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【越谷市と阿波踊り】 なぜ徳島の阿波踊りが越谷に根付いたのか

2026/8/21

越谷と徳島の間に、江戸時代以来の特別な歴史関係があったわけではありません。南越谷阿波踊りは、越谷に昔から伝わる郷土芸能ではなく、昭和後期に徳島から伝えられた文化です。

直接のきっかけをつくったのは、徳島県出身でポラスグループ創業者の中内俊三です。

昭和50年代の越谷は、東京のベッドタウンとして人口が急増していました。各地から新しく移り住んだ住民が多く、便利な住宅都市として発展する一方、住民同士が共有できる祭りや、地域への愛着をどう育てるかという課題がありました。

中内俊三は、事業を営む地域への恩返しとして、住民が一緒に参加でき、越谷をふるさととして感じられる文化をつくろうと考えました。そこで着目したのが、故郷・徳島の阿波踊りです。

2026年8月の『広報こしがや』には、中内俊三の子で南越谷阿波踊り振興会会長の中内啓夫による説明が掲載されています。ポラスグループは以前から地元の盆踊り運営を手伝っており、その経験を踏まえ、地域密着を経営理念とした中内俊三が南越谷で阿波踊りをゼロから始めたとされています。

開催を提唱したのは1983年です。しかし、企業が提案しただけでは、公道を使う大規模な祭りは実現できません。南越谷商店会、自治会、婦人会などの協力を得て地域住民の理解を広げ、市や警察の開催承認へつなげました。中内が営む事業の協力会をはじめ、取引会社も運営を支援しました。

さらに重要だったのが、本場徳島からの技術的な協力です。徳島の阿波おどり振興協会が、開催に向けて全面的な指導を行いました。南越谷は単に「阿波踊り」という名称や衣装を借りたのではなく、本場の正調阿波踊りを手本に、踊り、鳴り物、着付け、隊列、運営方法を学びました。この本物へのこだわりが、後の発展を支える土台になりました。

提唱から2年後の1985年8月24日、第1回南越谷阿波踊りが開催されました。参加したのは11連で、発表された来場者は約3万人でした。

第1回までに2年を要したことも重要です。全国観光資源台帳は、1983年に徳島から指導者を招き、1985年に第1回を開催したと整理しています。映像をまねて一度だけ披露したのではなく、開催前から本場の人材を呼び、地域側の担い手を育てました。道路を使う以上、交通規制や安全確保も必要です。踊りの準備と地域の合意形成を同時に進めたことが、単発の企業イベントで終わらなかった理由の一つです。

南越谷阿波踊りは、行政が観光政策として上からつくった行事ではありません。一人の企業経営者の提案に、商店会、自治会、地域住民、行政、警察、本場徳島、取引企業が加わって実現したものです。

地域文化は古くから存在するものだけではありません。外から伝わった文化であっても、住民が参加し、子どもが覚え、次の世代へ渡す状態が続けば、その街の文化になります。

発案者の熱意に加え、本場による指導、地元団体の理解、企業による長期支援、行政と警察による安全面の協力がそろっていました。文化を移植するだけでなく、それを育てる人間関係まで築いたことが、徳島の踊りを越谷の祭りへ変えました。

確認資料:南越谷阿波踊りの由来広報こしがや2026年8月号全国観光資源台帳

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山田 信一

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