大田区の豪雨対策の基本方針案が公表されました。
豪雨対策基本方針素案
現在、パブリックコメント中です。意見を書く場合には、賛成・反対を明記してから書くことをお勧めします。
大田区HPより:大田区豪雨対策基本方針(素案)に関する大田区区民意見公募手続(パブリックコメント)の実施について
豪雨に伴う浸水は、
東京都が都市型水害と位置付けている通り、その主な原因は、
開発に伴う都市化にあります。
降った雨が、宅地や道路の開発で、大地に浸み込まなくなって、
一気に低い所に流れ込み、下水管では支えきれなくて、
浸水するのです。

問題は、
道路や宅地などの開発の仕組みを作るのは、
政治=行政で、人災なのに、
温暖化と、天災のように言っていることです。
人災が招いた結果まで、全て天災に押し付けている形です。
その上、
この、豪雨対策基本方針で、
そのつけを、全て、私たちに、
・個人の負担と、
・税金の負担とで押し付けようとしています。
大田区が行おうとしている対策で特に問題だと思うのが、以下の二つです
いずれも、建築コストがあがり、家賃が上がり、物価が上がる原因を作りますが
浸水するほど過剰な開発を許したのは、政治なのに、そのつけを、
個人の負担や、広く税負担で区民に押し付けることになります。
少なくとも、行政の政策的な原因を改善する政策的努力を示すべきではないでしょうか。
1.貯留槽の設置の義務化を拡大することになる
2.地区計画で、地盤面を個人負担でかさ上げさせることになる
問題点
・かさ上げできる経済力がある人は浸水被害を免れるかも知れませんが、
経済力の無い人は、かさ上げされた分水が家屋に入り込むことになり、被害が甚大化する
・周囲がかさ上げされると、かさ上げできない建築物周辺は、
日照や通風や圧迫感など、現在の建築規制で守られてきた
環境が守られなくなる
・盛り土や基礎を打ち込むことで、強度を確保できる経済負担が、
どれくらい大きくなるか示されていない
・地区計画でかさ上げできるエリアの、すぐ外側の建築物は、
対策をとれず、問題は周辺に広がる。

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更に背景を詳しく知りたい方へ
このことを、令和7年の決算委員会で取り上げていますので関心のある方は、ご覧ください。
パブリックコメントの参考になれば、と思います。
都も区も地表に蓋する過剰な開発を抑制できないから、区民に「豪雨・浸水対策」で莫大な私費負担・税負担を招く | 奈須りえオフィシャルホームページ
実は、
大田区は、一足先の、
令和4年4月に大田区の雨水流出抑制施設技術指針を改定しています。
雨水流出抑制施設技術指針shishin20220330
大田区の埋め立て地以外の全域一律で500㎡以上の開発をする際に、
1㎡あたり一律0.05㎥=50リットルだった雨水流出抑制施設対策量を、
特に呑川と丸子川の流域だけ60リットルに引き上げています。(雨水流出抑制施設技術指針8ページ)
また、
呑川丸子川流域は500㎡未満の小規模宅地開発についても30リットルの対応を求めるようにしています。(雨水流出抑制施設技術指針8ページ)

