2024/7/11
こんにちは。兵庫県川西市議会議員の長田たくや(ながたく)です。
中編では、ハンセン病の原因菌について書きました。
最後は繰り返す歴史についてです。
前編:心は進化せず、繰り返される差別
中編:原因は”らい菌”、近年に判明したこと
後編:歴史は繰り返す、まさにデジャブ(本記事)
当時の状況を調べると、誤った対応を主導したのも、反対したのも、いずれも「医師」でした。
■ 感染症法
感染症法の前文です。
一方、我が国においては、過去にハンセン病、後天性免疫不全症候群等の感染症の患者等に対するいわれのない差別や偏見が存在したという事実を重く受け止め、これを教訓として今後に生かすことが必要である。
このような感染症をめぐる状況の変化や感染症の患者等が置かれてきた状況を踏まえ、感染症の患者等の人権を尊重しつつ、これらの者に対する良質かつ適切な医療の提供を確保し、感染症に迅速かつ適確に対応することが求められている。
今回のコロナ禍で、果たしてこの精神は守られたでしょうか。
「自分のせいで周りに迷惑」と悩み、自宅療養中に自殺した方の事例もありました。
参照:「自分のせいで周りに迷惑」 コロナ感染 自宅療養の女性が自殺
感染症の患者等の人権とあるので、もちろんワクチン未接種者も入るでしょう。
■ ハンセン病対応の歴史
【古代・江戸】
『日本書紀』推古天皇二十年の項には、”らい”に関する記載があり、患者が島に置き去りにされたことが書かれています。江戸時代には屋敷の奥に隠れるように暮らしたり、家を追われて「放浪らい」と呼ばれ乞食生活を送る人もいました。適切な保護が行われなかったため、諸外国から批判を受けた記録もあります。
【明治】
1907年(明治40年)、外国からの批判を受け「らい予防に関する件」が制定されました。目的は「患者救済」ともされましたが、実態は社会からの隔離。この法律により「らいは強い伝染病」という誤ったイメージが広がり、差別や偏見が助長されたといわれています。
➡コロナ禍でも「感染したら迷惑」「実家に帰れない」といった空気が蔓延しました。科学的には若年層の致死率は極めて低いのに、異常な隔離政策から感染したら終わりのような誤った考えが広まりました。
【昭和】」
1929年(昭和4年):
各県が競ってハンセン病患者を見つけだして強制的に入所させる「無らい県運動」が全国的に進められました。
1931年(昭和6年):
「らい予防法」が成立し、強制隔離によるハンセン病絶滅政策という考えのもと、在宅の患者も療養所へ強制的に隔離。国立療養所が全国に配置ました。
➡これは、コロナでの「PCR陽性=感染者」と短絡的に扱い、マスク非着用を理由に排除しようとした構造そのものじゃないですか。
■ 物申す医師・無視する学会
小笠原 登医師
「ハンセン病は不治の病ではない」とし、強制隔離や優生手術に反対。しかし、当時の学会などは彼の主張は認められませんでした。改正した優生保護法の元、ハンセン病患者の子供は隔離され、積極的に堕胎や誕生後に殺害するなど、断種が継続されていました。

光田 健輔医師
「無らい県運動」を主導。診断法「光田反応」を開発し、権威として隔離政策を強力に後押ししました。
1943年に特効薬プロミンが登場し、1947年に国内治療が開始されても、隔離政策を維持・強化すべきと主張。
戦後も「優生保護法(1948年)」でハンセン病が明文化され、1953年には患者会の猛反対を押し切って成立した「らい予防法」にも強く影響していました。光田医師は文化勲章を受章しています。

なお、この頃にあった悪魔のような”らい予防協会”の会長は、令和の新1万円札「渋沢 栄一」です…
実はこれらの政策には皇室も絡んでおり、それを理由に皇室を攻撃する論調もあります(ここは一線を引くべき)。
■ その頃の患者さん
らい予防法の存在が世間のハンセン病に対する偏見や差別をより一層助長したといわれ、患者はもとよりその家族も結婚や就職をこばまれるなど、偏見や差別は一向になくなりませんでした。
また、ハンセン病であることを隠して療養所の外で暮らしていた方々も、差別を恐れ、また、適切な医療を受けられないなど大変な苦労をしました。ちなみに、光田医師は、岡山県にある愛生園という隔離施設の園長でもありました。
■ らい予防法の廃止
1996年(平成8年)、ようやく「らい予防法」が廃止。しかし入所者はすでに高齢で、後遺症や障害を抱えたまま。社会の偏見も根強く、療養所外で暮らすことに不安を抱き、退所を選べない人が多く残りました。
私自身、たまたまドライブしてたら岡山県の愛生園を偶然訪れたことがあります。独特の雰囲気があり、後にハンセン病隔離施設と知って驚きました。

■ そして現在は…
満員電車は普通に走り、感染源の国である中国人観光客には、ノーマスクでウェルカムしていたのに、いざマスコミが大騒ぎすると異常事態に発展しました。まさに「無コロナ県運動」です。

特定の医師、政府、マスメディアは、狂気的にmRNAワクチン絶対主義を広める一方で、ワクチン被害者が発信する切実な訴えに対して、”デマである”とレッテルを貼り、多くの被害者を傷つけました。

下記のような醜悪な広告が世に蔓延っていました。
自分のために、みんなのためにと、人権を蹂躙していたのです。

一方で、立場を失いかねない中、科学的根拠に基づいて患者のために発信した研究者・医師もいました。

主な参照ページ:わたしたちにできること
■ 歴史は繰り返す
ハンセン病の隔離政策は誤りだったにもかかわらず、主導した医師は勲章を受け、反対した医師は攻撃されました。しかし、結果的に反対意見の方が正しかったことを歴史が証明しました。
方針転換を早くしていれば、被害は大幅に減ったでしょう。コロナ禍でも同じことが繰り返されました。
感染症法の前文にある反省文は一体何だったのか。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
素敵な1日でありますように。
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