自民党の額賀派で、参院議員などが公然とトップの退任を求める「クーデター」騒動が起き、同派の会長が額賀福志郎氏から竹下亘氏に交代することとなりました。小泉純一郎元首相が「解体論」を掲げて以来、話題にのぼることも少なくなった派閥ですが、実際にどんな活動をしているのでしょうか。また、ボスが変わると何か国政に影響があるのでしょうか。
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額賀派は衆参両院で55人が所属し、細田派(96人)、麻生派(59人)に次いで自民党内で3番目に大きな派閥です。昨年までは第2派閥でしたが、麻生派と山東派が昨年7月に合流したことで第3派閥に転落しました。
額賀派の正式名称は「平成研究会」で、1987年に竹下登元首相が田中派を割って作った「経世会」が源流。竹下、橋本龍太郎、小渕恵三という3人の首相を輩出したかつての最大派閥です。しかし、郵政選挙で一部の有力議員が「造反組」として公認を得られず、小泉純一郎首相(当時)の出身母体である森派が急増したことで第2派閥に転落。会長だった橋本氏も2005年の郵政解散を機に日歯連闇献金事件の責任をとって辞任し、津島雄二氏、そして額賀氏が会長の座を引き継いだものの存在感を発揮するには至っていません。
しかも、細田派出身の安倍首相が長く政権の座を維持する中で、「ポスト安倍」として名前が挙がるのは第5派閥である岸田派の岸田文雄政調会長や、第6派閥である石破派の石破茂元防衛相ばかり。額賀氏をはじめ、額賀派内には有力な首相候補が見当たりません。
安倍政権で要職を歴任している茂木敏充経済財政相と加藤勝信厚生労働相は額賀派からの入閣というよりは、実務能力を買われて首相に一本釣りされたというのが実態。昨年の内閣改造でも額賀氏の推した議員は一人も入閣を果たせず、派内に不満が渦巻いていました。「落選議員などへの面倒見が悪い」という評判も多く、このままでは派閥の存在感低下が止まらない、そんな危機感を抱いた参院側が会長の交代を求めたというのが今回の騒動の経緯です。
2009年から会長を務める額賀氏に対しては数年前から交代論が出ていましたが、額賀氏にのらりくらりとかわされてきました。しかし、今回は業を煮やした参院側が分裂をちらつかせ、定例会合への出席拒否など強硬姿勢をとったことから派閥内にも「分裂は回避すべき」との空気がまん延。額賀氏は3月14日に開催する同派の政治資金パーティーで退任を表明し、後任には竹下元首相の実弟で、党総務会長を務める竹下亘氏が就くこととなりました。
ただ、70歳を超えており、「ポスト安倍」とはいいがたい竹下氏に白羽の矢が立ったのは同氏に敵が少なく、無難な存在だから。本命は小渕元会長の次女で、将来の首相候補の一人と目される小渕優子氏で、一連の政治資金スキャンダルのほとぼりが冷めるまで「竹下氏につなぎ役を務めてもらう」(所属国会議員)狙いがあるとみられます。
そもそも自民党内に派閥が形成されたのは、社会党の統一に対抗して1955年に自由党と日本民主党の2つの政党の合併「保守合同」によって今の自民党が設立されたところに原因があります。それまで対抗していた議員が突然一緒になったため、人脈や政策、支持基盤の近い議員たちでグループを作り始めたのが起源となりました。
その後、タカ派である岸派(現在の細田派)とハト派である佐藤派・田中派(現在の額賀派)を中心に離合集散を繰り返し、現在の7派閥体制となっています。各派は原則として木曜日の昼に会合を開いて情報交換しているほか、政治資金パーティーで資金を集め、盆や年末に「氷代」や「餅代」として所属議員に活動費を配布したりしています。また、内閣改造があるとポストを配分する際に派閥が連絡調整役となります。
ただ、かつての旧選挙区時代に派閥が金権政治の温床とされたことなどから派閥への風当たりが強くなり、派閥に属さない「無派閥議員」も増えました。今では無派閥議員内でも「幹事役」を選任してポスト配分の調整役を担ったりしており「派閥に入らなければ議員活動ができない」ということはありません。派閥の会合も弁当を囲みながら談笑するだけの緩い雰囲気で、かつてのような「権力を争う戦闘集団」の面影はありません。
安倍首相の「一強」状態が続く永田町、そして自民党。今回のクーデター騒動が冷遇される派閥の反転攻勢のきっかけとなるか、それともさらなる存在感低下につながるか注目です。
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