2024/9/11
ブライアンリグス氏の著作「日本のホロコースト」が令和6年3月発売された。発売になったのは英語版であり日本語版は出版されていない。参議院議員神谷宗幣氏が当該書籍について発売予定の段階で質問主意書にて政府に問うている。
『本件書籍の紹介文によると、一九二七年から一九四五年の間に天皇の命令により少なくとも三千万人が虐殺されたという主張が含まれているようである。しかし、これは歴史的な事実として何ら裏付けがない。・・・「アジアで日本の侵略により三千万人が犠牲になった」とする主張については、これを支持する統計的な資料は見当たらないことが指摘されている。・・・政府は、歴史的事実に基づかない主張や情報が我が国の国際的イメージに与える影響に対して、どのような対策を講じているか。特に、歴史的事実と異なる内容を含む公表資料や著作に対して取り組んでいる具体的な施策と、それらが我が国の国際的イメージの改善にどのように寄与しているかについて示されたい。』
この問いに対して政府の回答は
「事実誤認に基づく報道が外国報道機関によって行われた場合には、正確な事実関係と理解に基づく報道がなされるよう、速やかに在外公館や外務本省から当該外国報道機関等に対して客観的な事実に基づく申入れ等を実施している。加えて、動画などの広報用の資料を作成して様々な場面で活用しているほか、外務省のウェブサイトやソーシャルメディアを通じたオンラインでの情報発信にも取り組んでいる。」
としている。ブライアンリグ氏の著作は外交報道機関によるものではない。本年3月に既に当該書籍は発売されているが政府はおろか日本国民からの抗議の声はほとんど聞かれない。日本語版が発売されていないのだから余儀ないことであろう。だからと言ってほうっておいて良いことではない。日本人の知らないところで日本や日本人に対する印象を不当に害されてしまう。我々の知らないところで事実に基づかない誹謗を受け謗られることは看過しがたいことであるし、何より先人に申し訳がたたない。
1997年に中国系米国人ジャーナリストのアイリスチャン氏の著作「ザ・レイプ・オブ・南京」が発売され米国内でベストセラーとなった。この著作はチャン氏の取材による証言や口述を集めたようなものであり史実に即していないことが明らかな内容であったが、米国内の主要メディアであるワシントンポストやニューヨークタイムズは当該書籍を絶賛している。米3大ネットワークも好意的に取り上げたことから同作品はベストセラーとなった。一方でその内容たるや日本の歴史研究を無視しているのみならず、多くの明らかな虚偽や不正が為されている。掲載されている写真の多くは偽造や誤用であることが証明された。このような不逞の本がベストセラーになってしまうと事実ではない情報による誤った歴史認識が多くの米国人に植えつけられる。歪曲された歴史が恰も事実であるかの如く広く認知されていく。チャン氏の作品には当然のように多くの批判が日本の学者だけでなく米国の学者からも寄せられた。当時の斉藤邦彦駐米大使が「不正確で一方的な見解だ」と主張するに至っている。批判はあくまで批判に過ぎず当該書籍の読者の全員に届くわけではない。不実の書を信用する読者が少なからずいる。だから一度世に放たれた誤った情報を消し去ることは困難である。
ブライアンリグ氏の「日本のホロコースト」は米国で発売されて半年以上が経つ。歴史学者でもない庶民にとってセンセーショナルな内容は過激であればあるほど印象が強く記憶に残されることとなる。「日本のホロコースト」が売れれば売れるほど旧日本軍がアジア・太平洋地域で3000万人を虐殺したと信じる米国人が増えていく。同時に日本の名誉も棄損されていく。今を生きる日本人として些細なことでもできることをしなければならないと感じる。
私にできることは、
*小事を見落とさぬようにAI要約は使わずにアナログ的に直訳して読み解く。
*明らかに問題がある記述箇所をピックアップする。
*歴史的な検証や考証は行わず歴史家に委ねることにする。
*権利の問題から翻訳文は問題を指摘する箇所以外を公開はしない。
以上である。
当該書籍は670ページ以上、和訳で約30万字(単行本4冊分相当)に上る大作である。かなり骨の折れる作業であるが取り掛かった。「明らかに問題のある記述」を切り取ろうと試みたが、のっけから問題のある記述だらけで労を要すると同時に内容的に気分も大いに害される。問題個所を切り取りだすと文章のほとんど該当してしまう。考えた挙句、BC級裁判の資料等をそのまま転載したエピソードや噂話、著者の四方山話を除いた残りの文章からピックアップすることにした。
