2012年3月末に第1期生を迎えて開講された「維新政治塾」という塾があります。
「地方から政治を変える」ことを掲げた同塾のWebサイト(https://oneosaka.jp/seijijuku/)には、「大阪都構想や道州制の実現に向けて政治家の育成を目的に設立」と書かれていることからも分かるように、将来的に維新の担い手となる人材の発掘を目指しています。
第1期生募集の際には、現役の議員や公務員など、当初予定していた400人の定員を大きく上回る約3,300人が応募。その中から選抜された888人が入塾しています。
その後は募集を停止していましたが、15年12月に募集を再開しました。今回の応募者は12年より大幅減の200人弱だったことを、地域政党「大阪維新の会」の松井一郎代表(大阪府知事)が、昨年12月28日の記者会見で明かしています。
(参照:産経新聞 http://www.sankei.com/politics/news/151228/plt1512280015-n1.html)
昨年末に公開された募集要項(http://oneosaka.jp/seijijuku_bosyu3/)を見てみると、「『地方から国の形を変える』ため、維新改革を深く理解し、実践する意欲のある塾生を募集します。」と書かれています。
参加資格は、日本国籍を持つ25歳以上の人で、応募の際は、提示されたテーマに沿った論文を提出します。受講期間は約1年間。他党や他の政治団体に所属している人は応募できません。また、受講した人が、必ずしも候補者になれるわけではないということです。
受講料は参加者1人あたり120,000円で、月1〜2回の講義は、維新に所属する議員や外部識者を講師を招くなどしています。
第3期目となる講義は、今年1月からスタート。夏の参院選や次期衆院選を視野に、1月30日には、入塾した176名の塾生を前に、橋下徹前大阪市長(現おおさか維新の党法律政策顧問)が講演を行いました。
(参照:日本経済新聞 http://www.nikkei.com/article/DGXLASHC30H3D_Q6A130C1AC8000/)
同塾から巣立った政治家もいます。「橋下チルドレン」と呼ばれ、注目を浴びた議員の中に、第1期生の上西小百合衆院議員(32=大阪7区、当選2回)がいます。「日本維新の会」(当時)で女性局事務局長を務め、メディアなどでは「浪速のエリカ様」という愛称で呼ばれています。上西議員は、12年の衆院選で運動員が公職選挙法違反で逮捕され、党から厳重注意を受けました。その後、15年3月に衆院本会議を「体調不良」で欠席した直後に男性と旅行をしていたことが報じられ、党を除名処分になりました。現在は無所属で活動しています。
上西議員の他にも、世間を騒がせている維新塾出身議員がいます。「美しすぎる市議」として有名な、小林由佳堺市議(38)です。
小林市議は昨年、配布されていない政策ビラを政務活動費(地方議員が調査・活動する際に支給される費用)から支出したことを問題視されました。この件で小林氏は、ビラの配布業社を「詐欺罪」で刑事告訴しましたが、問題はこれで終わりません。堺市議会は、11年〜14年の政務活動費の支出が不適格だとして、議会に百条委員会を設置し、証人喚問することを決定。先月27日には、市が小林市議を刑事告発したことが発表されました。
(「百条委員会」とは、地方自治法第百条に定められている特別委員会で、疑惑があったときになどに調査し、関係者の出頭などを求めるなど強力な権限を持っています。虚偽の証言などがあると、罰金や禁固刑を課されることもあります。)
15年、「みんなの党」に所属していた議員の一部が「結いの党」を結成しました。その後、「日本維新の会」と「結いの党」が合流し、「維新の党」を結成しました。しかし、橋下・松井両氏に近い「大阪組」と、松野頼久代表近い議員の間で対立が先鋭化し、分裂騒動が勃発。一連の騒動の中で、交付されていた政党交付金を巡って口座が凍結されたことも話題となりました。
紆余曲折を経て、昨年末に「維新の党」から離れた議員らが参加する国政政党「おおさか維新の会」と、その傘下で地方議員が参加する地域政治団体「大阪維新の会」が設立されました。
維新塾が第1期生を募集した12年頃は、自民党・民主党の二大政党に対抗する「第三極」として、党に注目と期待が集まり、何かと話題になる中で、同塾が開催されました。それ以外にも多くの政治塾があり、現在も存在しています。
全国各地で行われている「政治塾」に参加する人の職業や理由はさまざまです。参加者の全員が政治家を目指しているわけではありませんが、政治を学びながら議員としての第一歩を踏み出すために避けては通れない「選挙」を勝ち抜き、「当選」を目指す人もいます。
政治家は「当選」した後に本番が始まります。選挙に勝つことだけを目標にするのではなく、議員としての資質もしっかりと学んで欲しいものです。
<おさらい>「維新」の変遷
2010年 橋下徹氏が「大阪都構想」を掲げる「大阪維新の会」を設立。
2012年9月 「日本維新の会」設立。
2012年11月 「日本維新の会」と、石原慎太郎元東京都知事の「太陽の党」が合流。
2013年1月 橋下・石原両氏が共同代表に就任。
2014年8月 「みんなの党」の渡辺喜美代表(当時)と対立した江田憲司氏らが「結いの党」を結成。これに反発した石原氏が「次世代の党」を結成し分裂。
2014年8月 「日本維新の会」と「結いの党」が合併し、「維新の党」を結成。代表は松野頼久衆院議員。幹事長は今井雅人衆院議員。
2015年5月 「大阪都構想」の住民投票で、反対派が勝利。橋下氏は維新の党共同代表を辞任し、政界からの引退を表明。
2015年8月 当時、党幹事長だった柿沢未途衆院議員が、山形市長選で共産党相乗り候補の応援演説を行ったことを橋下氏らが批判。党内の対立が激化し、橋下氏と松井府知事が新党の立ち上げに動く。
2015年10月 橋下氏が「おおさか維新の会」を旗揚げ。維新の党を除籍処分となった議員らが結成集会に参加。
2015年11月 「おおさか維新の会」が総務省に国政政党の届け出をし、正式に設立。
2015年12月 片山虎之助参院議員が共同代表として就任。幹事長に馬場伸幸衆院議員。橋下氏は政界を引退し、法律政策顧問に就任。
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