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【東海市の未来を築く読書】二千六百年史抄  ~大局的な経緯を學ぶ②

2026/6/10

皆さま、こんにちは

参政党 東海市議会議員の

山内りょうへい です

 

『二千六百年史抄』

菊池寛 著

 

を読みました。

 

当時の内閣情報部が発行している「週報」から、もっとも簡単な日本歴史を書いてくれとの注文に応えて菊池寛が昭和期に筆を執った本書。

 

歴史学者ではないが歴史を愛する一人として執筆した菊池は、

「悠々たる二千六百年間の出来事を原稿用紙150~160枚でまとめることは至難中の至難である。」と述べており、

「説いて尽くさざる所が、甚だ多い」としつつも、

「これを機会として、他の史書を広く捗猟して下さらば、欣懐この上もない」と、

鵜呑みにするのではなくさらに學びを深めてほしいという願いを記しています。

 

そして、

「日本の歴史の知識を充分に持つことは、日本人としての自覚を持つ上で、最も大切なことではないかと思っている。」と述べていて、自国の歴史をしっかりと學ぶ重要性を説いています。

 

戦後占領政策の名残も今なお強い現代かと拝察しますが、

二千六百年紡いできた國史(こくし)の要点が詰まっている本書を入口にして、自分もまた學びを深めていこうと思える一冊でした。

 

菊池寛ですら端的にまとめることに苦心した本著ですから、

私が要約することなどは到底及ぶものではございません。是非皆さまにご一読いただけたらと思います。

 

 

~重要と感じた内容~

・神武天皇の御創業から描かれており、建国神話の重要性、二千六百年を通じた日本国民の中核である。

・政事は祭事(まつりごと)であり、祭政一致の思想は日本特有の政治の特色で、現代にも及んでいる。

・聖徳太子と中大兄皇子は、上代における日本国家の基礎を固め、国民に文化生活の恩恵を与えた偉人である(太子の『天皇記』『国記』 )。

・天武天皇の御代、太安万侶や稗田阿礼のはたらきにより『古事記』が、元正天皇の御代には舎人親王が日本書紀を編纂した。特に日本書紀は対外的に独立国家としての日本を示す修史といえる。

・『万葉集』は宮廷歌集であり民謡集であり、日本国民の一大家族性を示した和歌集である。

・弓削道鏡が仏僧の分をわきまえず政治に関与せんとした際の和気清麻呂の神託奏上は日本の國體(こくたい)を確立する一大声明である。

・最澄と空海は仏教と日本固有の神祇崇拝とが調和した、必ずしも唐土伝来ではない日本人的思索が加味された宗派を確立した。

・藤原氏が摂政、関白及びその他高官を独占したことは、後の平家や源氏の政権を生む端緒となった点で罪有り。

・菅原道真が遣唐使を廃止したが、日本独特の文化が栄え、枕草子や源氏物語などの国文学が輩出された。

・源氏物語は、欧州における写実小説の元祖『十日物語』(ボッカチオ著)よりも350年前に書かれており、チャイナ小説『水滸伝』よりも一世紀先に書かれている。

・建築も彫刻も漢文学も書道も刀剣鍛冶も平安時代に日本趣味のものとなった。

・朝廷に租税を納めない荘園の激増が乱国の始めだと北畠親房の『神皇正統記』にも書かれている。

・保元の乱により武力が政権を左右するようになり武士がいよいよ台頭した。

・源頼朝の武家政権によって国民生活は一定の安定を見せたが、朝廷に対する尊崇の念を多少とも有していた彼が、日本の國體とは相容れざる武家政治を開始したことは、百世の下、その責任は問われなければならないと思われる。

・北条義時父子が、後鳥羽上皇、順徳上皇、土御門上皇を遠島に遷し奉ったことは、凶悪に極みであって、その不臣は足利尊氏以上ではないかと思われる。

・蒙古の欧亜征服が圧倒的で強大であったことを考えるとき、彼をして一指も触れさせなかったことは世界史上の奇跡であり、執権時宗の功績により武家政治の罪の二三割は償い得たと言ってもよい。

・建武の中興において、足利直義が護良親王を鎌倉にて弑し奉ったことが足利氏の悪逆の最初であった。

・吉野時代は武士階級に大義名分を理解する者が甚だ少なく、利害情実に動く武士のために動揺した。それ故に北畠親房が日本の國體を明らかにするため『神皇正統記』を著述した。

・武将としても政治家としても一流の人として、豊臣秀吉、徳川家康、織田信長、毛利元就、北條早雲、北條氏康、伊達政宗、武田信玄、小早川隆景、長曾我部元親、蒲生氏郷を挙げ、民政にも明るく人情の機微にも通じていたという。

・戦国時代は一見混乱期に見えるが、皇室を戴くにあらざれば、天下に号令はできないという皇国史観を有していた。一例として織田信長は、父信秀の代から皇居の修理に献金などをしている。

・信長は乱世的英雄で、秀吉は戦国的かつ平和を愛する英雄、家康は緻密で建設的で、近代的な英雄であった。結局、英雄というものは時代が生むのである。大きな社会的需要に応じて現れて、独自の役割を果たすのである。

・皇室に対する態度で見ると、秀吉が一番良く、信長も良いが、家康は三英傑では劣っている。

・江戸幕府は十七条の公家諸法度制定など陰に圧迫し、皇室に対しては色々と誠意を欠いていた。

・江戸時代に盛んになった学問により、君臣道徳や大義名分が明瞭となり日本國體の尊厳は皇室にあるとの結論に達していた。

・幕末の動乱期において、フランスが幕府の援助に乗り出していたが、慶喜は大政奉還などあくまでも無抵抗主義を貫き援助を拒んでいた。同様に薩長にはイギリスが援助をしていた(公然の秘密であった)。英国公使パークスは、幕府および背後のフランス打倒のため援助すると説いてきた。

西郷隆盛はこれに対して、「戦争のことはとにかく、日本の政体変革のことはわれわれ日本人だけで考えるべき問題である。外国の援助を受けるは面目ない。」と言っている。

慶喜、西郷ともに、國體という点に至っては、外国の国政干渉は断じて許さなかった。

・明治天皇の徳川家や戊辰奥羽諸藩に対する洪大無辺の聖恩により維新の戦乱も鎮まった。

・維新後に日本が開国して世界に追い付こうとした焦燥は当時において欧米の模倣や模倣から生じる種々の社会風俗問題となって露呈していた。

・単に模倣するのではなく、高い文化的感性の伝統と天才的な吸収同化力を目覚ましていくべきである。

・五箇条の御誓文を起源に立憲政治創始へと進んでいった。元来、憲法は欧州に発達したもので民主的色彩が強いため、日本精神の根底を成す皇室中心の國體を基礎とする「日本の憲法」を制定するため、伊藤博文や井上毅らは苦心した。

かくて明治22年2月11日、紀元の佳節に大日本帝国憲法が発布された。

・先祖以来二千六百年の皇恩を思い、現在日本国民たるの多幸を思わば、一致団結し、二千六百年肇国以来の※皇謨(こうぼ)を扶翼し奉るべきだと思う。

※天皇のシラス統治の御計画に対して力を捧げること。

 

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著者

山内 りょうへい

山内 りょうへい

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