ピックアップした問題個所は後述するが、BC級裁判での証言によるエピソードや内容の重複個所を除いても144か所にも上る問題個所があった。
一言で評価するとこの作品は単なるプロパガンダ本というよりかはむしろヘイト本である。天皇を中心とした日本人を一民族として一括りにヘイトスピーチを振りまいているようなものだ。少なくとも学術的な作品ではない。その雰囲気すら感じない。根拠のない、もしくは信憑性の薄いエピソードを並べ天皇をはじめ日本民族を只ひたすらに野蛮人であると批判する。栗林中将の孫である自民党新藤義孝議員に調査の為の協力を得て利用した上で掌を返したように作品の中で徹底的に新藤議員をこき下ろす。この著者は人格的にも礼儀的にも問題があると察する。そして、ブライアンリグ氏はまず歴史書とはどうあるべきかを学ぶべきである。大量の参照や引用を掲載することで学術的な書である風に装ってはいるが根拠になりえない参照や引用が多い。友人とのメールや居合わせた人との会話まで根拠として明記しているのだから驚愕だ。
著作を紹介するAmazonの販売ページの要約の日本語訳は以下の通り。
「日本のホロコーストは、1927年から1945年にかけて日本帝国がアジア太平洋全域で軍備拡張と無謀な作戦を展開した際の残虐行為を調査するため、5カ国18以上の研究施設で行われた調査をまとめたものです。最新の学術研究と新たな一次研究を統合し、日本が少なくとも3000万人の命を奪い、ヒトラーのナチスドイツよりもはるかに多くの犠牲者を出したことを明らかにしています。日本のホロコーストは、裕仁天皇が、軍団が犯した残虐行為を知っていただけでなく、実際に命令していたことを示しています。南京大虐殺やその他の多くの事件で示されたように、最も堕落した人間の想像をも超える残虐行為に対して、天皇は何も止めようとしませんでした。日本のホロコーストは、南京大虐殺がアジア戦争中の孤立した出来事ではなく、1927年から1945年にかけてのアジア太平洋全域での日本の行動の代表例であることを痛ましいほど詳細に記録するだろう。」
根拠ない証言や反日プロパガンダを集めて一次研究などと称するのは稚拙にも程がある。復讐的な裁判における復讐的な証言を集めたり、既に過大に評価された戦争中の被害を更に過大に膨らませて断定的に記述する行為は誹謗中傷に過ぎない。昭和天皇とナチスドイツのヒトラーと同列に論じることは不敬に留まらない冒涜である。
ブライアンリグ氏は戦時の戦場での日本軍による国際法違反を厳しく断罪している。日本軍には断罪されてもしようがない行為がなかったとは言えない。しかしながら、米軍にとってもその指摘は該当する。日本本土の各都市に無差別に空襲を行い、無垢な一般国民を殺害している。広島と長崎への原爆投下も同様である。広島で約14万人、長崎で約7万人の国民が原爆投下という無差別攻撃によって殺害されている。原爆投下によって日本を早期に降伏させ予想される多くの犠牲者が出ることを防いだというが、日本がポツダム宣言を受託するきっかけとなったのはソ連からの宣戦布告にあることは証明された歴史的事実である。ブライアンリグ氏の主張は感情的であり恣意的であり客観性はない。一事が万事、その調子である。
9月11日現在において日本政府も外務省も在米日本大使館もブライアンリグ氏の「日本のホロコースト」に関して何ら声明を発していない。反応するに値しないということだろうか。下世話なものほど人々が興味を持つのも事実であるから何らかの公式な声明を発する必要があると私は考える。反論しないことは認知したことだと意味不明な論を展開する者もいる。「当該書籍には我が国の歴史に係る事実に即さない記述が散見される」ことに対する遺憾を表明するべきだ。公式な記録に残すことは大事なこと。この程度の愚作に抗議したところで日米両国の友好関係に影響することはないはずだ。
