さとう しゅういち ブログ
人権を“市民同士の殴り合い”にしてはならない ──ジェンダー不公平が悪化する構造を直視せよ**
2026/7/1
人権を“市民同士の殴り合い”にしてはならない
──ジェンダー不公平が悪化する構造を直視せよ**
■ 人権が「市民同士の糾弾合戦」になる危うさ
近年、人権やジェンダーの議論が、
本来の目的から外れ、
市民同士が互いを殴り合うための道具 として使われる場面が増えている。
本紙佐藤は、この風潮に強い危機感を覚える。
人権とは、
国家権力の暴走を止めるための盾であり、
市民同士が互いを攻撃するための棒ではない。
ところが、SNSを中心に、
「あなたは差別している」「あなたは加害者だ」
といった糾弾が横行し、
議論が分断と対立へと傾いている。
この構造は、
ジェンダー不公平をむしろ悪化させる。
■ 家事・育児の負担は依然として女性に偏る
現代では男性も家事をするようになった。
しかし、現場の実感としては、
「やったやったと言う割に、実際には全然やっていない」
というケースが少なくない。
これは男女どちらかの怠慢ではなく、
家事が“見えにくい仕事”であることによる認知のズレ が原因だ。
男性は「イベント家事」を記憶しやすい
(料理をした、ゴミを出した、子どもを風呂に入れた等)
女性は「日常家事」を担い続ける
(献立、買い物、洗濯の段取り、保育園・学校との連絡等)
この構造がある限り、
「家事は半々」という認識は生まれにくい。
■ 認知のズレが「不公平な家計負担」を生む
家事の総量を正確に把握できないまま、
ジェンダー論が市民同士の殴り合いになると、
議論は“見える負担”だけに集中する。
つまり、
収入
家計負担
支払い割合
といった数字化しやすい部分だけが争点になる。
その結果、
見えない負担(家事・育児)は女性が多く、
見える負担(家計)は男女で半々になる。
という不公平が生まれる。
本紙が度々指摘した
「前(昭和型)より酷いことになる」
という実感は、この構造から生じる。
■ 市民同士の殴り合いは、弱い側を傷つける
ジェンダー論が感情的な糾弾合戦になると、
社会の中で立場が弱い側が傷つく。
日本社会では、
家事・育児の負担が女性に偏りやすい構造が残っている。
そのため、
殴り合いが始まると、
その偏りがそのまま“弱点”として露出し、
女性だけが二重負担を背負うことになる。
これは、
女性が悪いわけでも、男性が悪いわけでもない。
構造の問題 である。
■ 人権は国家に守らせるべきで、市民同士が殴り合うべきではない
本紙佐藤は強調したい。
人権は、市民同士が互いを攻撃するための棒ではない。
国家に守らせるための盾である。
兵庫県警の「一人の告発で少女が追い込まれた事件」は、
人間の感情が暴走したとき、
国家権力が止められなかった構造の怖さを示している。
匿名誹謗中傷を行った活動家は論外である。
人権を守るどころか、
人権を使って他者を傷つけた。
市民同士が殴り合う社会は、
弱い側が必ず傷つく。
■ 結論:野党は「庶民派保守・穏健改革」を明確に
本紙佐藤はこう考える。
野党は、庶民の生活に寄り添う“庶民派保守”と、
無理のない“穏健改革”を明確に打ち出すべきだ。
庶民の生活を守る
急激な変化で生活を壊さない
家事・育児の現実に寄り添う
国家権力の暴走には体を張って止める
人権を市民同士の殴り合いに使わない
この路線こそ、
今の日本に必要な政治である。
さとう しゅういち
サトウ シュウイチ/50歳/男