2026/9/15
前回、萩山公園に整備されたマンホールトイレや、かまどベンチ、防災井戸などを紹介しました。
普段は地域の人が集まる公園が、もしもの時には防災拠点になる。
では、この公園は、どのような経緯をたどって現在の姿になったのでしょうか。
◇はじまりは、1939年
現在の萩山公園の西側、新しく整備されたエリアの一部は、もともとお茶の水女子大学の「東村山郊外園」として使われていた土地です。
その歴史は古く、始まりは1939年(昭和14年)。
当時の東京女子高等師範学校附属高等女学校が、東村山村萩山に「郊外園」を開設しました。
当初は、時代背景を反映した勤労作業教育の場として始まり、その後は長い間、附属学校園の子どもたちが農作業を体験する場所として利用されてきました。
お茶の水女子大学の資料には、幼稚園の子どもたちがサツマイモやジャガイモ、大根などを収穫してきた様子も残されています。
◇大学の土地から、市の公園へ
時代が進み、郊外園の利用のあり方も変わっていきます。
大学の資料によると、西側敷地は4,093平方メートル。売却が予定され、2020年8月以降は利用が中止されました。
その後、この土地は大学の施設としての役割を終え、東村山市による萩山公園の整備へとつながっていきます。
そして2022年度、東村山市は萩山公園整備のため、約0.59ヘクタールの用地を取得しました。
ここから、本格的な公園づくりが始まります。
◇「どんな公園にするか」を地域と考える
萩山公園では、整備基本計画をもとに、ワークショップやアンケートが行われました。
地域から出された意見や要望を整理し、2022年度には基本設計がまとめられています。
検討された内容には、自由に使える広場や園路、インクルーシブ遊具、野外活動ができる場所に加え、防災トイレなど、災害時に活用できる設備も含まれていました。
現在の萩山公園にある防災機能は、公園づくりの段階から考えられていたものです。
◇公園を「つくる」だけでなく、「使う」仕組みも
もう一つ、萩山公園の特徴があります。
それが、民間の力を公園の整備や活用に生かすPark-PFIです。
東村山市では2022年7月から、市立公園を中心とした施設に指定管理者制度を導入。
萩山公園ではさらにPark-PFIを活用し、公園内に現在の「はぎま」が整備されました。
公園を整備して終わるのではなく、マルシェやイベント、飲食などを通じて、普段から人が集まる場所として使っていく。
現在の萩山公園の姿につながる仕組みが、この段階から取り入れられていました。
◇2025年、新エリアが全面オープン
2024年度から2025年度にかけて、公園整備工事が進められました。
2025年4月24日には、新エリアの一部がオープン。
4月27日には、Park-PFI施設「はぎま」がオープンしました。
そして9月27日。
インクルーシブ遊具や健康遊具、草地広場、コミュニティガーデンなどを備えた「ぽかぽか広場」が開き、新エリアが全面オープンしました。
◇80年以上を経て、役割を変えてきた場所
1939年、子どもたちが土に触れ、農作業を体験する「郊外園」として使われ始めた場所。
そこから80年以上が経ち、現在は、子どもが遊び、地域の人が集まり、マルシェやイベントが開かれ、そして災害時には地域を支える公園の一部となりました。
現在の萩山公園の姿は、一度にできあがったものではありません。
土地の取得、市民参加による計画、防災機能の整備、そして民間との連携。
いくつもの段階を経て、現在の「日常」と「防災」が重なる公園がつくられてきました。




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サトウ ミズキ/46歳/男
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