ちなみにこの種の作品は日本人に対するヘイトスピーチの一種だと思うのだが、日本のヘイトスピーチ解消法は「本邦外出身者」に対する「不当な差別的言動は許されない」ことを対象としており、日本人が外国人の尊厳や威厳を傷つけてはいけないが、外国人が日本人対してヘイトスピーチすることはお咎めなしである。まるで戦前の不平等条約のようであるが西田昌司議員を中心とする自民公明の与党による議員立法として成立した。外国人による差別を含む誹謗中傷は許されるが、日本人が外国人に対するヘイトスピーチは許さないとは逆差別のような法律である。規律やルールは互える双方に一律であるから機能する。どちらか一方だけを禁じた規則なんてものは単なる弾圧なのではないだろうか。私にはブライアンリグ氏の「日本のホロコースト」は日本に対するヘイトスピーチ本としか思えない。国際的な影響がないとは言い切れないことから政府は公式に声明を発しておくべきではないのか。
第一章 日本の天皇崇拝、不寛容な宗教、ヒロヒト、ファシズム思想、人種差別的信念
天皇への崇敬は、神道と武士道・禅仏教の教義によって強く下支えされていた。これらの教義は、日本人に優越感を与え、日本人でない者を少しでも理由があれば殺害することを正当化した。
→根拠なし
学校の子供たちが「勇敢に国家に身を捧げ、天地と同等の皇位を守り、繁栄させよ」という誓いを暗記して唱和させ、天皇の教え、判断、布告が絶対的なものであると断言することが義務付けられた。
→教育勅語の誤訳誤解。朕惟フニ、我カ皇祖皇宗、国ヲ肇ムルコト宏遠ニ、徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ。(天皇である私が思うのは、私の祖先である神々や歴代天皇が、この国を始めたのは宏遠なことであり、道徳を樹立したのは深厚なことである。)
裕仁は、父と祖父の足跡をたどり、国民を政治的に指導し、未熟な状態に維持することを楽しんでいた。
→根拠なし
昭和天皇は戦略家であり、兵士ごっこを楽しんでいた。彼は自由に、そして無頓着に兵士たちに戦争の法と慣例に違反する行為をするように命じた。
→事実無根
外見上は受動的で温厚な性格だが、実際には領土を欲しがり、帝国に飢え、征服された人々や自国民の苦しみに無関心だった。
→根拠なし
裕仁は天皇への盲目的な信仰が野蛮な行為を助長する狂信者に率いられた暴走した軍隊で日本を統治した。この野蛮な行為は過度のレイプ、殺人、拷問、略奪が特徴であった。
→野蛮な行為と天皇への信奉を結び付ける根拠はない
日本人の多くは集団思考とルール重視の社会を共有しており、それが彼らを最も非寛容で、排外主義的で、国家主義的で、日本の国民は、近代国家が生み出したことのないほど残忍で残酷な人々であった。この国を完全に打ち負かすには、連合国の総合力と優れた兵器および科学の進歩が必要であったのも不思議ではない。
→著者による原爆使用の穿った肯定論にすぎない
第二章 日本とナチスドイツとの人種的緊張とファシストを混合したイデオロギー
日本人は、国家形成と帝国拡大のためのドイツのロードマップを紛れもなく模倣していたにもかかわらず、ドイツ人に対して野蛮人を意味する「外人」と呼び続けた。
→誤認
(ドイツと日本は)少なくともユダヤ人は危険であり迫害に値するという点では意見が一致していた。
→根拠なし
第3章 日本の武道文化
何十年もの間、日本軍人は、白人や中国人などの敵は「劣っており、尊敬の余地のない人間以下の生き物である」という「証拠」を教え込まれてきた。
→根拠なし
日本軍が中国人捕虜を殺害した後、死者の肉や筋肉、肝臓を食べることさえあった。
→真偽不明
日本軍は、1942年のフィリピン陥落後、悪名高いバターン死の行進を含め、何千人もの罪のない連合軍捕虜を殺害した。撃墜された空軍兵は捕虜になった直後に処刑されることが多く、場合によっては残酷なことに捕虜をバラバラにされ、食事として食べられた。
→事実無根 バターン事件に関しては米軍にも人道的配慮が記録されている。
1931年から1945年までに捕らえられた数十万人の中国人捕虜のうち、戦争終結時に収容所で生きていたのはわずか56人だったという事実は、驚くべきことにほぼ100%の殺害率を示している。
→根拠なし
日本の残虐行為は、罪のない捕虜の虐殺に留まらず、無防備な人々に対する虐殺も行った。
征服した地域の住民が殺され、数百万人が死亡した。
→真偽不明
ドイツが主にユダヤ人を人類最悪の存在として標的にしたのに対し、日本のイデオロギーはさらに進んで、日本人以外のものはすべて生きるに値しないとみなした。このイデオロギーは広範囲にわたる殺人行為として現れた。
→事実無根
日本の残虐行為は、罪のない捕虜の虐殺に留まらず、無防備な人々に対する虐殺も行った。
