長田 たくや ブログ

【研修報告】 鹿児島知覧~特攻の母~ 【富屋食堂】

2024/5/24

こんにちは。兵庫県川西市議会議員の長田たくや(ながたく)です。
今日は鹿児島県南九州市知覧町についてお話しします。

「知覧(ちらん)なんて知らん」ではダメ。日本人として絶対に知っておくべき町だからです。2023年7月に研修視察で初めて訪問しました。
私は偉そうなことは言えず「知らん」状態でしたので、本当に衝撃を受けました。

知覧レポートは全二回です
富屋食堂~知るべき~編(本記事)
知覧平和公園~行くべき~編


■ 特攻の町ー知覧ー
特攻作戦(陸軍)はどのようなものだったのか、知覧特攻平和会館のホームページに非常に分かりやすくまとめられています。沖縄戦で出撃した陸軍の特攻機は1036名、そのうち知覧町から出撃したのが402名と圧倒的に多かったのです。志願兵のなかには朝鮮や台湾出身者もいました。
参照:知覧特攻平和会館

■ 特攻隊員の食事処
特攻隊員の食事の場として、軍から指定を受けていたのが知覧町の「富屋食堂」でした。ここでは食事を提供するだけでなく、身の回りの世話もされていました。
富屋食堂は現在、検閲されていない特攻隊員の遺書や写真を多数展示する「ホタル館 富屋食堂」として資料館となっています。
参照:ホタル館 冨家食堂

■ 特攻の母
鳥濱トメ(享年89才)は、富屋食堂の女将さんでした。この方が「特攻の母」と呼ばれています。なぜかというと、訓練中の兵士たちが食事に通っていた富屋食堂で、訓練後に再び訪れることは、特攻作戦の実行、つまり「生涯最後の食事」を意味していたのです。

特攻隊員のお母さん替わりとなって話を聞いたり、明日飛び立つ若者に食事を作るために私財を質にまで出して食材を調達していました。まさに彼らにとっての「最後のお母さん」だったのです。

鳥濱トメ氏 引用元:ホタル館 冨家食堂

■ 手紙の検閲
戦時中では、兵士が家族あてる手紙でさえも検閲対象でした。特に弱音や不満は厳しく検閲されており、そのためか特攻隊員の遺書には勇ましいフレーズが多く見られます。
➡戦時中の遺書は、すべてが「真の想い」ではなかったということを初めて知りました。

トメさんは特攻隊員から遺書を預かり、プライベートな手紙として家族に届けるなど、彼らの最期の願いをかなえてあげていました。そのことが憲兵に知られ、暴行を受けたこともありましたが、その際には特攻隊員たちが身を挺して「母」を守ったそうです。

■ なぜ「ホタル」なの?
「ホタル館 富屋食堂」のホタルの由来は、宮川三郎少尉(当時20歳)のエピソードに基づいています。

宮川少尉は1945年4月、薩摩半島の万世飛行場から出撃しましたが、機体不調で帰還。その後、知覧町への移動命令を受けました。
宮川少尉の20歳の誕生日である6月5日に出撃命令が下り、富屋食堂にお別れを告げに訪れた際、「今度はホタルになって戻ってくるよ…」と伝えました。トメさんの末娘である礼子さんに、自身の形見として兄に買ってもらった万年筆を手渡し、その翌日、6月6日に沖縄へ向けて出撃し、帰らぬ人となります。

その日の夜、一匹のホタルが食堂に舞い込んできたそうです。トメさんの二人の娘たちは、その光景に気がつき叫び声をあげました。「お母さーん、宮川さんよ、宮川さんが帰ってきたわよ!」。その場にいた特攻隊員たちは涙し、みんなで「同期の桜」を謳ったということです。

~同期の桜~
貴様とおれとは 同期の桜
おなじ航空隊の 庭に咲く
咲いた花なら 散るのは覚悟
みごと散りましょ 国のため

彼の魂を象徴するものとして「ホタル館」の名前がつけられました。語り部として、トメさんのひ孫である鳥濱拳大(けんた)さんが歴史を引き継いでいます。

■ 最後の食事~卵丼~
富屋食堂にて、特攻前最後の食事として振る舞われたのが「卵丼」でした。戦争末期の時期ですし、卵ですら大変貴重品でした。知覧研修ツアーでは、特別メニューとしてその卵丼を味わうことができました。味付けは当時のレシピを参考にしたもので、控えめな甘さの優しい味でしたが、途中で涙が出てきて食べづらくなりました。

■ 戦後の鳥濱トメさん
終戦後、トメさんは飛行場跡地に1本の棒杭を立て、「これがあの子たちのお墓だよ」と言い、毎日欠かさず手を合わせ続けました。戦時中は「軍神」として崇められていた特攻隊員たちでしたが、戦後は「特攻くずれ」と呼ばれ、軍国主義の象徴などとして蔑まれたのです。

それでも、トメさんは特攻隊に対する慰霊と平和の尊さを伝え続け、町長にも再三働きかけ、ようやく飛行場跡地に観音堂が建立されました。
終戦から10年が経った後のことでした。

【捨て石?】
神風特攻隊、壮絶な戦いを「捨て石」と表現する新聞がこの日本に存在しています。こういった言論がいまなお続いているのです。
参照:沖縄戦ってどんな戦争だったの

■ 最後に
いかがでしょうか。戦争末期、自分の身を守ることに必死だった時代に、目の前の他人に思いを寄せ、親身になり続けた日本人女性がいました。戦争賛美ではなく、知っておくべき事実であり、日本の歴史だと思います。

その人たちの尊い犠牲の上に、現在の私たちがあることを感じるべきです。冒頭の「捨て石」と書いたことがどれだけ無責任な発言か、改めて感じました。
長くなりますので、知覧特攻平和会館のレポートは次回に続きます。

久保議員、トメさんのひ孫である鳥濱拳大氏、西村議員、長田

南九州市は、読み仮名が日本一長い市だそうです。意外にも、日本茶の生産量が市町村単位で1位を誇り、「知覧茶」が特産品となっています。その味はまろやかで、渋みが少なく、非常に飲みやすかったです。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。
素敵な1日でありますように。
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著者

長田 たくや

長田 たくや

選挙 川西市議会議員選挙 (2022/10/16) [当選] 1,680 票
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肩書 参政党の市議会議員で薬剤師でもあります
党派・会派 参政党

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