2026/3/16
あの東日本大震災から15年が経ちました。
3月11日は県議会文教公安常任委員会が午前にありましたが、委員会の冒頭、皆で黙祷を捧げました。
復興は進んでいますがまだ途上。見つかっていない方もいらっしゃる。原発の事故でふるさとに帰れない地域もあり元には戻らない状況が続いています。
改めて、亡くなられた皆様の御霊の安らかであることを、そして被災された皆様の復興が前に進み、新しい生活が安定することを祈念します。
あの時、私自身は農林水産省の大臣室に政務秘書官として勤務していましたが、田名部匡代政務官室に調整で入った瞬間でした。急いで大臣室に戻るにも、政務官室から戻る途中の廊下にある巨大な防火扉が開いたりしまったりする状況でぶつかりそうになりながら揺れる農水省の廊下を大臣室に戻り、開会中の予算委員会が中止になったので、国会から戻る鹿野道彦大臣をお迎えして対策会議の準備をしたのを思い出します。そしてテレビから流れるあの真っ黒な津波の映像に、「逃げろ!」と大臣室で叫ぶもやる方なし。自然の力の大きさに人の力の無力さを痛感。
大臣が戻りまずもって職員の安否確認と農林水産業関連の被害の確認を指示。私の防衛省時代の経験を活かし、別室の会議室での会議をやめさせて大臣室を指揮所に変えさせ、関係者を全員集めて状況確認、報告、対応指示などを毎日定時に行うようにして、一体感をもって対処する態勢を作ったり、その後、被災者に食料を確保し、運搬、提供が必要になる場面で自衛隊とのつなぎもやったのですが、自衛隊がタクシーのように物資を取りに来てくれるように思うのが普通のようで、そうではないと理解してもらうことも必要だったこともありました。
いずれにせよ、とかく非難される民主党政権の対応ですが、農林水産省における政務、事務の連携、対応は素晴らしかったと思います。
鹿野大臣は在任中は毎週被災地に赴き、農林水産業従事者の声を聴き農林水産省の復興政策に反映してこられたことは、どこかでも書いたと思いますが、危機時、そして被災者に寄り添う政治家のあり方を学ばされたと思います。
今も私の議会執務スペースには、大臣に随行して被災地の港を訪れた時の写真を飾っています。
あの時の思いを忘れずに、地域の防災対策に引き続き取り組んでいきたいと思います。

#山形県議会議員 #山形県議会 #山形市 #梅津ようせい
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