征服した地域の住民が殺され、数百万人が死亡した。国民として、日本人は他者を殺すことを受け入れ、世界征服を当然のことと考え、残虐行為を犯すための洗脳をした。日本人は征服した人々を使い捨ての資源として扱い、彼らの幸福を顧みることなく、自分たちの利益のために搾取した。日本の文化全体が国民を大量殺戮に備えさせるように意識付けられていた。
→根拠なし
権力欲の強い人種差別主義者は、日本を全人類の支配者としての正当な地位に復帰させるために、人権と国際法を侵害することを正当化できる。言い換えれば、考古学的証拠、歴史的分析、日本の年代記がそれを証明しているため、日本人には全世界を強姦し支配する歴史的正当性があったのだ。
→根拠なし
教育の場を邪悪な目的のために使い、大量殺戮、非寛容、そして人種差別主義者の兵士、外交官、支配者たちをコントロールし、彼らに知的自由と心理的条件付けを与えて、どこでも犯罪を犯せるようにした。
→根拠なし
日本軍は征服地の外国人を、ナチスがユダヤ人、ジプシー、共産主義者、男性同性愛者に対して行ったのと同じ残虐行為で扱った。日本人は犠牲者を至近距離で喜んで殺害した。女性を輪姦し、首をはね、捕虜を銃剣で刺し、国民を飢えさせ、国民党中国人に対して生物化学兵器を配備し、殺害を成し遂げるのに時間をかけた。
→事実無根
第4章 日本の排外主義と帝国主義の目標の実践
日本軍の残虐行為の最もひどい例は、山地元治将軍の指揮下で満州の旅順港を略奪した際に起きた。彼の部隊は2,000人から3,000人の男性、女性、子供を虐殺したが、一部の報告ではその数は6万人に上ったとしている。さらに、元治の兵士たちは何千人もの強姦を犯したが、これは日本が都市を占領する際に採用した手口を反映している。
→旅順事件には諸説ある。伊藤博文は政府としての弁明を正式に行っている。
日本政府は、37万人という驚くべき数の朝鮮人を強制的に徴兵した。
→事実誤認、ほとんどが志願兵
裕仁天皇は、関東軍の指揮官と兵士を「中国の『匪賊』に対して『自衛』で勇敢に戦った」と称賛する勅語を発した。褒賞として、天皇は満州の開拓と上海周辺での軍事行動に関わった軍人や公務員3000人に賞と昇進を与えた。
→事実誤認(拝謁記の中で軍の行為を繰り返し批判)
日本による領土拡大と占領の規模は驚くべきもので、影響を受けた地域に広範囲にわたる影響を及ぼし、今や数百万人以上の中国人が絶え間ない強姦、殺人、搾取にさらされた。
→根拠なし
1940年9月27日、日本は日独伊三国同盟を通じてナチスドイツとファシストイタリアとのより強力な同盟関係を結んだ。裕仁天皇は次のように書いている。
これらの国々は「我々と同じ意図を共有している」ため、日本に利益をもたらした。
→事実誤認 天皇は三国同盟締結に批判的であった。
栗林中将の孫で、日本の自由民主党(実際は右翼、国家主義、保守政党)の政治家である進藤義孝氏でさえ、次のように述べている。
アメリカがインディアンやメキシコ人から土地を奪い、グアムやフィリピンのような支配者を奪ったように、我々は国家を建設していた。それは我々の明白な運命だった。国境を広げる時が来た。我々の植民地化を防ぐには、アジア全体に物理的影響力を広げるしかないと我々は感じていた。
当時の日本は、言論の自由や民主主義もなく、人々を殺害するという間違った手段でこれを行いました。私がこれを皆さんに話すのは、当時の日本人がなぜそのような気持ちになったかを理解していただくためです。
→新藤義孝議員に事実確認の必要性あり
日本の首相、東条英機将軍(1941-1944年)。彼は軍隊を海外に派遣したが、彼らが行く先々で殺人や強姦をしていたことは重々承知していた。彼はそんなことは気にしなかった。
→根拠なし
攻撃当日、裕仁は海軍の軍服を着て素晴らしい気分で勝利を誇っていた。裕仁は前線部隊を惜しみなく賞賛し、指揮官たちにアメリカの指揮官に対する大統領表彰よりもはるかに名誉と威信のある勅書を送った。12月12日までに裕仁は日本の勝利に対して神々に感謝し、国家非常事態のこの時期に国を率いるために彼らの保護を求めた。
→真偽不明 昭和26年12月14日の拝謁では「平和を念じながら止められなかった」、「東条内閣の時ハ既ニ病が進んで最早(もはや)どうすることも出来ぬといふ事になっていた」と述べた。
第五章 南京大虐殺
1937年7月から1938年3月にかけて、日本軍は上海から南京まで、言葉に絶する暴力の波を引き起こしました。犯された犯罪の規模は計り知れず、少なくとも30万人の中国民間人が残虐に虐殺され、8万人以上の女性が強姦されました。
→諸説あるが真偽は不明。
