2026/5/15
先日、あるNGOの活動報告会に参加してきました。ミャンマーでの医療奉仕活動から始まり、カンボジアでの小児病棟建設など、20年以上の歳月をかけて多くの子どもたちの命を救ってきた団体です。彼らの活動は海外に留まらず、日本の離島医療や災害医療にも根気強く取り組まれており、その献身的な姿勢には頭が下がる思いでした。
今回の報告会の中で、特に私の心に深く刻まれたエピソードがあります。
参加者からの「現地でどのようなカルチャーショックを受けましたか?」という質問に対し、登壇した女性ドクターはこう答えました。
「目の前にまだ患者さんがいるのに、時間になればお昼ご飯を食べに行き、勤務時間が終われば帰宅してしまう。日本の医療現場では考えられない光景が、現地では当たり前だったことです」
当初は戸惑いもあったそうですが、活動を続ける中でドクターはその背景にある真理に気づかされます。カンボジアのスタッフが自分や家族との時間を何より優先するのは、彼らにとって「家族が最後のインフラ」だからです。
日本のように社会保障や制度が整っていれば、一人でも生きていく術があります。しかし、そうした公的な支えがない場所では、病気になれば家族がいなければ病院へ行くことすらできず、食事を摂ることさえ叶いません。頼れるのは家族だけ。だからこそ、彼らは自分や家族を守ることを何よりも大切にするのです。
現在、歩み寄りによって現地のスタッフが食事や帰宅を遅らせて協力してくれる場面も増えたそうですが、基本的にはその価値観を尊重し、同じ歩幅で活動を続けているといいます。
この話を聞き、私は「どちらのあり方が幸せなのだろうか」と考え込んでしまいました。
確かに、日本の社会保障や医療制度は世界的に見ても極めて優秀で、恵まれています。しかし、その一方で私たちはどうでしょうか。
制度が整い、一人で生きていけるはずの日本で、孤独や心の悲鳴が溢れている現実に直面します。
登壇したドクターの言葉 「たとえ命が救えなかったとしても、心を救いたい」
この言葉は、国境を越えて「本当の幸せとは何か」という問いを私に投げかけてきました。
物質的な豊かさや完璧な制度が必ずしも心の安らぎを保証するわけではありません。家族という最小単位の絆を何よりも尊ぶカンボジアの人々の姿と、制度に守られながらも孤独を深める日本の現状。
どちらが正しいという正解はないのかもしれません。しかし、私たちがこの「豊かすぎる国」で失いかけている大切な何かが、ドクターが向き合ってきた現地の日常の中に隠されているような気がしてなりません。


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ホーム>政党・政治家>一谷 勇一郎 (イチタニ ユウイチロウ)>本当の「豊かさ」とは何か。カンボジアの医療現場から教わったこと