2025/10/8
週末に、2017年公開の大林宣彦監督作品『花筐/HANAGATAMI』を観た。
唐津ロケと市民エキストラによって実現したこの作品は、
良く言えば、言葉にしにくい重たさと美しさを同時に抱えた映画だった。
でも正直に言うと、最初の10分で訳がわからなくなった。
なぜ美那は、わざわざ2階から井戸へ走って血を吐くのか?
その直後、姉妹のキス──あれは何を意味しているのか?
続く学校のシーンは、高橋是清が教えていた「耐恒寮」がベースなのか?
テンポはゆっくりなのに、次々と場面が切り替わり、
知っているはずの場所が、すべて異世界のように映っていた。

この映画は、地元・唐津では不評だった一方で、海外では高く評価された。
賞も受け、評論家たちは「詩的」「革命的な映像」と絶賛している。
海外と地元、両方の視点を持つ自分は、ふと考え込んだ。
登場人物たちは、普通なのか異常なのかもよくわからない。
ただ一つ共通していたのは、どこかでみんな、
周りの空気に押されているように見えた。
「空気を読む」は、日本文化の深層に根づいている。
英語にも “read between the lines”(行間を読む)という表現はあるけれど、
日本ほど“行間”が人間関係や社会全体を支配している文化は、あまり見ない。
そして、特に印象に残ったのが「青春を戦争に奪われたくない」という一言。
彼らは恋に揺れ、友情に悩み、不良かどうか、生きるか死ぬかをもがきながら、
それぞれに自分を探しているように見えた。
けれど、結局、多くの登場人物が亡くなってしまう。
最後に残されるのは、“ひとり” という現実。
観終えたあと、胸に残ったのは、深い余韻と喪失感だった。
この孤独感が、大林宣彦監督が伝えたかった
「忘れてはいけない戦争の記憶」だったのかもしれない。

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