約20万人の兵士がこの地域を占領した。この地域での作戦は5~6か月続き、その間、毎月平均 5 万人の罪のない命が失われた。
→諸説あり、真偽不明。
1937年から1938年の冬に上海から南京までの作戦中に殺害された30万人のうち、8万人から9万人は中国人捕虜だった。
→諸説あるが、実数を断定する根拠はない
彼(松井石根)は皇居で裕仁と個人的に会見し、天皇は彼に「南京を占領して中国政府の抵抗の意志を打ち砕け」という命令を下した。
→根拠なし
松井は捕虜を処刑するという運命的な決断を下した。それは、彼の兵站上の問題を素早く、都合よく解決し、軍事統制を実施できると考えたからである。そのような行為が国際法に違反することを十分承知していたにもかかわらず、松井はこれらの法的制約を露骨に無視した。松井の第10軍の下で無防備な捕虜の殺害が行われていた一方で、占領地では強姦が横行していた。
→諸説あり。松井は虐殺を知ったのは終戦後だと証言している。
昭和天皇は南京で行われた破壊と残虐行為を認め、将軍たちに不名誉な勲章と賞を授与した。12月14日、天皇は参謀長たちに南京征服の祝意を伝える勅書を授けた。1938年2月、天皇は松井将軍を称える勅語を発し、南京での偉大な軍事的功績をたたえた。朝香中将は1940年4月、南京大虐殺の際の任務を一部称えられ、金鷲勲章を授与された。
→真偽不明。天皇が詳細を知ったのは東京裁判においてである。
中島は抗議もせずに船に乗り込み、7,000人から8,000人の捕虜を一団として処分する計画を練ったが、ある人が、捕虜を100人から200人のグループに分け、適当な場所に誘い出して殺すという計画を提案した。中島と部下たちは、殺戮を熱心に、効率的に遂行し、しばしば殺人を遂行しながら笑っていた。こうした残虐行為と並行して、日本軍兵士たちはあらゆる場所で女性を強姦し続けた。それが彼らの執念となった。
→根拠なし
下級司令部は、明らかに上級司令部から許可を得ていたが、兵士たちに「敵の中国人を好きなだけ殺したり強姦したりしてよい」と厚かましく指示した。ある軍曹は、部下に対して「中国人を殺すのは犬を殺すのと同じだ!何も感じないだろう!試してみればわかるだろう!」と言い、民間人を殺すよう奨励した。その兵士はこの奨励に従って行動し、老女を撃ち殺した。その女性の脳は近くの壁に飛び散った。兵士にとって喜ばしいことに、仲間たちは彼の行為に喝采を送り、拍手喝采し、他の兵士にも同様の行為をするよう彼を駆り立てた。勇気づけられた彼はあらゆる年齢の中国人、子供さえも殺した。そして少女たちを強姦した後、彼らも殺すつもりだった。彼は恐ろしい行為を不穏な熱意で実行した。
→真偽不明
南京の避難民、および1937年から1938年にかけての日本軍の軍事作戦の影響を受けた中国全土の2000万人もの人々は、より安全な居住地を求めて故郷を捨てざるを得なかった。
→根拠なし
大まかに翻訳すると、彼(松井石根)の演説は次のようになる。
「我々の支配に服従するか、さもなければ、我々はお前らを強姦し、殺し、征服するだろう」。
→根拠なし
彼らは南京までずっと現地住民を強姦し虐殺する時間も見つけていた。
そして彼らは、南京を包囲しながらも残虐行為を続けました。南京を征服すると、もはや戦う必要がなくなり、彼らの犯罪的かつ非人道的な行為は10倍に増加しました。
→根拠なし
アジア戦争と太平洋戦争を通じて、強姦や殺人の命令や暗黙の承認が出たとき、日本兵は喜んでそれを行ったが、強姦や殺人をしないように命令されたときも、喜んでそれを行った。
→根拠なし
1945年、裕仁政権は連合国とのハーグ条約を引用して捕虜の人道的待遇を確保したが、日本政府は戦争中ずっとハーグ条約の遵守を拒否していたため、二重基準が明らかになった。日本人はまさに偽善者そのものである。
→真偽不明
第6章 シンガポールとマラヤの強姦
日本軍部隊がアレクサンドラ病院に侵入し、300人以上の医師、看護師、患者を殺害した。その中には、手術中だった不運な患者1人とその外科医、麻酔科医も含まれていた。癒しの聖地は、罪のない人々の血で汚れた。
→諸説あり、真偽不明
山下中将は、イギリス軍に対する勝利を喜び、地元住民に対する部隊の行動を支持した後、傲慢にも「日本人は神の子孫であるが、ダーウィンはヨーロッパ人の祖先は猿であると証明した。神と猿のこの戦いでは、神が勝たなければならない」と宣言した。山下の傲慢さは、部下の辻らが「猿」を拷問し処刑する行動を助長した。
