2026/6/11
【松山市 木下ごう】私が生まれた余土地区は、もっと昔は「余土村」でした。
中学校時代を過ごした地域も、もっと昔は「浮穴村」でした。
今住んでいる道後地区も、もっと昔は「道後村」です。
そして、北条や中島など、今の松山市の中にある地域の多くは、昔はそれぞれ別の町や村でした。
昔は、小さな町や村ごとに、その地域に合った行政が行われていました。
その後、みんなで力を合わせて、よりよい行政を行うために、多くの町や村が一つになり、今の松山市になりました。
もちろん、合併した理由は、地域を見捨てるためではありません。
「みんなで支え合って、どの地域も元気にしていこう」
そのために、一つの松山市になったはずです。

今やっているような、道後の観光や、銀天街・大街道の活性化も大切です。
しかし、それだけではいけません。
北条に住む人も、中島に住む人も、
「何のために松山市になったのだろう」
「合併したのに、前より元気がなくなってしまった」
そんな思いを持っている人もいるのではないでしょうか。
私は、どこか一つの地域だけが豊かになる松山市ではなく、
三津も、味生も、桑原も、雄郡も、石井も、垣生も、
松山市にあるそれぞれの地域が、みんなで一緒に豊かになれる未来をつくりたいと思っています。
どこか一つが栄える松山市ではなく、
どの地域に住んでいても、
「松山市になって良かった」
と思える。
そんな松山市を、みんなと一緒につくっていきたいと思います。
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キノシタ ゴウ/44歳/男
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