さとう しゅういち ブログ
盧溝橋事件から89年──統治の空白が安全保障を危うくする
2026/7/7
盧溝橋事件から89年──統治の空白が安全保障を危うくする
盧溝橋事件から八十九年。東アジアの安全保障環境は、あの時代の緊張を想起させるほどに不安定化している。中国がミサイル発射を繰り返し、日本国内では過激な独断行為が発生する。だが、最も深刻なのは、日本政府が統治の責任を果たしていないという事実である。村田被疑者による中国大使館侵入事件は、外交上の重大な非礼であり、国際社会から見れば「軍人による独断行動」と受け取られかねない。にもかかわらず、政府は総理による正式な謝意も説明も行っていない。
これは国家としての統治能力の欠如であり、国際社会に対する明確なメッセージの不在である。
一方で、日本は中国本土を射程に収める攻撃用兵器の導入を急いでいる。
敵基地攻撃能力、長射程ミサイル、米軍との共同攻撃体制──いずれも中国から見れば「日本が攻撃能力を拡張している」という明白なシグナルだ。
その状況下で、外交上の非礼を放置することは、相手国に対し『日本は軍事的圧力だけを強める国』という誤った印象を与える。これは危険極まりない。国際法の観点から言えば、中国のミサイル発射は自国領域内での発射であり、公海上への着弾である限り違法ではない。
つまり、彼らは「日本の軍備増強への対抗措置」として正当化できる余地を持つ。
相手の立場に立てば、反応は当然である。問題は、日本側がその当然の反応を理解せず、国内向けの政治的パフォーマンスに終始している点だ。
外交の基本は、相手国の視点を踏まえた上で、国家としての責任を果たすことにある。
その最初の一歩が、総理による村田被疑者事件への正式な対応である。日本が謝意も説明も示さず、軍事的圧力だけを積み増すなら、エスカレーションの連鎖は避けられない。
中国は軍事的プレゼンスを強化し、日本国内では過激派が「中国の脅威」を口実に暴走する。
この構図は、昭和初期の誤った安全保障判断を想起させる。国家の安全保障とは、兵器の数ではなく、統治の質である。
総理は直ちに行動を起こし、外交上の非礼を正し、統治能力を示すべきだ。
それこそが、東アジアの緊張を抑制し、日本の国益を守る唯一の道である。
さとう しゅういち
サトウ シュウイチ/50歳/男