→真偽不明
第7章 バターン死の行進
外国人や捕虜を尊厳と敬意を持って扱うという欺瞞的な宣言とは裏腹に、日本の指導者たちは一貫してこれらの原則を守らなかった。
→根拠なし
辻中佐は捕虜を殺すことは道徳的に正しく、政治的に都合が良いと信じていた。
→真偽不明
行進する捕虜の横を通り過ぎるトラックには、刀を振り回す日本兵が乗っていた。彼らは「かがめ」と叫んでから隊列に襲いかかり、素早くかがめなかったアメリカ人の首をはねた。日本兵は「銃床、銃剣、竹の棒を振り回して遊び、歩哨はフィリピン人にアメリカ人捕虜を生き埋めにするよう強制した。目撃者のアメリカ人仲間は恐怖に震え、墓の上で弱々しく、絶望的に手を空に伸ばしているのを見た。水を求める勇気のある捕虜は射殺され、病気や疲労で行進を続けられない捕虜や、途中でつまずいた捕虜はトラックにひかれ、日本兵は犠牲者を笑いながら殺した。倒れて起き上がれなくなった捕虜は、たいていこめかみに銃剣を突き刺されて、すぐに未開の地に送られた。隊列は前進し、道路には首を切断された死体、腐った死体、銃剣で刺された捕虜が散らばっていた。
→真偽不明 マラリア?日本兵4万人アメリカ・フィリピン兵8万人
日本軍は最大の英字日刊紙を利用して、フィリピン征服後に捕らえた連合軍兵士を根絶する意向を公然と発表した。アメリカ兵とフィリピン兵の降伏の意志を嘲笑し、そのような行為は哀れで虐待と死に値すると記した。
最終的に、この記事は、日本の読者に捕虜の絶滅は正当であると認識させ、辻とその追随者の行動を是認させることを狙っていた。歴史的事実をねじ曲げ、歪んだ物語を投影して捕虜の非人道的な扱いを正当化し、世論を操作してこれらの非難すべき行為を支持した。
→真偽不明
この死の行進の生存者が捕虜収容所に到着しても、彼らの窮状は大きく改善されませんでした。悲しいことに、何千人もの人々が、医療の深刻な欠如、食料と水の不足、そして基本的な人間的思いやりの全体的な欠如を特徴とする悲惨な状況に屈しました。その後の数週間だけで、さらに2万人が亡くなり、その後数年間で、さらに数万人があからさまな放置と虐待により早すぎる死を迎えることになります。熱帯病と栄養失調のみで命を落とした人はなんと3万6千人と推定されており、彼らに課せられた苦しみの深さを浮き彫りにしています。
→諸説あり
第8章 グアムの強姦
善通寺に到着すると、生存者(グアム・アメリカ兵・捕虜)はさまざまな収容所に分散され、そこで奴隷労働を強いられました。残念ながら、その後の数年間で、多くの人が飢餓、病気、斬首などの過酷な状況に耐え、亡くなりました。
→事実誤認 善通寺収容捕虜600人、死者10名
収容所に対する日本の管理は、1930年代にナチスがダッハウやザクセンハウゼンなどの悪名高い強制収容所で行った抑圧的な慣行を反映していた。
→真偽不明
占領中に人口は10%減少し、2,000人が死亡した。
→事実誤認
第9章 フィリピンとマニラの強姦
1942年にラナオ州で起きたある事件では、100人の兵士が一団の集落を残忍に襲撃し、多数の死者を出した。1年後、イロイロ州では男性24人と女性3人が縛られ、斬首された。さらに恐ろしいことに、処刑前に兵士らは生後3か月の赤ん坊を冷酷にも捕らえ、全員の前で銃剣に突き刺して空中に投げ飛ばした。この行為に関わった日本人全員が大笑いした。
→真偽不明
1944年11月の陰鬱な月、日本軍はセブ州に進攻し、1,000人の罪のない男女と子供たちを捕らえ、殺害した。
→事実誤認 過大 メデリン事件
1945年1月9日に連合軍がルソン島に上陸した後に起こった。ゲリラ活動に対する残忍な報復行為として、山下将軍の部隊は2万5千人の男性、女性、子供を虐殺した。残念ながら、このような残虐行為は山下の部下にとって日常茶飯事だった。
→真偽不明
日本陸軍と海軍の部隊による都市の破壊で、少なくとも10万人のマニラ市民が命を落とした。都市にもたらされた破壊は甚大で、公共施設や工場の70%以上が破壊され、南部の住宅地区の80%が廃墟となり、商業地区全体が跡形もなく壊滅した。悲しいことに、病院も被害を免れず、多くの病院が故意に放火され、患者が中にいることも多かった。都市全体の衛生システムは不可欠なライフラインであり、マニラは混乱、汚物、病気に陥った。
→諸説あり。近年の戦史研究は、民間被害の6割を日本軍による殺戮、4割を米軍の重砲火による死亡と推定している
