2026/7/17
| 小森さだゆき | 参政党 / 高槻市議会議員
経済学を学んだことがあれば、誰もが一度は耳にする「経済学の父」アダム・スミス。彼が提唱した「自由主義」は、現代のグローバル経済の礎を築いたとされています。しかし、スミスが本当に望んでいたのは、現在のような国境を失い、特定の資本が世界を席巻する姿だったのでしょうか。
今回は、アダム・スミスの思想と現代のグローバリズムを比較し、私たちが今、改めて考えるべき「国家と経済のあり方」についてお伝えします。
アダム・スミスは1776年に「国富論(諸国民の富)」を出版しました。当時の欧州は、国家が貿易を厳しく制限して金銀を蓄えようとする「重商主義」の真っ只中にありました。スミスはこれに対し、個人が自由に利益を追求することこそが、結果として社会全体の富を増やすと説いたのです。
有名な「神の見えざる手」という言葉は、市場の価格調整機能を指します。しかし、ここで重要なのは、スミスが自由放任なら何をしても良いと言ったわけではない点です。彼は別の著書「道徳感情論」において、人間の自由な活動は「共感(シンパシー)」や「公平な観察者」による道徳的な抑制が不可欠であると論じています。
スミスの自由主義は、あくまで「道徳的な市民社会」を前提としたものであり、無秩序な弱肉強食を肯定するものではなかったのです。
現代のグローバリズムは、ヒト、モノ、カネの移動を完全に自由化し、世界を一つの市場に統合しようとします。これは一見、スミスの自由貿易の延長線上にあるように見えますが、決定的な違いが存在します。
スミスの関心は、常に「諸国民の富(The Wealth of Nations)」、つまり自国の国民がいかに豊かになるかにありました。一方、現代の極端なグローバリズムは、国家の枠組みそのものを超越し、特定の多国籍企業や投資家の利益が、国民全体の利益を上回ってしまう現象を引き起こしています。
| 比較項目 | アダム・スミスの自由主義 | 現代のグローバリズム |
|---|---|---|
| 主役 | 道徳を持った個人・市民 | 多国籍企業・巨大資本 |
| 目的 | 自国民の生活水準の向上 | 市場の効率化・資本の最大化 |
| 国家の役割 | 国防・司法・公共事業(最小限だが重要) | 規制緩和・国家の壁の撤廃 |
グローバリズムの進展により、サプライチェーンが世界中に広がり、安価な製品が手に入るようになりました。しかしその一方で、一国の不況が瞬時に世界へ波及するリスクや、国内産業の空洞化、格差の拡大といった課題が深刻化しています。
アダム・スミスは、国防などの国家の安全に関わる分野については、経済的な効率性よりも優先すべきだと明言していました。今、私たちが直面しているエネルギー安全保障や食料自給率の低下といった問題は、まさに「国家という枠組みを軽視した自由主義」の歪みではないでしょうか。
自由な経済活動は、社会の活力の源です。しかし、その自由は「国家の安定」と「国民の幸福」、そして「道徳」という土台の上に成り立つべきものです。
高槻市の未来を考える上でも、グローバルな視点を持ちつつ、いかにして地域の雇用を守り、市民の生活の質を向上させていくか。スミスの原点に立ち返り、地に足のついた経済政策のあり方を模索してまいります。
| 小森さだゆき | 参政党 / 高槻市議会議員
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