1つ目の人生哲学です。

幸福を求めすぎることは、不幸の入り口になるのではないか。

続いて、2つ目です。

自己責任なんて、ほとんど存在しないのではないかという話です。

これは、法律的な責任と道徳的な責任を分けて考えなければいけないと思っています。

法律的な責任は当然あります。

犯罪を起こしたら、きちんと罪を償わなければなりません。
人を傷つけたら、その責任は負わなければなりません。

社会の秩序を守るためにも、法律的な責任は必要です。

ただ、道徳的に見た時に、本当にすべてが本人だけの責任なのか。
そこには疑問があります。

私は、自由意思というものは、実はかなり限られているのではないかと思っています。

なぜなら、人間の人格が形成される上で、環境の影響を大きく受けているからです。

例えば、山上徹也被告の事件があります。

あの事件は本当に悲しい事件です。
私は安倍元総理が好きでしたので、本当に許せないという気持ちは前提としてあります。

ただ一方で、自分が彼と全く同じ人生を送っていたら、絶対に同じようなことをしなかったと言い切れるのか。

私は、そこまで言い切れません。

家族が宗教に深く関わり、高額な献金によって自己破産し、家族も失い、自分自身も仕事や生活の土台を失っていく。

守るものが何もなくなってしまった時、人は「無敵の人」のようになってしまう可能性があると思います。

あの事件は山上被告だから起きた、というだけではないと思います。

誰であっても、同じような境遇で生きてきたら、怒りの矛先が社会に向かってしまう恐れはあるのではないか。

だから私は、道徳的な意味での完全な自己責任は、ほとんど存在しないと思っています。

良いことも悪いことも、世の中や周りの人たちと少しずつ共有されているものなのではないかと思います。

例えば、殺人をして死刑囚になる青年がいたとします。

もちろん、法的にはその人が罪を償わなければなりません。

でも、その人が子どもの頃に、助けてくれる大人が1人もいなかったのか。
もし、導いてくれる大人がいたら、違う人生になっていたのではないか。

そう考えると、道徳的には、周りの人や社会にも、ほんの少しずつ責任があるのではないかと思うのです。

自分に何かできたのではないか。
そう思うことは大事だと思っています。

だから、私の中の哲学としては、完全な自己責任はほとんど存在しないのではないか、ということです。

とはいえ、すべてを自己責任にしてもいけないし、すべてを他人の責任にしてもいけません。

大事なのは、バランスです。

私の中ではこう考えることにしました。

うまくいった時、成功した時、選挙に勝った時。
そういう時に、「これは自分だけの成果ではない」と思える人間でありたい。

手伝ってくれた人がいる。
支えてくれた人がいる。
周りの人のおかげで、この結果がある。

そう認識できる人間でありたいと思います。

一方で、誰かが奈落の底に落ちてしまった時。
うつ病になったり、人生がどうしようもなく苦しくなってしまった人と向き合った時。

その人に、簡単に自己責任を押しつけたくありません。

いろいろなことがあったんだろう。
辛かったんだろう。
周りの人にも、きっとできることがあったんだろう。

そう思える人間でありたいと思っています。

これが2つ目の人生哲学です。

自己責任なんて、ほとんど存在しないのではないか。

続いて、3つ目です。

死にたくなったら寝ろ、です。

私はわりとネガティブな人間です。
1人が好きで、誰かとコミュニケーションを取るより、家の中で1人でじっと物事を考えている方が好きです。

でも、そういう性格は、時にどつぼにはまります。

考えすぎて、どんどん悪い方向に入ってしまうことがあります。

そういう時に意識しているのが、

「死にたくなったら寝ろ」

ということです。

これは、脳科学的にもある程度根拠があるようです。
人間は寝ている時に、頭の中の記憶や感情を整理すると言われています。

本当に辛くてどうしようもない時は、できる限り身体を休める。
脳を休める。
寝る。

これが大事だと思っています。

もちろん、眠りたくても眠れない時はあります。
夜、寝なければいけないと思っても、目が冴えて、頭の中がぐるぐる回る。
常に警戒モードになって、眠れない時もあります。