山下将軍は指揮系統に「可能ならばフィリピン全土を殲滅せよ」という一般命令を発した。「なぜなら、島民は皆ゲリラかゲリラの積極的な支持者であり、アメリカを支持する兆候のある住民はどこでも、その地域の全住民を根絶すべきである」と。
→真偽不明
第10章 シャム・ビルマ鉄道、あるいは「死の鉄道」
過酷な環境にさらされたこの奴隷労働は、おそらく33万人以上の現地労働者と1万5000人以上の連合軍捕虜の死につながった。これらの数字は、平均して線路敷設1マイルあたり約1337人の死者、月あたり約2万4642人の死者という、とんでもない人命損失を示している。日本軍は、到着した捕虜に「この鉄道は、たとえお前たちの死体が枕木として使われても通す」と警告したことは誇張ではなかった。ひと月あたりの殺害ノルマは、ナチスのアウシュビッツ絶滅収容所に匹敵する。東条首相はこれらの残虐行為を知っていたが、奴隷労働者が苦労する環境を改善するための措置を講じなかった。
→事実誤認 死者数は過大に表記
1923年9月1日に日本を襲った大地震の後、地元の警察と軍人の支援を受けた何千人もの日本の自警団が、放火、略奪、井戸への毒入れなどの根拠のない噂に基づいて、韓国人に対する虐殺を開始しました。関東地方やその他の地域で、6000人以上の韓国人が容赦なく追い詰められ、強姦され、虐殺されました。
→諸説あり
第十一章 栗林忠道中将
アメリカが日本への爆撃を強化し、硫黄島のような戦闘が再び起こるのを防ぐために日本の2つの大都市に原爆を投下する動機となった。栗林、東条、裕仁のいずれも、硫黄島で通常手段で勝利するためには過大な代償が必要であり、超兵器の日本への配備が避けられず現実になることを理解していなかった。
→諸説あり
第12章 栗林政権によるアジアと香港の強姦
1932年9月の平頂山事件で日本軍は3000人の住民を処刑した。全員がゲリラを支持していたとみなされたためである。同様の虐殺が撫順近郊の3つの町でちょうど1か月前に起き、2700人の民間人が反乱軍を支援したとされて虐殺された。
→諸説ある。3000人虐殺は中国側の主張。
紛争中および香港占領後、日本軍は広範囲に渡って強姦を行った。香港略奪中に、10代前半から60代までの1万人以上の中国人(および外国人)女性が日本軍に強姦または輪姦されたと推定される。しかし、この数字は、これらの犯罪を目撃し、被害者に医療処置を施した香港サナトリウム病院長の李書凡博士によると、大幅に「過小評価」されているという。李博士は推定数字の3倍でも誇張ではないと考えていた。
→諸説あり議論の余地が残る、直系部隊ではなく朝鮮人台湾人による先兵隊の軍紀の乱れよるもの。
ある「ジャップ」は後に、これらの犠牲者たちが「豚の群れのように泣いていた」と述べ、彼らの人間性に対する共感や配慮がまったく欠如していることを示した。このぞっとするような発言は、これらの罪のない女性たちに課された非人間化と残虐行為の規模を示す数千の例のうちのほんの一例に過ぎない。
→真偽不明。差別的記述(ジャップ)
彼(栗林氏)の部隊は、市内の女性を何千人も強姦しただけでなく、無数の民間人を容赦なく殺害し、戦闘中に少なくとも 4,000 人が、占領中に 50,000 人が殺害されました。
→真偽不明
香港占領中、日本軍は数万人の原住民を強姦、殺害、移住させ、地元住民を壊滅させた。かつては活気にあふれていたこの都市の人口は、強制的な避難、移住、殺人、病気、飢餓が重なり、1941年の160万人から1945年にはわずか60万人にまで減少した。日本陸軍が香港を占領した直後、第23軍はしばらくの間、毎日数百人の首を切った。栗林が承認した第23軍が採択したガイドラインは、「敵対的勢力の即時鎮圧」を求めており、すなわち、共産主義や国民主義の分子はすべて投獄または粛清されることになっていた。結果は悲惨で、元旦までに香港のかつての運動場は「銃剣で刺されたり銃で撃たれたりした中国人の死体が山積みになっていた。九龍のキングスパークでの憲兵隊の行動は容赦なく、市民を射撃や銃剣の練習、さらには斬首に利用した。1942年1月末までに、南京とは異なり、香港の海岸線には死体が散乱していた。
→過大表現が含まれる。香港の人口減少は中国本土への移住を進めたことによる影響が大きい。日本軍による虐殺によって急激な人口減少を招いたわけではない。
