さとう しゅういち ブログ
**介護・医療職員は暴力を受けても守られない 渡辺事件と兵庫少女事件が示す、日本社会の構造的欠陥**
2026/7/6
広島瀬戸内新聞 社説
**介護・医療職員は暴力を受けても守られない
渡辺事件と兵庫少女事件が示す、日本社会の構造的欠陥**
◆Ⅰ 職員が暴力の被害者であるにもかかわらず、守られない社会
2022年1月27日、埼玉県ふじみ野市で渡辺宏被告が猟銃を発砲し、 医師と介護士を殺傷する事件が発生した。 これは、利用者家族による暴力が極限まで肥大化した結果である。
2025年には兵庫県で、 十六歳の介護職員の少女が、 利用者が他の利用者に噛みつこうとしたのを止めただけで逮捕され、 勾留延長と拘禁反応の末に死亡した。
両事件は形こそ違うが、 「職員が暴力の被害者であるにもかかわらず、守られない」 という一点で完全に一致している。
◆Ⅱ 利用者・家族の暴力が“事実上無罪放免”の構造
日本の介護・医療現場では長年にわたり、 利用者や家族による暴力が「仕方ないもの」とされ、 事実上無罪放免となってきた。
その理由は制度的に明確だ。
認知症や精神疾患による暴力は「不正の侵害」と認定されにくい
家族の暴力は“クレーム”扱いされ、施設は職員を守らない
警察は介護現場の特殊性を理解していない
職員は民間労働者で、公的な制止権限がない
この構造が、 渡辺事件と兵庫少女事件の共通の土台である。
◆Ⅲ 暴力を止めても守られない。暴力を受けても守られない。
渡辺事件では、 医師・介護士が家族の暴力に晒され、殺傷された。
兵庫少女事件では、 職員が利用者の暴力を止めた結果、逮捕され死亡した。
つまり、
暴力を止めても守られない。 暴力を受けても守られない。
これが両事件の共通点であり、 日本の制度の最大の欠陥である。
◆Ⅳ 施設は「職員より利用者・家族を守る」構造
施設は、
苦情を避けたい
家族との関係悪化を恐れる
利用者減少を恐れる
経営リスクを避けたい
という理由で、 職員より利用者・家族を優先する。
その結果、
渡辺事件:家族の暴力が長年放置され、凶行に至る
兵庫少女事件:利用者の暴力を止めた職員が逮捕される
という構造が生まれた。
◆Ⅴ 司法は「職員の否認」を悪質と扱う
兵庫少女事件では、 職員は無実だから否認した。
しかし日本の司法は、 否認=悪質 という前近代的文化を温存している。
その結果、
否認 → 勾留延長
勾留延長 → 拘禁反応
拘禁反応 → 死亡
という「制度的殺害」が成立した。
渡辺事件でも、 職員側の訴えは軽視され、 暴力リスクが放置された。
つまり、 職員の声は制度に届かない。
◆Ⅵ 結語――職員を守らない社会は、暴力を増幅させる
渡辺事件は、 利用者家族の暴力が無罪放免の体制の延長線上に起きた。
兵庫少女事件は、 職員が暴力を止めても守られない制度の延長線上に起きた。
両事件は別物ではない。 同じ構造の上に成立した必然である。
国家は、 この二つの事件から学ばなければならない。
介護・医療職員を守る法的仕組みを作れ。 暴力を止める行為を正当防衛として明確に位置づけよ。 利用者・家族の暴力を「無罪放免」にしない制度を整えよ。 それが、同じ悲劇を防ぐ唯一の道である。
さとう しゅういち
サトウ シュウイチ/50歳/男