2024/5/31
こんにちは。兵庫県川西市議会議員の長田たくや(ながたく)です。
2023年の8月、参政党議員団で壱岐・対馬研修に行きました。
壱岐・対馬は、まさに国境の最前線。日本存亡の危機であった「元寇」の現場でもあります。
元寇を通じて、国防について一緒に振り返りましょう。三部構成でお届けします。
①開戦前の状況
②元寇1回目(文永の役)
③元寇2回目(弘安の役)(本記事)
元による1回目の侵攻(文永の役)が終わりました。
■ 時宗、次の侵攻に備える
文永の役翌年、元の使者・杜世忠(とせいちゅう)が来日しましたが、北条時宗はすぐに彼らを斬首しました。時宗は尊敬する蘭渓道隆(坊主)から、「宋(中国)は蒙古(モンゴル)を軽視し、だらだら交渉している間に侵略されてしまった」という話を聞いており、戦う決意を固めていました。
フビライは日本への再攻撃を検討しましたが、先に南宗を侵略する方針を採りました。南宋を滅ぼした後、1279年に8回目の使節として周福を派遣しましたが、周福も問答無用で処刑されました。
時宗は、海岸線に防塁を築き、元軍の侵略に備えました。

■ 弘安の役が起こる
ついに、1281年に2回目の元寇(弘安の役)が起こります。元は10万人以上の大軍勢、東路軍と江南軍の2手に分かれ、壱岐で合流する予定でした。しかし、そんな上手くはいかず神風がなくとも撃退できたんじゃないかと思えるほどの戦いぶりでした。
・東路軍の動き
5月3日:合浦(がっぽ)を出航
5月21日:対馬の世界村大明浦に上陸
5月26日:壱岐に侵攻、江南軍を待つも来ず、単独で日本へ突撃
6月6日:博多湾ではなく、志賀島へ侵攻(志賀島の戦い)
6月9日:志賀島から撤退、壱岐で江南軍を待つ
6月29日:壱岐で日本の追撃にあい、平戸(長崎)へ敗走
7月27日:鷹島(長崎)で江南軍と合流し、集結した日本軍との海戦
7月30日:台風(神風)により敗退

次に各地での戦闘について書きます。
■ 弘安の役(対馬)
対馬では元寇に関する記録がほとんど残っていません。日本の必死の抵抗によって、東路軍に多くの戦死者が出たと言われていますが、対馬博物館では元寇に関する情報は確認できませんでした。対馬では、元寇は悲しい記憶として扱われ、朝鮮との国交もあって、記録を積極的に残さなかった可能性があります。

■ 弘安の役(壱岐)
文永の役時、少弐資時(しょうにすけとき)は12歳で戦に参加しました。弘安の役では対馬から来た4万の東路軍相手に、壱岐守護代として戦い19歳で戦死しました。奮戦した若き侍を祀っているのが「壱岐神社」です。
東路軍は対馬・壱岐の攻略後、博多の志賀島に進軍するも日本軍の抵抗に苦しみ、壱岐まで撤退します。江南軍が平戸島(長崎)に到着したとの知らせを受け、壱岐を放棄し平戸島に向けて移動しました。

■ 弘安の役(神風)
7月30日、東路軍と江南軍は鷹島で合流し、平戸経由で太宰府を攻める予定でしたが、台風により壊滅的な被害を受けました。これが「神風」と言われているものです。なんだか印象が違いますよね。もっと大ピンチの日本に対して、奇跡的な風でみんなを助けてくれたような印象を持っていました。
江南軍は南宋の艦船が主力で、強度が弱く、鷹島沖で多くの遺品が発見されています。一方、高麗の艦船は強度が強かったとされています。
元軍はこれ以上の攻撃を続けられず、再度攻撃計画はあったものの、先に内部崩壊により中止となりました。
参照:元寇「神風のおかげで日本がミラクル大勝利」は本当か

■ 戦後
日本では元寇が終わっても領地を奪えなかったため、戦った鎌倉武士たちの俸禄を満足に与えることができませんでした。武士たちの不満が積り、結果的に鎌倉幕府の終わりとなります。強いリーダーシップを奮った北条時宗は、弘安の役後、34歳の若さで亡くなりました(1284年)。
元軍の捕虜は2000~3000人とも言われ、殺害されたとの情報もありましたが、日本側の史料には「捕虜の処遇をどうするかを幕府に伺う文書」が残されており、幕府は捕虜をみだりに殺さないよう通達を出していました。
■ まとめ
もし当時、日本にモンゴル帝国の勢力図が流通していたなら、みんな恐れおののいて戦えなかったかもしれません。また、モンゴルを国内に迎え入れていたらどうなっていたかを考えると、当時の時宗の勇気に感謝せざるを得ません。戦果や防塁の築造を通じてみても、根性論や神風(台風)という運要素だけで勝利したわけではないことがわかります。
現代日本も核武装した国々に囲まれ、尖閣諸島、竹島、北方領土などの領土問題を抱えています。今こそ、歴史を振り返り、必要な法改正を進めて日本を守る姿勢を国民に見せるべき、つまり時宗を真似る時が来ています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
素敵な1日でありますように。
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