「国民ひとりひとりに、日本に、未来に、希望を生むために」――こうしたスローガンのもとに発足した希望の党は民進党と合流し、2018年5月7日に「国民民主党」となることが決定されました。改めて、結党からの224日間をダイジェストで振り返ります。
「希望の党」は、東京都議会の地域政党「都民ファーストの会」がその母体となっています。
発端は、2016年7月31日に行われた東京都知事選挙。当時衆院議員であった小池百合子氏は、所属政党であった自民党の推薦を得ずに立候補し、当選。その後、自民党が筆頭政党であった東京都議会を自身の基盤とすべく、都民ファーストを結成します。翌2017年7月2日の東京都議会選挙では、都民ファーストは、都議会第一党の座を自民党から奪取しました。
一方、国政に目を向けると、自民党所属の衆院議員であった若狭勝(小池氏の議員辞職に伴って行われた補欠選挙で当選する)は、早い段階から小池氏への支持を表明しており、都議選の翌7月3日には、小池氏とともに自民党からの離党を表明します。そして7月13日、若狭氏は政治団体「日本ファーストの会」を結成。国政政党の結成を目指しました。
その後メンバーが水面下で集められ、衆議院解散・総選挙の実施が報じられた9月25日、小池氏は記者会見を実施します。そこで自身が代表を務める「希望の党」を発表しました。
27日には小池氏および結党メンバーとなる国会議員14名による記者会見で「希望の党」の旗揚げを正式発表します。その際には党の綱領、および基本政策も発表されました。
本日の記者会見の様子をご紹介いたします。#希望の党 pic.twitter.com/fKgz5dG8VG
— 希望の党 (@kibounotou) 2017年9月27日
その際の「しがらみを排除」をイメージした動画が話題にもなりました。
希望の党のコンセプト動画です。#希望の党 #総選挙 #日本に希望を #小池百合子 pic.twitter.com/laeeawftdi
— 希望の党 (@kibounotou) 2017年10月12日
結党直後、希望の党にはかなりの期待が寄せられ、たとえばJX通信社が9月23日・24日に行った調査では、都内有権者の投票意向先として自民党の39%に次ぎ、28%という高い数値となっていました。
また、結党の発表に先立ち、小池氏と民進党代表・前原誠司(当時)は極秘に会談を行っており、民進党と希望の党は合流にむけて協議を行っていました。9月28日、臨時国会の召集冒頭で衆議院が解散します。この日の冒頭、前原氏は民進党の常任幹事会において、民進党として比例代表をふくめ公認候補を擁立せず、希望の党に公認申請を依頼=事実上、希望の党と合流することを提案します。
当時の朝日新聞、および毎日新聞が行った緊急世論調査によると、「比例代表の投票先」として1位になったのは自民党でしたが、2位の希望の党と3位の民進党を合わせると、拮抗した調査もありました。この時点では、希望の党にはある程度の期待が寄せられていたことが見て取れます。「安倍VS小池」という形容も、決して大げさではありませんでした。
しかし、ある動きが、希望の党の情勢に大きな影響を与えます。小池氏は民進党におけるリベラル派=安保法制容認、憲法改正支持などの条件を満たさない立候補予定者は受け付けないとの方針を示しました。つまり、民進党全体との合併は否定した形です。こうした発言は、「排除いたします」発言として話題になります。
【希望の党代表・小池百合子都知事記者会見詳報(1)】「リベラル派は排除いたします」「明日は『三都物語』ということで」https://t.co/dn0dVJuQ9o pic.twitter.com/Ssf0vMORtC
— 産経ニュース (@Sankei_news) 2017年9月29日
9月30日、小池氏は日本維新の会の松井一郎代表(兼・大阪府知事)と会談し、互いの本拠地(東京・大阪)での候補者調整を発表します。自由党、日本のこころなどとも調整を行い、さらには、東京・大阪・愛知の三大都市で地方分権を推進する「三都構想」を、愛知県知事・大村秀章氏を交えて発表したことでも話題になりました。
衆院選では、小選挙区198名、比例代表234名(重複197名)、計235名を擁立します。小選挙区単独の立候補者は、静岡5区の細野豪志のみでした。
ここでネックになった点としては、代表の小池氏が「都政に専念する」という姿勢を崩さず、立候補はしなかったことにあります。首班指名候補(内閣総理大臣への指名候補)を擁立せず、国会議員団を代表する「共同代表」も置かないまま選挙に臨んだことも、また国民に不信感を抱かせることとなります。
結果的に小池氏の不出馬、また前述の「排除します」発言が失速を招くこととなり、10月22日に実施された衆院選では蓋を開ければ、民進党リベラル派の受け皿となった立憲民主党が55議席を獲得したことに対し、希望の党は50議席にとどまりました。内訳としては、小選挙区で18議席、比例代表で32席となる形です。小池氏は当日公務でパリに出張しており、この結果に対して「非常に厳しい」とコメントを寄せました。この時点での政党支持率は4.8%(NHKの世論調査参照、以下同様)でしたが、その後凋落が止まることはありませんでした。
選挙後には小池氏の辞任を求める声も出ましたが、「創業者としての責任がある」と続投を表明。しかしながら、共同代表について国会議員に人事を一任する考えを示します。もともとは「代表の一任」によって決められる形となっていましたが、党規約を改正し、年内に共同代表選を行う方針も確認され、調整が行われました。
共同代表については、11月8日、11月10日の両院議員総会で決定するスケジュールとなり、渡辺周氏、玉木雄一郎氏、泉健太氏、大串博志氏の4人が立候補の意思を表明、このうち玉木氏と大串氏が実際に立候補を行いました。投開票の結果、玉木氏が39票、大串氏が14票を獲得し、玉木氏が共同代表に就任することとなりました。
【速報】玉木雄一郎議員が、希望の党共同代表に選出されましたことをご報告いたします。 pic.twitter.com/YtmaFYp5Pt
— 希望の党 (@kibounotou) 2017年11月10日
代表選挙から1週間後の11月20日、小池氏は党側からのオファーを受ける形で「特別顧問」に就任。つまり、玉木氏は「共同代表」から「代表」という形になりました。この時点での支持率は3.2%とカウントされています。
玉木氏の代表就任後の大きな変化としては、合併への強い動きがあります。2017年の年末より、民進党は希望の党、立憲民主党との3党による統一会派の結成を目指し、オファーを行います。このうち立憲民主党は拒否しましたが、希望の党は前向きな考えを表明します。
3月になり、メンバーの衆院議員・大串氏は、「希望の党が解党する決断をすれば、立憲民主党や民進党も含めて合流しやすくなる」「小池さんのカラーを払拭する一番の方法は党自体をいったんなくし、自由に作り直すことだ」などと発言し、解党が必要であるとの認識を新たにしました。
一方政党支持率に目を向ければ、12月に行われた調査では1%台を数え、最後の集計となった4月には0.3%となっていました。もはや政党としては、限界を迎えていたといってもよかったのかもしれません。
希望の党玉木代表と民進党大塚代表は各党の両院議員総会終了後、党首会談を行い、新党結党に関わる調印式を行いました。#希望の党https://t.co/cJLEju2vBb
— 希望の党 (@kibounotou) 2018年4月26日
4月24日、希望、民進両党は国会内で党幹部による新党協議会を開き、新党名が「国民民主党」になると決まりました。同時に26日には松沢成文参院議員団代表らと分党を協議し、松沢氏らが「希望の党」の名称を引き継ぐこととなりました。希望の党の物語は、新たなフレーズに移ります。
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