書籍:『マリアの選挙』
著者:三輪 太郎
出版:徳間書店
発行:2008.10
うまい。『マリアの選挙』は、数ある選挙小説の中でも、圧倒的に「周縁」を描くのがうまい。正直、設定や登場人物、ストーリー展開には、あまり興味を惹かれない。見込みの薄い革新系無所属の候補者を応援する選挙コンサルタントという設定に新鮮味はないし、登場人物もそこそこ年がいっている落ち着いた大人であるせいか、彼らの気持ちに合わせて読み手のスピード感や緊張感が高まるわけでもなく、また相手陣営の脅しに息をのむようなスリリングな場面があるわけでもない。それでも心が離れないのは、メインストーリーを支えるサブ的な描写が、ことごとく生きているからだ。
主人公は、東京で選挙コンサルタント会社を経営する40代半ばの「ぼく」。地方に張り付いて勝利で選挙戦を終えた後は、即行自宅に戻って思い切りシャワーを浴びる。洗い落とすのは埃や疲労だけではなく、逗留中に染みついたうらぶれた町の匂い、旧態依然とした陣営のぬるぬるした人間関係、その先に人びとの幸せがあるのかわからない目前の勝利のために全力を注ぐ運動員たちの悲哀など。そうして一つひとつの選挙を忘れようと努めることで、心の健全を保っている。
この「体を洗う」という行為だけで、主人公が経てきたであろう幾多の選挙の生々しさが想像できる。著者は、決して事細かに描写はしない。けれども読み手は推察する余地を存分に与えられて、どんどん深入りしていく。
主人公が今回受けた案件は、超保守王国に風を吹かせようとする女たちによる女たちのための選挙だが、ストーリーが女で完結しているわけではない。成り行き上、選対でボランティアをする女たちの子どもを世話することになった「ぼくら」は、にわか託児所と化した滞在部屋で子どもを寝かしつける。暗くなってもなかなか寝入らない子どもたちの傍らで、「ぼく」は思う。母になった女たちが過ごす瞑想のようなこの静けさは、自身の傷ついた羽を休めると同時に、男たちが決して離れることのできない現象の世界を俯瞰するかけがえのない時間なのではないかと。
「あの瞑想の時間が自分のものになるのなら」、マリアの子育てだって引き受けてもいい、と「ぼく」は思う。女に歩み寄って新しい境地を発見した男は、見違えるように魅力的になる。これまで選挙という男社会でしか生きてこなかった主人公にさりげなく女性性をかぶせるあたり、キザなセリフを吐かせるよりも、「ぼく」の胸の内を描いていて感服する。
『マリアの選挙』は、女たちの選挙を扱いながら、主人公たる男の心の内を露わにする。選挙コンサルタントとしての立ち回りを読むよりも、主人公の心情を周縁の描写から読み取る作業が楽しい。
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