2026/5/15
釧路市議会議員の木村はやとです。
原理原則。我々は自然の中に生かされている。
私はこの問題を長く見てきて、一つの確信に至っています。メガソーラーの普及と地域との共生は、現状の仕組みのままでは極めて難しい。釧路市で今起きていることは、その現実を改めて突きつけています。
釧路市では現在、メガソーラー関連の法令違反が問題になっています。しかし私が恐ろしいと感じるのは、これが釧路だけの話ではないということです。北海道中、日本中を見渡せば、同様の問題はまだまだ水面下に潜んでいる。釧路の事例は氷山の一角に過ぎません。
さらに深刻なのが、事業者による短期間での所有権移転という現実です。土地や施設が次々と別の法人に移っていく。責任の所在が曖昧になり、いざ問題が起きたときに誰に対処を求めればいいのかわからなくなる。こうした構造的な問題が、全国で繰り返されています。
※令和5年7月ガイドライン施行後の実績。私の市議会質問に対する市の答弁より。
この数字が意味することは何か。倒産ゼロだから問題ない——ではありません。むしろ逆です。倒産していないのに所有権が13件も移転している。つまり事業者が責任を取る前に次々と所有者が替わっているという構造が、市の公式答弁で明らかになったのです。
釧路だけではありません。帝国データバンクの公式発表(2025年5月6日)によれば、2024年度に再生可能エネルギー発電事業者の倒産と廃業を合わせた件数は過去最多の52件に達しました。倒産件数が増えるということは、廃棄費用を積み立てられないまま消えていく事業者が増えるということです。後始末のコストは誰が負うのか。地域と自治体です。
こうした前提を踏まえれば、釧路市が進めようとしている条例改正——事業者に将来のパネル撤去費用を保証金として積み立てさせる仕組み——は、「強すぎる規制」どころか必要最低限の措置だと私は考えます。
市議会の一部からは「企業の進出意欲をそぐ」という声が上がっています。しかし問い直したいのです——地域に十分な恩恵をもたらさないまま、将来の後始末リスクだけを地元に押し付けていく事業者を、果たして「地域への投資」と呼べるのでしょうか。
責任を果たせる事業者であれば、保証金の積み立てを恐れる理由はないはずです。それを「負担が重い」と言う事業者こそ、将来の責任を曖昧にしたまま去っていく可能性が高いのではないか——私はそう感じています。
「国が法律で対応すべき問題だ」という意見もあります。確かにそれは正論です。仮に国がノンFITを含む廃棄費用の積み立てを法制化できたなら、それは喜ばしいことであり、その時点で条例を改正すればいい。しかし現実として、国の法整備を待っている間にも、釧路湿原の周辺では開発が進み、法令違反が起き、所有権が移転していく。
地域を守る責任は、まず地域自身が負うものです。1970年代に釧路の住民が話し合いで湿原の線引きを決めたように、今の私たちも自分たちの手で地域の未来を守るルールを作る必要がある。釧路市の条例改正は、その覚悟の表れだと私は受け止めています。
国が動くのを待つのではなく、釧路が先例を作る。その意義は決して小さくないはずです。
【参考資料】 ・帝国データバンク「発電所の倒産動向(2024年度)」2025年5月6日 https://www.tdb.co.jp/report/industry/250506_hatsuden24fy/ ・釧路市議会質疑 木村はやと質問に対する市の答弁
※※写真はカメラアーティスト・いつき氏よりご提供いただきました。

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キムラ ハヤト/43歳/男
ホーム>政党・政治家>木村 はやと (キムラ ハヤト)>メガソーラーと地域共生は本当に可能なのか——釧路から見える現実