それでも、寝られるなら寝た方がいい。
睡眠は本当に大事だと思っています。

これが3つ目です。

死にたくなったら寝ろ。

続いて、4つ目です。

今回、私が一番大切なのではないかと思っていることです。

人の心を作るのは、考え方や哲学ではなく、生活なのではないかということです。

私は心身の体調を崩したことがあります。

子どもが4人いて、家族がいて、地域活動もあって、政治活動もある。
そういう中で、自分の人生の中でもかなり大きな出来事が重なり、本当に疲れてしまった時期がありました。

その時に、いろいろな考え方や哲学、言葉に触れました。

考えすぎなんじゃないのか。
実際、ほとんどの人はあなたに興味がない。
そういう言葉も、頭では分かっていました。

でも、頭で分かっていても、心がついてこない。

深い沼から抜け出すのは、本当に難しい。

では、結局何が自分を救ったのか。

それは生活でした。

考え方や哲学は、心身の調子が本当に悪くなった時には、なんの役にも立ちませんでした。

うつは心の病気と言われることもありますが、私は脳の病気だと思っています。
脳内で分泌される物質の異常です。

だから、少し考え方を変えたくらいで治るものではありません。

結局、酒やタバコを控える。
夜はしっかり寝る。
朝ごはんを食べる。
少し運動する。
朝の日差しを浴びる。

そういう日々の生活でしか、自分の心は救えない。
心は作られない。

今はそう思っています。

哲学や考え方を学ぶことも、もちろん大事です。

でも、まずは生活を見直すこと。
生活が心を作る。

これが、今の私の一番大きな結論です。

続いて、拡散する側の責任についてです。

最近はSNSの時代です。
私自身もよく炎上して、反省することばかりです。

自分自身、倫理的にも人間的にも未熟だと思っています。

そのうえで、ネットを使う人たちにも気をつけてほしいと思っていることがあります。

それが、拡散する側の責任です。

最近、西日本シティ銀行で個人情報漏えい事案がありました。

若い女性職員が、執務室内の動画をSNSに上げてしまった。
BeRealというSNSです。

そこにはホワイトボードなどが映っていて、顧客8名分の情報や、法人19社の名前が閲覧可能になってしまったということです。

もちろん、投稿した人の責任は重いです。
そこは大前提です。

ただ一方で、それを拡散する人も罪深いのではないかと思います。

個人情報は、不特定多数の人に知られるから被害が広がります。

本人が消した後でも、暴露系のアカウントやSNS上の人たちがどんどん広げてしまう。

この人たちに罪はないのか。

私は、すごく疑問に思います。

例えば、誰かがタバコをポイ捨てしたとします。

それは悪いことです。
大前提として、やってはいけないことです。

でも、それを見た周りの人たちが、

「あいつがタバコをポイ捨てしたぞ」
「もっとみんなに知らせよう」
「もっと燃やそう」

と言って、そこにガソリンをかけて大炎上させたとします。

本当の火事であれば、ガソリンをかけて火を大きくした人たちも捕まるはずです。

でもSNSになると、理性のたがが外れることがあります。

悪いことをした人を広めることは正義なんだ。
そう思ってしまうのかもしれません。

でも、その行為によって困る人を増やしています。
個人情報をさらに広げています。

あなたはガソリンをまいているのと同じではないか。

そう思うわけです。

SNSの世の中になったからこそ、拡散する側の責任をもっと自覚しなければならないと思います。

正義感でガソリンをかけていないか。

これは大事な問いだと思っています。

続いて、大人も「大人とは何か」を分かっていない、という話です。

私も10代、20代の頃は、早く大人になりたいと思っていました。

自分で責任を持てるのはいいな。
親の言うことを聞かずに、自分でやりたいことを選べるのはいいな。
そう思っていました。

でも、実際に大人になってみると、

「お前、いい大人なんだから」
「本当に子どもみたいな考え方だな」

と言われることがあります。

では、大人とは何なのか。

そう聞かれると、言葉に詰まる人は多いと思います。

考えても考えても、これという答えはなかなか見つかりません。

つまり、大人も「大人とは何か」をよく分かっていないのだと思います。

私も、いつか答えが見つかるかもしれません。

もし皆さんの中で、「大人とはこういうものだ」と言える方がいたら、ぜひ教えてほしいと思います。

