今年4月に投開票された世田谷区長選挙では政府与党推薦の候補者にダブルスコア以上の票差をつけて当選を果たした保坂展人氏。支持者に限らず、これまで彼が選挙制度の隙を付くギリギリのラインで当落を繰り返してきた選挙歴を知る人には感慨深い光景だったのではないだろうか。
そんな保坂が初当選した1996年の衆院選から今年の区長選挙までの8回の選挙を振り返りながら、選挙制度の変遷を振り返ってみよう。
小選挙区比例代表並立制が導入された最初の選挙に保坂は東京22区から立候補した。同区には松下政経塾出身の若きエースである伊藤達也、社会党出身の重鎮山花貞夫という前職2人に対して、通産省出身で自民党新人の進藤勇治が挑むという構図に社民党新人の保坂は完全に埋没した。その結果、4位につけた共産党の松田佳子の得票の半分にも及ばず13,904票で5位。得票率も法定得票数の10%に満たない5.9%で供託金没収という苦杯を舐めることになった。
のだがしかし!この選挙から取り入れられた小選挙区で落選しても比例代表名簿に載っている候補者は政党の得票率によって復活当選できる、という仕組みにより、比例東京ブロックで社民党が1議席を獲得したため保坂が議席を獲得することになったのだ。
同選挙で法定得票数に満たないにも関わらず復活当選した候補者は保坂を含め8人いたのだが、その後国会で問題となり、次回の選挙からは法定得票数を獲得できない場合は復活当選ができなくなった。
その後、2000年の総選挙では後に区長となる世田谷区が範囲となる東京6区で立候補し、今度は法定得票数をクリアして当選。ところが、2003年の総選挙では法定得票数のクリアも社民党の比例議席獲得もならず落選。
しかし、次の2005年の総選挙で再びドラマが起きる。郵政解散と呼ばれたこの選挙で小泉自民党は296議席獲得という歴史的な勝利を収めたことで、比例東京ブロックでは自民党は獲得議席よりも比例名簿掲載者の方が少ないという事態に陥り、せっかく獲得した議席を次の順位の社民党に譲り渡してしまうことになったのだ。比例1議席が転がり込んできた社民党の比例名簿1位は東京9区から立候補していた中川直人。
がしかし!ここでまたもや奇跡が起こる。中川の得票数が法定得票数を下回り復活当選の権利を喪失。比例単独立候補で名簿順位2位の保坂が当選者となったのだ。9年前に自分が当事者となって変更された制度に救われるという、まさしくファンタジックな当選と言えないだろうか。
以降の選挙では2大政党制とみんなの党をはじめとした「第3極」に埋没して社民党は現在に至るまで東京ブロックで議席を獲得していない。保坂も2009年の総選挙では東京8区から出馬し、磐石な石原伸晃を相手に善戦するも復活できず、その後に鞍替えした2010年の参院選でも涙を飲んだ。
しかし、何度でもよみがえる男、保坂展人は2011年の世田谷区長選で再びドラマを見せてくれたのだった。現職の熊本哲之(保守系)が引退して自民党の後継者が内定していたところ、民主党所属で都議会議員の花輪智史が突如自民党に寝返って立候補。推薦されるはずだった川上和彦も出馬した上に民主党も独自候補の菅谷康子を擁立。保守分裂で大混乱となった選挙戦を、知名度を武器に保坂が当選を決めたのだった。保坂にとって初めて自分の名前の票で勝った選挙ともなった。
区長としての最初の任期4年間では、得意分野である福祉政策だけでなく財政再建にも着手して人気を本物にした。結果、2期目を目指した今年の選挙では相手候補にダブルスコア以上の票差をつけるという保坂らしからぬ(?)危なげない当選を決めた。このことは、世襲でもなければ大した知名度もなかった人物が政策的な実力でのし上がった現代の成功譚として振り返ることができるのではないだろうか。
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