2026/1/18
今日、北名古屋市内米野の国霊(くにたま)神社で、「ぜんざい交流会」が催されるということで、少しお手伝いをさせていただいのですが、この交流会の原点は「左義長(さぎちょう)」、通称「どんど焼き」だということをお聞きして、私はちょっとショックを受けました。
そもそも「左義長」とは、門松や正月飾り、書き初めなどを持ち寄って燃やし、神様を見送るという、平安時代からある日本独特の文化に基づく伝統行事です。私の幼いころには、この国霊神社では、竹を組んで火をつけて、そこに正月飾りを投げ込み、炎が大きく燃え上がるという、とても壮大なものでした。また、その残り火で、餅やサツマイモを焼いて、それを食べた、その印象は今でも強く残っています。

ところが、今日のぜんざい交流会では、正月飾りをみんなで火の中に投げ込むというようなことはありませんでした。餅は炭火で焼き、ぜんざいは簡易かまどを使って鍋でつくるというもので、これが「左義長」だとは、想像もできませんでした。
何故、こうなったかを長老の方にお聞きしたところ、炎が上がると、灰が巻き上がるので、近所に迷惑をかけることはできないからだというような説明でした。
以前、長野市で、公園で遊ぶ子供の声が迷惑だということで、公園が廃止されたことがありました。もちろん、灰や子供の声は、一面からすると、迷惑なことでありますが、少しでも迷惑なものは、直ちに自己規制しなければならないという極端さは、現代人の心の余裕のなさを象徴しているように感じられました。そして、ある学者が「近現代は、不寛容の時代だ」と言っていることを思い出しました。
北名古屋市には、せっかく文化勤労会館(現・名古屋芸大アートスクエア)があるのですから、ただ文化を大切にということではなく、心のゆとりを取り戻すことができる、例えばインドの「ヨガ」を取り入れた「マインド・フルネス」と言われるような催しも考えられればということを思いました。(私の友人に、インドでヨガを修養してきた人がいるのですが、元々感情的だった彼が、驚くほど心の柔軟な人間になって帰ってきて、びっくりしました。)
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タカヤナギ マサヒロ/69歳/男
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