続いて、6割の自己肯定と4割の自己否定です。

人間が前向きに何かにチャレンジしたり、行動したりするためには、少しだけ自信があるくらいがちょうどいいと思っています。

自信がありすぎると、自分が間違っていることを誰かが指摘してくれても、

「いや、俺は間違っていない」
「俺が正しい」

となって、軌道修正が難しくなります。

自己肯定しすぎることも、あまり良くないと思います。
それは自己愛につながってしまうことがあります。

一方で、自己否定が強すぎると、一歩が踏み出せなくなります。

私はどちらかというと、自己否定が強めの人間です。

自己否定が強すぎると、何もチャレンジできなくなります。
世の中のあらゆるものが、自分に襲いかかってくるように感じてしまいます。

だから、私の中でちょうどいいと思っているのは、

6割の自己肯定と、4割の自己否定です。

少しだけ自分を肯定する。
でも、自分は間違っているかもしれないという感覚も残しておく。

このバランスが、今の自分には必要なのではないかと思っています。

続いて、肩書きがついたからといって、自分を好きになれるわけではなかった、という話です。

私は20代の頃、自分自身に何もないと思っていました。
自己否定の強い人間でした。

そういう時期は、何者かになろうと必死になります。

実際に私は、市議会議員になりました。

でも、肩書きがついたからといって、自分への評価が大きく変わることはありませんでした。

根本のところは、ほとんど変わっていませんでした。

自分を肯定できないままだった。

つまり、肩書きがついたからといって、自分の満たされないものが満たされるわけではない。

外付けではないのだと思います。

鎧を着たところで、本当に強くなるわけではありません。

世の中の評価や、社会的な地位よりも、自分自身の内面とどう向き合うか。

そちらの方が、ずっと重要なのだと思うようになりました。

最後に、今、自分の周りにいる人を大切にしようという話です。

家族や妻を大事にしようということです。

男女の違いは、弱った時に出ると思っています。

男は、弱った時でもそばにいてくれた女性を大切にした方がいい。

一方で、女性は、弱った時に近づいてきた男性は簡単に信用しない方がいい。

私はそう思っています。

男性は、弱いところを人に見せにくいものです。

本当に内面から弱っていて、言葉にも力がなくなっている時、周りから人が離れていくことがあります。

だからこそ、自分が弱っている時に、それでもそばにいてくれた人は本当に大切にしなければならない。

私自身、精神的に病んだ時期がありました。

人前で30秒の挨拶すらできなくなったこともあります。

大勢が集まる場で頭が真っ白になり、絶句してしまったこともあります。

恥ずかしい姿を、子どもたちや家族に見せたこともありました。

1ヶ月近く、家の布団から出られない事もありました。

それでも、一緒に乗り越えてくれた家族は大切にしなければならない。

今はすごくそう思っています。

ここまでが、私の30歳の人生哲学です。

次に、議会での議論についてお話しします。

テーマは、

「嫌われても議論すべきことがある」

です。

私は、長岡市議会に入って感じたことがあります。

それは、意見が分かれるテーマほど、なかなか議論されないということです。

9対1で賛成されるような話はしやすい。
例えば、「人口を増やしましょう」「子育て支援を充実させましょう」という話は、多くの人が賛成します。

もちろん、それも大事です。

でも、政治家に求められているのは、それだけではないと思っています。

4対6、あるいは6対4で意見が分かれるテーマ。
賛否が割れるテーマ。

そういうものについて、議論を尽くし、一定の方向性を示していくこと。

それが政治家に求められていることではないかと思っています。

議論をするということは、反対する人から嫌われる可能性があるということです。

でも、そこで嫌われることを恐れて何も言わなければ、市民のためにはならないと思っています。

右とか左とか、保守とか革新とか、政治にはいろいろな立場があります。

それぞれ大切にしている分野があります。
でも、それぞれの領分に踏み込まず、お互いに削り合わないと、行政の仕事はどんどん増えていきます。

税金も増えます。
事業も増えます。
でも、削る人がいなくなる。

私は、それは市民のためにならないと思っています。

だからこそ、多少嫌われても、意見が分かれるテーマを議論のテーブルに上げる人が必要だと思っています。

