2026/4/19
金井たかし(高志)の「江戸川区情報」江戸川区議会議員・弁護士・行政書士
ルンビニー学園幼稚園卒・江戸川区立下鎌田小学校・瑞江第三中学校卒・都立両国高校卒(金井たかし(高志)のその後の経歴プロフィールを見る)[「たかし」は「高い志(こころざし)」と書く「高志」です。]
かなり前ですが2024年9月17日に、江戸川区議会自民党会派として新中川を学ぶ会を開催しましたので、そのブログ「新中川橋梁整備基本計画(架替・新設)新中川を学ぶ会」を書いておきました。

(昭和63年[1988年]の「新中川橋梁整備基本計画リーフレット」(江戸川区の職員であった中川博道氏からいただいたものの画像です))
この「新中川を学ぶ会」では、江戸川区の土木部から新中川放水路(現在の新中川)の開削・新中川整備の経過と新中川橋梁整備基本計画について説明を受けました。
新中川に架かる橋の説明を受けたわけですが、「新中川を学ぶ会」のすぐ後に、その中で気になった辰巳新橋(たつみしんばし)の名称の由来についていろいろと調べていました。なぜなら、新中川に架かる橋梁のほとんどは地名に由来する名称なのですが、この辰巳新橋には「辰巳」という江戸時代の方角を示す言葉が使われているために、由来が気になったからです。

(「江戸川フォトライブラリー」のサイトから許可を得て「辰巳新橋」の写真を使用させてもらっています。)

(昭和63年[1988年]の「新中川橋梁整備基本計画リーフレット」の中の「辰巳新橋」の頁(江戸川区の職員であった中川博道氏からいただいたものの画像です))
いろいろとインターネットなどで調べたのですが、はっきりしないままで、日にちが経過していました。
最近、生成AIの検索機能が向上したことから、再度調べたところ、ある程度までは調べることができましたので、途中経過ということで、記事を書いておきたいと思います。
まず、新中川に架かる現在の「辰巳新橋(たつみしんばし)」は、かつてその近くに存在した「辰巳橋」という橋の名を受け継いだものということがわかりました。
この「辰巳橋」は新中川ができるよりもずっと前から存在していたものなのですが、どこに存在していた橋であるかが次の調査事項でした。
大正から昭和初期にかけて別の場所に存在していて、辰巳橋は現在の南小岩付近を流れていた古い用水路(上下千葉用水(上下之割用水)の支線である小岩用水)に架かっていた橋であることまではわかりました。
そして、その場所について、昭和初期の地図を確認すれば、現在の千葉街道(国道14号)から少し南側に入った水路に「辰巳橋」を探すことができるということまでは、たどり着くことができました。(地図はまだ調べていませんが、江戸川区中央図書館で調べればよいかもしれませんので、時間を見つけて調査をしたいと思います。)
次に、辰巳橋の「辰巳(たつみ)」は方角の「南東」を指しますが、どこから見て「辰巳」の方角であったのか、ということも名称の由来を考えるために必要です。
これについては、AIでの回答での由来を一応書いておきます。A説:小岩寺(善養寺)から見た方角。小岩の歴史において基準となるのは、古刹「善養寺」や旧村の中心地です。そこから見て辰巳(南東)の方角に架かっていた橋、あるいはその方向へ向かう道にあった橋であることから名付けられたという説です。B説:集落の端(辰巳角)ということで、当時の下小岩集落から見て、東南の端にあたる場所を「辰巳角」と呼び、そこにあった橋を辰巳橋と呼んだと由来を考える説です。これらについては論理的に推論できるということにすぎず、文献での記載に基づくものではないものですが、参考までに記載しておきます。
以上が辰巳新橋の名称の由来を調べた途中経過です。地名や橋の名称などの由来を調べる場合に、インターネットで閲覧できる資料で由来が確定できればよいのですが、過去の文献や地図のすべてがデジタル化されているものではないので、実際に実物の資料を見ないと解明できないことがよくあります。
これからも、江戸川区で気になった地名や名称をできるだけ調べていきたいと思います。(筆者金井たかし(高志)のプロフィールを見る)
金井たかし(高志) 江戸川区議会議員・弁護士・行政書士・武蔵野大学法学研究所客員研究員(元 武蔵野大学法学部・大学院教授 元LINE(株)監査役 [高い志(こころざし)で、また、豊富な弁護士経験で、江戸川区政に貢献)]
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