今はまだ、条例で位置付けられていなくて、義務化されていませんが、
今回のこの豪雨対策基本方針を策定して、
開発指導要綱に基づくまちづくり条例を改正すると、
これらの設置が義務化されることになります。
問題は、
もともとの
浸水を招くほど過剰な開発を許した、しくみを改善することなく、
開発へのアクセルは、さらに踏み込み、踏み続けながら、
国や東京都や大田区
大きくなる浸水被害の経済的負担を(75ミリ以上85ミリまでの豪雨対策)
この豪雨対策基本方針で、
大田区(都内の区市町村)などが
個人の負担に押し付けることです。
さらに言えば、大田区も東京都も
公共施設や道路や公園などで雨水の浸透を妨げる開発を許し、自ら行っていることです。
東京都であれば、
神宮外苑の開発や日比谷公園の開発
大田区なら
学校は複合化で、敷地内に建物を詰め込む仕組みはそのままで、
もっと広くできるはずの校庭を広くする気がありませんし、
公園内は建物やスポーツ施設をつくれるようにしていて、
雨水浸透を妨げています
公園の下に雨水貯留浸透施設の整備を行う図を書いていて、
公園で雨水を地下浸透させようと言う気はありません。
公の土地利用は、
・コンクリートやアスファルトで固め、地下浸透を促す仕組みを作ることなく
・政治が作った仕組みで、
莫大な公園や道路や建物の開発費を税金負担させられたうえ、
・民間の宅地開発も雨水浸透させない仕組みで進みますので、
・さらに雨水が浸透しなって浸水するので、
・宅地等の開発の際に、
貯留槽の設置を義務付け、
・大規模建物の建築コストがあがり、その分は、マンションやテナントの建築費や家賃や、テナントの物の値段に跳ね返り、
・小規模宅地の建設コストがあがり、その分も、住宅購入費や家賃で負担させられ、
・公費の補助が出ても、それも税金で負担させられ、、、、
結局は、
行政の政策が、開発を抑制することなく、助長することで、
・全ての私たちの税金や、負担で、ツケを払わされるしくみになっているのです。
・このしくみで、良い想いが出来るのは、開発から利益を得られている人たちくらいでしょう。
かつてであれば、
降った雨は、
・大地に浸み込み、
・家の庭から地中に浸み込み、地下水になって井戸水でくみ上げ、
・田んぼにたまり、畑に降り注いで、作物を育て、
その残りが、河川に流れ込んでいきました。
ところが、今は、
・田んぼも畑もなくなって、
・屋根に降った雨も、
・道路に降った雨も、
下水に流れ込みます。
下水で支えきれなくなって、
浸水するのです。
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大田区HPより
大田区ホームページ:大田区豪雨対策基本方針(素案)に関する大田区区民意見公募手続(パブリックコメント)の実施について
https://www.city.ota.tokyo.jp/kuseijoho/publiccomment/publiccomment_bosyu/gouutaisaku_kihonhousin.html
「大田区豪雨対策基本方針」とは、2025年9月11日の大田区集中豪雨をはじめとする近年の水害に対応するため、
公助(区・国・東京都等の公共の役割)に加え、
自助(区民一人ひとりの備え)と
共助(地域の連携・協働)が一体となって、
「水害に強い安全・安心のまち大田」の実現をめざすための基本方針です。
本方針の策定にあたり、区民等の皆様に広くご意見をいただくため、大田区区民意見公募手続(パブリックコメント)実施要綱に基づき、ご意見を募集いたします。
皆様から寄せられたご意見を参考に、本方針は令和8年10月に策定する予定です。
県 有 林 の 記
信州はわが国の最高地に位置し、山林原野が九割を占めている。その面積は150万町歩余りで、長野県がこの信州を管轄している。
その昔は森林が繁茂し、老松は空を覆わんばかり、古杉は天にも届きそうであった。また桧、柏、樅、楢などの仲間も鬱蒼と山の頂きを覆い、沢にあふれていた。天と地はうまく融和して、雨の降り方も日の照り方もみなほどよいものであった。大風や雷の日も定まった時期に起こり、水利は確保され、災害も起こらなかった。
明治維新以降様々な事業が興り、木材の需要は日ごとに増えた。急ピッチで絶え間なく伐採が行われ、ついには乱伐の弊害に陥った。その鬱蒼としていた山々は丸裸となって岩や土をむき出しにし、かつての面影を失った。それのみでなく、自然の力はバランスを失って、季節外れの暑さ寒さが訪れるようになり、霜害や水害がたびたび起こるようになった。そのため、県は次々に通達を出して、木を植えるよう奨励したが思うような成果は上がらなかった。県知事の関清英はこのことを深く嘆いて、県自らが森林の経営に当たることを考え、職員に計画の作成を命じた。 その目的のひとつは、広く模範を全県に示して植林の普及啓発をはかることであり、いまひとつは、県有財産を造成することによって自治の財政的基礎を固めることであった。これが県有林の起こりである。
その計画の概要は、県下各地の御料林及び国有林約7500町歩の払い下げを国に願い出てこれを県有林とし、31年間で植林を終え、212年間でこの事業を完成し、その間に28億円の収益を得、その後も毎年35万円の収益を確保しようというものであった。明治36年にこの案が出来上がり、これを県の参事会に諮って、ついに県議会に提案する運びとなった。議員はみな賛成したので農商務省に願い出たところ、省議でもまた快く受け入れられ、この申請は特別に許可された。そこで新たに苗畑を作り、山野を吟味して良い土地を選び、こうして漸く植林の事業が始まった。実に明治37年、日露開戦の年であった。
詩経では「初め有らざることなし克く終り有ること鮮なし(何事にも始まりがあるが、それが最後までよく成し遂げられることは少ない)」という。ましてやこの事業のようにこの上なく遠大な計画で、しかもその成果をはるか200年先に待たなければならないようなものはなおさらである。それゆえ後世の人々はこの事業をしっかりと継承し、その経営に勤勉に努力して怠らなければ、信州の山々は鬱蒼として再び昔の姿をとりもどし、長野県政もまたこれを拠り所として豊かな資源を様々に活用、開発して、その自治の基礎はさらに一層強固なものになるであろう。しかし、もしこれをおろそかにすれば山林は日一日と荒廃し、やがては県民はその生活の頼みとするものを失ってしまうことであろう。 関知事はこのことを深く心配して県会議員と相談し、碑を議事院の前に立ててその事由を記し、後世の人々に残すことにした。この事業を全うして成果を上げることができるか否かの責任はまさに後世の人々にある。そしてその恩恵をこうむるのもまた後世の人々である。後世の人々はどうして懸命に努力を重ねずにおられようか。 私は庁議に加わって、ことの顛末をよく承知している。よってその概要をここに記すものである。
明治38年3月
長野県知事 従四位勲三等 関 清英篆額(題字)
長野県書記官従五位勲五等 横田太一郎撰(詩文)
この時の、長野県知事は、私の曾祖父の弟です