2024/6/3
こんにちは。兵庫県川西市議会議員の長田たくや(ながたく)です。
引き続き、知覧の研修報告です。次は知覧平和公園(特攻平和会館)のお話しをします。
知覧レポートは全二回です
・富屋食堂~知るべき~編
・知覧平和公園~行くべき~編(本記事)
■ 一度は訪れてほしい
知覧平和公園と特攻平和会館は隣接しており、名前に「特攻」と「平和」という相反する言葉が一体となっています。日本人が平和を考える際に、特攻という歴史をネガティブにもポジティブにも捉えるのではなく、事実を知り、思いを馳せることが大切だと私は考えています。
鹿児島中央駅からバスでアクセスできるので、ぜひ訪れてみてください。会館には実際の航空機体や多くの遺書が保存されています。
参照:知覧特攻平和会館

■ 知覧平和公園
公園内には、実際に使われた戦闘機(レプリカ)が展示されています。塗装のハゲ具合などもリアルに再現されており、かなりの精密さです。
実はこの機体、ある映画(後述)で使用されました。

この機体は一式戦闘機「隼(ハヤブサ)」です。
西暦1941年(※皇紀2601年)にできたので、一式と呼ばれ陸軍に所属します。250kg爆弾と燃料タンクを抱えることで、体当たり時の爆破燃焼力を高めているとされています。機銃は両翼に配置されていることが多いですが、本機は操縦席の前方に配置されており、狙いをつけやすいという特徴があります。さらに、プロペラと機銃を連動させる機構があり、プロペラに当たることなく機銃を発射できます。
ちなみに有名なゼロ戦は、1940年(皇紀2600年)にできたので零式戦闘機と言います。海軍所属の戦闘機で、航空母艦からの発進を前提に設計されています(両翼が折りたためる)。
※皇紀とは日本のオリジナルカレンダーです。西暦に660年を足します。
■ とこしえに…やすらかに…
公園内には「とこしえに」と「やすらかに」という銅像があります。

これは特攻隊員とその見送りをする女性を表現したものです。
ただ置いてあるだけではなく、その意味を深く考えさせられます。実際、解説を受けて初めてその背景を知ることができました。

■ 開聞岳と特攻花
特攻機は知覧を飛び立ち、開聞岳の隣を通過して沖縄本土へ向かいます。開聞岳を横切る際、隊員たちは黄色いキクの花を別れの印として空に放ったとされています。その花は、開聞岳付近に自生するようになり、「特攻花」と呼ばれるようになったと言われています。
ただし、正式にはオオキンケイギクという花で、明治時代に観賞用として輸入された外来種です。オオキンケイギクは、2005年に施行された「外来生物法」によって特定外来生物に指定され、栽培・譲渡・販売・輸出入などが原則禁止されていますのでご注意ください。
綺麗な花ですが、持ち帰ることはできません。

■ なでしこ隊とマスコット
なでしこ隊は、特攻隊員の食事や身の回りの世話をする14、5歳の女学生たちで構成されていました。一見、嬉しそうに特攻隊員を見送るように見える写真もありますが、実際には誰もが涙を流していたそうです。その顔を撮影させることはなかったと伝えられています。

特攻前、女学生たちは手作りのマスコット人形を特攻隊員に渡していたと言われています。特攻隊員たちがそのマスコットを手にして飛び立つ写真もあり、この待機場所は「三角兵舎」と呼ばれています。
みな笑顔ではありますが、これも指示された撮影だそうです。特攻隊員はそのマスコットと共に飛び立ちました。その人形も、現在は特攻平和会館に保存されています。
■ 三角兵舎
公園内には、特攻前の隊員たちが過ごした「三角兵舎」のレプリカも展示されています。くぼんだ場所に作られており、上空から見えにくく、近くで爆弾が落ちても被害が抑えられるような工夫が施されています。

■ 特攻平和観音
「特攻の母」として知られる鳥濱トメさんは、終戦後、特攻隊員たちの墓として1本の杭を立て、毎日手を合わせ続けました。その場所には、現在「特攻平和観音」が建立されています。
観音堂前には、特攻で亡くなった隊員たちの名前が刻まれた石碑がありますが、正気を失って自害したり、実家の上空を旋回後に墜落した隊員たちの名前は刻まれていません。そのことから、特攻作戦の犠牲者は、名前が刻まれた人々だけではないのです。

■ 灯篭
ひときわ古い灯篭がありますが、これは鳥濱トメさんが建てられたものです。

そして、ひときわデカい灯篭があります。実はこの方が建てました。

若き日の石原慎太郎さんです。しかも灯篭には「石原」という文字はありません…

石原慎太郎さん監督の映画「俺は、君のためにこそ死にいく」は、鳥濱トメさんや富屋食堂を描いています。その映画の主題歌はB'zの稲葉浩志さんが作詞したもので、彼は知覧飛行場が見える丘に何時間もわたって座り込み、作った曲だそうです。

特攻隊員の多くは十代の若者でした。その出来事が今では信じられないものに感じますが、それは日本が乗り越えてきた事実であり、美化せず卑下せず、尊敬の念を持って向き合うべきだと強く感じています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
素敵な1日でありますように。
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