2026/5/14
「自分の一票では何も変わらない」
そう感じたことがある人は多いと思う。
忙しい、よく分からない、誰に入れても同じに見える。
投票に行かない理由はいくつもある。
しかし私は、投票とは単に当選者を決める手続きではなく、社会に参加するための行為だと考えている。
私たちは日々、行政サービスの中で生活している。
道路を使い、水道を使い、ゴミを回収してもらい、消防や救急に守られている。
それらは誰かが決めた制度と予算によって成り立っている。
その「誰かが決めた」ことに対して、自分は関係ない、任せておけばいい、という姿勢を取ることはできる。
しかしそれは、社会のあり方を他人任せにするということでもある。
投票は、そうしないための行為だ。
自分もこの社会の一員として、そのあり方の一部を引き受けると決めること。
つまり「当事者になる」という意思表示だ。
完璧な候補者や政策は存在しない。
だからこそ、有権者は与えられた選択肢の中で「より良いと思うもの」を選ぶ責任を持つ。
それは難しい作業だ。
しかし、社会に生きる以上、その判断から逃れることはできない。
白紙投票という選択についても考えたい。
投票所に足を運ぶという行為自体には意味がある。
だが、社会の方向性を選び取る意思が伴わないのであれば、それは責任を引き受ける行為とは言い難い。
もし本当に支持できる候補者がいないのであれば、自らが関わるという方法もある。
候補者になる、支持できる人を探す、育てる、そうした関わり方も社会参加の一つだ。
「誰がやっても同じ」という言葉をよく聞く。
だが実際には、政策の優先順位も、予算の使い方も、組織の運営も、人によって変わる。
違いが見えにくいだけで、社会の形は確実に変化している。
投票の価値は、結果に直接影響を与えるかどうかだけではない。
社会の当事者として関わり続ける姿勢を持つこと、その意思を示し続けることに意味がある。
関わる人が減れば、決定は一部の人だけで行われるようになる。
そしてその結果に不満を持っても、関わっていない以上、変える力を持つことはできない。
政治が遠く感じられるのは、私たち自身が距離を取ってしまっている側面もある。
投票とは、社会との関係を切らないための行為だ。
社会を他人任せにしないという宣言だ。
自分がこの社会の一員として生きていくという責任を引き受けるという意思表示だ。
一票は小さい。
しかし、その小さな意思表示が積み重なって社会の方向性が決まる。
だから私は、投票という行為を軽く扱いたくない。
それは結果を変えるためだけのものではなく、社会に参加し続けるための行為だからだ。
福井市議会に挑戦する決意をしました。
大谷たかまさです。
命を守ってきた。
次は暮らしを守る。
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ホーム>政党・政治家>大谷 たかまさ (オオタニ タカマサ)>投票は社会への参加である