その一つが、救急車の選定療養費です。

簡単に言うと、救急車の有料化に近い議論です。

長岡市では、救急出動件数が年々増えています。

令和5年は、約12,000件。
令和6年は、約12,800件。
令和7年は、約13,200件。

毎年、増加しています。

一方で、現役世代は減っています。
医療や救急のリソースも限られています。

このまま今の救急医療体制を維持できるのか。
私は、考えなければならないと思っています。

三重県松阪市では、救急搬送に関する選定療養費を導入しています。

大きな病院に紹介状なしで受診すると、選定療養費がかかることがあります。
その考え方を、救急搬送にも一定程度適用するものです。

もちろん、救急車を呼んだすべての人からお金を取るという話ではありません。

松阪市の場合、救急搬送されても、医師が緊急性が低いと判断した場合に、一定の費用がかかる仕組みです。

この議論を考える上で、大事なデータが2つあると思っています。

1つは、救急車の到着時間です。

長岡市では、令和6年の平均到着時間が9.4分です。
全国平均より少し短く、新潟県平均とほぼ同じ水準です。

今は、救急体制がよく機能していると思います。

ただ、これから高齢化がさらに進みます。
高齢者人口が最も多くなるのは、2043年頃と言われています。

まだこれから17年ほど、医療や救急の負担は重くなっていく可能性があります。

今の9分台という水準を、今後も守れるのか。

ここは考えなければならないと思います。

もう1つは、軽症割合です。

長岡市の救急搬送に占める軽症の割合は、

令和5年が52.4%。
令和6年が52.9%。
令和7年が52.8%。

つまり、搬送された人の半数以上が軽症です。

もちろん、軽症だったから救急車を呼ぶべきではなかった、という単純な話ではありません。

本人や家族からすれば、本当に危ないと思って呼んだケースもあるはずです。

ですから、完全にゼロにすることはできません。

ただ、もう少し適正利用を促す努力は必要だと思います。

もし軽症搬送を少しでも減らすことができれば、本当に緊急性の高い人に、より早く救急車を届けることができるかもしれません。

救急車や消防は、皆さんの税金で支えられています。
納税者の負担を抑えるという面でも、この議論は避けて通れないと思っています。

もちろん、救急車の有料化には反対意見もあると思います。

誰でも、危険な時に無料で救急車を呼べる。
それが日本の良いところだ。

そう思う気持ちも、すごく分かります。

でも、これから医療体制が厳しくなることを考えると、避けて通れない議論だと思っています。

賛否が分かれるからこそ、政治家が議論のテーブルに上げる必要がある。

私はそう思っています。

続いて、地域活動と任意団体についてです。

私は、健全な任意団体を作るためには、入退会の自由が必要だと思っています。

こんなことを言うと、

「そんなことを言ったら、みんな町内会を抜けてしまう」
「PTAが成り立たなくなる」

と思う方もいるかもしれません。

でも、人によって何に価値を感じるかは違います。
家庭の事情も違います。
時間の使い方も違います。

法律で定められているかのように、強制的に役員をやらせる。
会費を当然のように集める。

そういう形は、これから難しくなると思っています。

PTA、子ども会、町内会。
こうした団体は、本来、任意団体です。

やりたい人と、やりたくない人。
入る人と、入らない人。

どちらの自由も大切にしなければならないと思います。

特にPTAについては、学校に入学すると同時に、入会したものとして扱われることがあります。
会費も、学校が把握している口座情報から引き落とされることがあります。

でも、学校とPTAは本来、別の団体です。

では、入会の意思確認はきちんと行われているのか。

私は、そこが大きな問題だと思っています。

契約の成立には、申し込みと承諾が必要です。
民法522条の考え方です。

ところが、今のPTAは、その手続きを十分に踏んでいないケースが多い。

これは、かなり危ない橋を渡っていると思っています。

町内会は、現金で集めている場合も多く、会費を払ったという事実から、黙示的な同意と見なされる可能性もあります。

ただ、PTAのように、学校経由の口座から自動的に引き落とされる形は、より問題が大きいと思っています。

多様性の時代です。

家庭の事情もバラバラです。
地域活動に参加できない人もいます。

