2026/7/26
| 小森さだゆき | 参政党 / 高槻市議会議員
経済の歴史を紐解くと、私たちが当たり前だと思っている「豊かさ」の定義が、時代によって大きく異なっていたことに驚かされます。
今回は、思想や宗教が「富」をどのように捉えてきたのか、その第一歩として「ギリシャ哲学」の世界を覗いてみたいと思います。
古代ギリシャの自由市民にとって、人生の目的は単に生きることではなく、「徳(アレテー)」を高め、「善く生きること」にありました。
そのため、現代のように効率や利益を追い求める姿勢とは一線を画した考え方を持っていました。
当時の哲学者たちは「富を得るための労働」を否定的に捉える傾向がありました。
なぜなら、生計を立てるための労働に追われることは、政治や哲学に励むための大切な時間である「余暇(スコレー)」を奪うものと考えられたからです。精神の自由を保つためには、過度な利益追求は避けるべきだとされていたのです。
ギリシャ哲学を代表する二人の巨人も、富については厳しい、あるいは限定的な見解を示しています。
プラトンは、国家を導くリーダー(守護者)に対しては、「私有財産の否定」を説きました。
指導者が自分の富を蓄えることに執着すれば、必ず政治は腐敗し、国家全体の正義が損なわれると危惧したためです。公の利益を守るために、極めてストイックな規律を求めたのです。
一方でアリストテレスは、すべての経済活動を否定したわけではありません。彼は、「生命を支えるための取財のみ肯定」しました。
家族や国家が健全に生活するために必要な分だけを整えることは「自然なこと」であると認めました。しかし、貨幣そのものを増やすこと(高利貸しなど)を目的にした活動は、欲望に際限がなくなるため、強く戒めています。
| 哲学者 | 富・財産に対する姿勢 |
|---|---|
| プラトン | 守護者の私有財産を否定し、国家の正義を優先 |
| アリストテレス | 生命維持に必要な範囲の取財は肯定するが、過度な蓄財は否定 |
「足るを知る」という言葉がありますが、ギリシャ哲学が教えてくれるのは、富はあくまでも「善く生きるための手段」であり、目的ではないということです。
現代の激しい経済競争の中にいる私たちも、一度立ち止まって「何のための豊かさか」を問い直す必要があるのかもしれません。
| 小森さだゆき | 参政党 / 高槻市議会議員
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