2026/4/23

市議会議員のみさわひろとです。
今日、ふと思ったことがありました。
みさわひろとは、なぜSNSをやっているんだろうと考えた時に、案外、好かれるためじゃなくて、嫌われるためなのかもしれないなと思いました。
もちろん、最初から嫌われたくて発信しているわけではありません。
でも、結果として、それでいいんじゃないかと最近は思っています。
人はどうしても、いいところを見せたくなります。
政治家になれば、なおさらです。
ちゃんとしているように見せたい。失言しないようにしたい。揚げ足を取られないようにしたい。炎上しないようにしたい。
SNSでは、そういう気持ちがどんどん強くなると思います。
でも、そうやって無難で綺麗で、何を考えているのかよくわからない政治家ばかり増えたら、有権者の側もしんどいんじゃないかと思うんです。
誰も彼も同じようなことを言って、同じように整っていて、個性がない。
それって、選ぶ側からしたら、結構つらいことです。
みさわひろとは、人は弱点で愛されることがあると思っています。
完璧だから信頼されるんじゃなくて、ダメなところも含めて「ああ、この人はこういう人なんだな」とわかった上で応援される。
その方が、よほど深い信頼なんじゃないかと思うんです。
だから、SNSで自分の嫌われる部分が出ることも、そんなに悪いことではないのかもしれません。
むしろ、その人の合う合わないが早めにわかるなら、その方がお互いにとって親切です。
みさわひろとを見て、「この人は無理だな」と思う人がいるなら、それはそれでいいと思っています。
それだけでも、情報発信をしている意味はある。
もし綺麗なところだけを見せていたら、本当は合わない人まで期待させてしまうかもしれない。
それで投票したあとに「こんな人だと思わなかった」となる方が、よほど不誠実です。
逆に、嫌なところも、弱いところも、未熟なところも見た上で、それでも応援してくれる人がいるなら、それは本当にありがたいことです。
そういう応援は、ただイメージに乗った応援じゃなくて、人柄も含めて引き受けてくれている応援だからです。
たぶん、その方が投票した側も後悔しにくい。
「あいつなら、まあそういうこともあるよな」と思ってもらえるなら、それはある意味で強い信頼関係だと思います。
SNSというのは、本来、キラキラしたものを見せたくなる場所です。
でも現実の人間は、そんなに綺麗じゃありません。
うまくいかない日もあるし、情けない感情もあるし、自己否定もあるし、見せたくない部分なんて誰にでもある。
それなのに、綺麗なものばかり並ぶ場所を見続けていると、見る側もしんどくなる。
インスタなんか特にそうですが、SNSから離れたくなる気持ちもわかります。
だからこそ、弱い部分や格好悪い部分が見えても、それでも応援してくれる人がいる、受け入れてくれる人がいる、ということ自体に意味があると思っています。
それは政治家にとってだけじゃなく、見ている人にとっても、少し救いになることがあるんじゃないでしょうか。
全国の政治家に言いたいのは、好かれるためだけにSNSをやらなくてもいいんじゃないか、ということです。
自分のダメなところや、弱いところや、汚いところまで含めて見てもらって、それでも応援してくれる人とつながる。
そのくらいの気持ちでSNSを使った方が、政治家本人も無理をしなくて済むし、有権者も投票先を見誤りにくいと思います。
今の世の中は、少し綺麗すぎるのかもしれません。
綺麗すぎるものは、一見正しそうに見えて、でもあまり感動を生まないことがある。
本質から遠ざかってしまうこともある。
人間の本当の魅力や、信頼の正体は、もっと不格好で、もっと生っぽいところにあるんじゃないかと思います。
だからみさわひろとは、これからも好かれるためだけのSNSはやらないと思います。
嫌われるなら嫌われるでいい。
その上で、それでも応援してくれる人に出会えたなら、それが一番うれしいです。
長岡市議会議員
みさわひろと
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