2026/8/2

今回は、ムンバイ〜アーメダバード間の高速鉄道、いわゆる「インド新幹線計画」を手がかりに、インドの対日外交政策を考えてみたいと思います。
このプロジェクトは日本の円借款による支援で進められてきましたが、最近になってインド側が日本方式ではなく欧州標準のETCS信号システムを採用する方針を示し、シーメンス陣営が契約を獲得しました。 この決定は、日本国内でも大きな議論を呼んでいます。
しかし私は、この出来事こそが「現代インド外交の本質」を端的に示していると考えています。
当初、インドはフランス方式の採用を予定していました。 状況が変わったのは2015年12月、モディ首相と安倍総理の会談後です。ここで日本方式の採用が決まりました。
その背景には、日本が提示した破格の円借款条件があります。
この条件が「日本方式採用」の決め手になったと言われています。しかし、土地収用が難航し、2023年開業は断念。 現在は、来年8月の独立記念日に合わせて一部区間のみ開業する予定です。
当初は日本のE5系導入が予定され、後に日本側は最新モデルE10系の提案も行いました。 しかし、信号システムが欧州方式に決まったことで状況は一変します。
欧州方式の信号では、日本の車両はそのままでは走行できません。 そのため、車両はインド製になる可能性が高いと見られています。
日本はインドの運転士を無償で訓練するなど支援してきましたが、信号システムが異なればこの訓練も活かせません。
日本国内では、
「日本がお金を出したのに」
「結局ヨーロッパ方式なのか」という不満の声も出ています。
しかし、ここにこそインド外交のリアリズムが表れています。
インフレ率5%超の国に0.1%の利息 -これはインド人だけでなく欧州の人でも首をかしげます。
日本は「低金利の円借款をばらまかないと相手にされない国」というイメージを自ら作ってしまっている。 これは外交上の大きな弱点です。
さらに、日本は車両導入については交渉したものの、信号システムについてはほとんど交渉していません。
日本方式の車両を導入するなら、日本方式の信号は安全性確保のため必須です。 それなのに交渉が行われなかったのは不可解です。
結果として、日本は「お金だけ出すスポンサー」になりつつあります。
日本はデリーメトロをはじめ、インドの地下鉄建設に長年関わり、技術も資金も提供してきました。 しかし外交の現場では、技術に明るい人材の関与が少なく、途上国相手だとすぐに「お金を出す」話になりがちです。
そして「察してくれるだろう」という日本的な交渉姿勢が残っています。 これが大きな問題です。
本来、日本方式の車両と信号システムはセットであり、それが受け入れられないなら円借款の条件引き上げを含め、もっと強気の政治交渉が必要だったはずです。
日本は新幹線技術に自信があります。 しかし、提案が相手国の事情に合っていないことが多いのも事実です。
採算を取るには本数を増やすしかありません。 需要がそこまで見込めない国では導入が難しい。
実際、日本でも北海道新幹線は赤字。 中国の地方高速鉄道も赤字。 中国式を導入した途上国の高速鉄道も採算割れが多い。
つまり、日本方式の新幹線は世界標準にはなりにくいのです。
今回の敗因は、相手国の現状に合わせた提案ができなかった点にあります。
ここからインドの対日外交を考えます。
インドは世界有数の親日国です。 歴史的にも日本を敵視せず、若い世代では日本文化の人気も高い。
しかし外交となると話は別です。
インド外交の原則はただ一つ。徹底した国益優先。
アメリカにも従わない。 ロシアにも従わない。 中国にも従わない。 もちろん日本にも従わない。
この姿勢を体現しているのが外務大臣S・ジャイシャンカル氏です。
彼は日本駐在経験があり、夫人は日本出身。 日本社会への理解は深い。 しかし彼は「親日派」ではなく、徹底したインド派です。
国益のためならアメリカも利用する。 ロシアも利用する。 日本も利用する。 これがインド外交です。
ジャイシャンカル氏の著書は日本語にも翻訳されていますが、 中国や日本を歴史・文化・思想まで含めて深く分析しています。 一度読んだだけでは理解しきれないほどの情報量です。
こうした人物に対抗できる外交専門家が日本にはいません。
今回の新幹線交渉でも、技術に明るい理系人材の関与が不可欠でしたが、それがなかった。 これが残念な結果につながったと思います。
インドは「支援される国」ではなく「対等なパートナー」
日本は20年以上にわたりインドのインフラ整備を支援してきました。 デリー、バンガロール、ハイデラバードなどのメトロはその象徴です。
しかしインドから見れば、日本は支援国ではなくパートナーです。
必要なら日本方式を採用する。 不要なら欧州方式を採用する。 そこに遠慮はありません。
冷戦時代から、インドはソ連とも西側とも付き合ってきました。 今はロシアから石油を買いながらアメリカと軍事演習をしています。
日本人から見ると矛盾に見えますが、インドから見れば矛盾ではありません。 インドの利益になるからです。
日本は損をしているのでしょうか?私はそうは思いません。
最大の利益は「中国」です。 日本もインドも中国の軍事的拡張を警戒しています。 だからQUADがあります。
インドが中国に接近してしまえば、日本の安全保障環境は一気に悪化します。 日本にとってインドとの関係維持は極めて重要です。
さらに経済面でも、インドは人口世界一、GDP急成長。 日本企業にとって最重要市場の一つです。
スズキはその代表例で、インドのインフラ整備とともにそのプレゼンスが小さくなっているとはいえ、インド自動車市場はスズキ抜きでは語れません。
インドは世界最大級の医薬品供給国で、ジェネリック医薬品の大量生産能力があります。 日本は医療機器大国で、診断装置・内視鏡・検査機器などに強い。つまり両国は競争相手ではなく補完関係です。
さらに、介護・看護分野では人材交流が進む可能性があります。 日本は高齢化、インドは若年人口大国。 人材協力は今後の大きなテーマになるでしょう。
今回の新幹線問題は、日本がインドを「支援する側」ではなく、 インドが日本と対等な大国として振る舞い始めたことを示しています。
日本外交は、上下関係や「察してほしい」という発想から脱却する必要があります。
契約交渉でも、日本は性善説に基づく簡潔な契約書を好みますが、 世界では通用しません。 欧米式の契約書は問題を事前に想定して細かく盛り込むため長くなりますが、 それが国際標準です。
インド人は契約交渉に長けています。 日本の技術への敬意はあるので、技術面をもっと前面に出して交渉し、契約書に盛り込むべきだったと感じます。
日本人はしばしば 「親日国だから日本を優遇してくれるはず」 と考えがちです。しかしインドは違います。
インドは日本を好み、信頼しています。 しかし最優先はインドの国益です。
だから日本は、インドの国益になることを明確に示しながら交渉しなければなりません。
インドは親日国ではなく、親日「国家」です。 感情としては親日。 外交としては現実主義。
これがジャイシャンカル外相の時代のインド外交であり、 私たちが理解すべき本当のインドの姿だと思います。
追記:
S.ジャイシャンカル氏の著書は下記に。一回読んで内容がすっきり頭に入る方尊敬します。(*_*)
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