それなのに、お金だけは当然のように払わなければならない。
役員も当然のようにやらなければならない。

それは、これからの時代には合わないと思っています。

さらに、町内会などには、本来行政がやるべきことまで任されている部分があります。

例えば、街灯の管理や、ごみステーションの管理などです。

もちろん地域の協力は大切です。

でも、人が生きていく上で必要な最低限のサービスは、本来、行政が責任を持つべきです。

任意団体は、プラスアルファの活動に集中していくべきではないかと思っています。

入退会の自由をきちんと認める。
入る人にも、入らない人にも、不利益が出ないようにする。

これは、反対する方も多いと思います。

でも、法律を守ること。
時代に合わせること。

これは避けて通れない議論だと思っています。

続いて、消雪パイプの不均衡についてです。

合併してから、長岡市はもう20年近くになります。

しかし、消雪パイプのあり方は、合併前の各地域によってかなり違いがあります。

旧長岡地域や中之島地域では、住民が管理している消雪パイプが多くあります。

一方で、地域によっては行政が管理し、税金で賄っているところもあります。

つまり、ある地域では住民が毎年お金を出している。
別の地域では、市民全体の税金で賄われている。

そういう不均衡があります。

もちろん、地域ごとの歴史や事情はあります。

ただ、合併して20年近く経った今、制度の統一、公平な形への見直しは必要だと思っています。

これも、地域によっては嫌がられる話かもしれません。

でも、嫌われても議論しなければならないことだと思っています。

ここまで、救急車の選定療養費、任意団体、消雪パイプの不均衡について話しました。

共通しているのは、どれも賛否が分かれるということです。

でも、賛否が分かれるからといって、議論しないわけにはいきません。

私は、嫌われる勇気を持って、必要な議題を議会に上げていくことが自分の役割だと思っています。

長岡市議会は、政治家としては上手な方が多いと思います。

敵を作らない。
尖ったことを言わない。
それは選挙を考えれば、正解なのかもしれません。

でも、それが本当に市民のためになっているのか。

私は、そこには疑問があります。

私はこれからも、遠慮なし、忖度なしで、言うべきことを言っていきたいと思っています。

最後に、まとめです。

今日、一番お伝えしたかったのは、心を作るのは生活だということです。

考え方も、哲学も、倫理も大事です。

でも、自分が精神的に崩れた時、本当に自分を救ってくれたのは生活でした。

どれだけ立派な言葉を聞いても、頭では分かっていても、心がついてこないことがあります。

人間が少しでも前向きに生きるためには、日々の生活を見直すしかありません。

ちゃんと寝る。
朝起きる。
日の光を浴びる。
歩く。
走る。
朝ごはんを食べる。
酒やタバコを控える。
人に感謝する。

こういう当たり前の生活が、心を作っていくのだと思います。

私はまだ30歳です。

今日話したことも、間違っていることが多いかもしれません。

でも、時に嫌われても意思表示をしなければならないことがある。

そのために必要な議論から逃げない人間でありたいと思っています。

最後に少しだけ、ワールドカップの話をさせてください。

私は、生きている間に日本がワールドカップで優勝するところを見てみたいと思っています。

この間、ブラジルに負けて本当に悔しかったです。

でも、日本サッカー協会は2050年までにワールドカップ優勝を掲げています。

いつか、日本が優勝する姿を見たい。

その景色を、皆さんとも一緒に見たいと思っています。

そのためにも、長生きしなければいけません。

心と体の健康を保つためには、日々の生活です。

心豊かに、健康に、長生きしていきましょう。

本日は、長い時間ご清聴いただき、ありがとうございました。

長岡市議会議員の三澤寛人でした。

 

率直な感想をコメントでいただけると嬉しいです。
日々の活動はこちらにまとめています。
https://1link.jp/hiroto0120

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著者

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肩書 長岡市議会議員
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