さとう しゅういち ブログ
安政江戸地震=千葉直下説 ──江戸時代の“見えなかった震源”が、現代では巨大都市圏を直撃する
2026/8/23
安政江戸地震=千葉直下説
──江戸時代の“見えなかった震源”が、現代では巨大都市圏を直撃する
◆Ⅰ 安政江戸地震は「江戸直下」ではなかった
1855年の安政江戸地震は、一般に「江戸壊滅」と語られる。
しかし、実際の揺れは 江戸の東部(本所・深川)と谷底低地に局所集中 していた。
本所・深川:震度6弱〜6強
神田川・目黒川沿い:震度5強
新宿・渋谷・世田谷・多摩:震度4〜5
山の手台地は揺れが弱く、
「江戸全域が揺れた」わけではない。
この揺れ方は、震源が江戸ではなく “東側=千葉方向” にあったことを示唆する。
◆Ⅱ 清水建設(2016)が示した衝撃の解析
2016年、清水建設の研究チームは、
地震波伝播・地盤構造・被害分布を再解析し、
「安政江戸地震の震源は千葉市直下(深さ40〜70km)」
というモデルを提示した。
このモデルは、歴史資料と完全に一致する。
江戸の山の手は揺れが弱い
下町の沖積低地だけが壊滅
千葉側の被害記録がほぼ無い(当時は無人地帯)
揺れ方が“スラブ内地震”の特徴と一致
つまり、
安政江戸地震は「江戸直下」ではなく「千葉直下」だった可能性が極めて高い。
◆Ⅲ 江戸時代の千葉は“ほぼ無人”だった
江戸時代の千葉県北西部は:
湿地・農村が広がる
人口が極端に少ない
都市が存在しない
そのため、
震源域であっても被害記録が残らなかった。
「江戸が揺れたから江戸直下」という従来の理解は、
人口分布の偏りによる錯覚だった可能性が高い。
◆Ⅳ 現代では“千葉が主戦場”になる
江戸時代と現代では、都市構造が完全に逆転している。
●江戸時代
江戸(東京)が超高密度都市
千葉はほぼ無人
→ 被害は江戸に集中
●現代
千葉県北西部〜東京湾岸が超高密度都市
幕張新都心・浦安・船橋・市川・千葉市美浜区
京葉工業地帯(石油・化学・電力)
データセンター群(幕張・新習志野)
→ 被害は千葉に集中する
つまり、
安政江戸地震が現代に再来したら、被害の中心は江戸ではなく京葉になる。
◆Ⅴ 東京の揺れは“局所的”、千葉の揺れは“広域的”
本紙・佐藤が指摘する通り、安政江戸地震の揺れは東京全域ではなく局所集中だった。
●東京(推定)
本所・深川:震度6弱〜6強
谷底低地:震度5強
山の手・多摩:震度4〜5
●千葉(現代に再来した場合)
千葉市・市川・船橋・浦安:震度6強〜7
幕張新都心:震度6強
市原・袖ケ浦:震度6強(コンビナート火災の危険)
つまり、
東京の被害は局所的、千葉の被害は広域的になる。
◆Ⅵ 現代で起きれば「江戸地震」ではなく「京葉大震災」
安政江戸地震が現代に再来した場合、名称は完全に変わる。
江戸地震ではなく、京葉大震災である。
理由は明確だ。
千葉県北西部は人口密度が東京より高い場所もある
幕張新都心・浦安・船橋・市川は液状化の常習地帯
京葉工業地帯は石油・化学プラントが密集
データセンター群が首都圏の情報基盤を支える
千葉豪雨で既に都市機能が停止した
千葉は日本で最も “複合災害の連鎖”が起きやすい都市圏 になっている。
「1855年安政江戸地震」の震源と揺れを推定 | 企業情報 | 清水建設
さとう しゅういち
サトウ シュウイチ/50歳/男