数か月後の1942年9月25日、栗林の指揮下で1816人の英国人捕虜を巻き込んだ悲惨な事件が起こりました。捕虜たちは日本行きのリスボン丸に乗船させられましたが、この船は収容人数に見合うだけの十分な船ではありませんでした。当初は乗客28人しか乗船できないように設計されていたこの船は、衛生設備も不十分で、囚人たちに十分な食料と水も与えられない、悪夢のような多階建ての牛舎と化しました。下層デッキに閉じ込められた囚人たちは、常に仲間の囚人から汚物を浴び、上層デッキの囚人たちの下痢、尿、排泄物を浴びせられました。病気で死亡した囚人たちは、あっさりと船外に投げ出されました。船内の悲惨な状況は、まさに地獄船でした。1942年10月1日、アメリカの潜水艦グルーパー号はリスボン丸に積まれていた積荷を知らずに魚雷で攻撃した。日本軍の乗組員は捕虜が閉じ込められていた部屋のハッチを閉め、連合軍兵士の最後の集団墓地となることを願って船を放棄した。その間、救命ボートで安全に過ごした日本軍の船員たちは、この艦隊の近くの船へと向かった。連合軍捕虜の何人かは最終的に船から脱出し、最上階に上がると、日本軍の機関銃の射撃に遭遇した。リスボン丸が浸水すると、隣の船の船員の一人が区画は密閉されたまま。魚雷で撃たれた船が消えると、日本軍の船員は砲撃を止めた。10月5日、連合軍の生存者たちは他の船に乗っていたが、艦隊の船が上海に到着した。彼らは集合し、点呼が行われた。調査が行われ、840人の同志が死亡したという悲惨なニュースが明らかになった。
→過大な表現や事実誤認が多い。
坂井の指揮のグロテスクさを示す何百もの事例のうちの1つは、部下2人が女性2人を強姦し、遺体をバラバラにし、ジェフリー・ダーマー風にその肉片を犬に食べさせるのを許したという衝撃的な事例だ。
→根拠なし
軍事に関しては斬新な考え方をする栗林は優れていたが、大量殺人や強姦を止めることに関しては弱かった。悲しいことに、彼は大量殺人や強姦を奨励した。なぜなら、それが敵の領土を奪取する良い方法であると世界的に考えられていたためであり、栗林はこのやり方を熱心に受け入れたのだ。
→根拠なし
第13章 「慰安婦」日本の性奴隷文化
日本は慰安婦を家畜のように扱い、完全に非人間化した。栗林中将が約2000人を送り込み、さらに数千人を現地住民から募集して、彼と彼の第23軍に奉仕させたことがその証拠である。残念ながら、栗林の行為は孤立した事例ではなく、すべての日本軍司令官が外国で作戦する際には部下のために慰安婦センターを組織することを優先した。多くの場合、これらの司令官は、現地の女性を偽りの口実でこれらの強姦所で労働するよう誘い、彼女たちの弱点を利用した。他の例では、彼らはあからさまな強制に強いて、女性が従わなければ殺害すると脅した。特に権力の座にある場合、女性を強姦や虐待の対象としか見ない考え方は、大日本帝国時代に育てられたほとんどの日本人男性の非常にグロテスクな考え方を露呈していることを強調しておく必要がある。
→根拠なし、諸説について議論が分かれるが拡大解釈が過ぎる
軍部は女性の集団強姦や虐待を奨励し、支援することが多かった
→根拠なし
日本が占領期間中に25万人近くの女性を暴行し、数百万の家族を破壊し、他の数百万の家族の健全な発展を妨げたことは、日本が引き起こした最大の人道に対する罪の一つである。ある調査によると、推定20万人の慰安婦のうち、その悲惨な試練を生き延びたのはわずか10%だった。多くは内出血、戦闘地域、または病気で亡くなり、役に立たなくなったと判断されると加害者によって容赦なく殺害された者もいた。
→諸説あり、真偽不明。
第14章 731部隊/日本の人体実験センターと死の収容所
731部隊は、日本帝国陸軍の秘密研究施設で、生物化学兵器実験を行っていた。その活動には、致死的な医学実験や処置を通じて、主に中国人民間人や連合軍捕虜など数万人の残忍な殺害が含まれていた。
→諸説あるが死者数は過大。
石井の部隊は、昭和天皇、参謀本部、陸軍省の密命に従って設立された。科学に対する昭和天皇の関心は、彼が生物兵器の使用を承認し、731部隊による人体実験活動を支持して以降、不吉な方向へと向かった。天皇が承認したとき、部隊の活動を完全に理解していなかった可能性があると主張する人もいるが、上級指揮官はこれを否定した。
→諸説あるが真偽不明。
部隊で作られた生物兵器の開発と配備により、主に中国人の間で約58万人という壊滅的な死者が出た。
→真偽不明。1万人以上の被害者を出した事実はあるが58万人は過大。
これらの忌まわしい行為は最高レベルの指導者にまで知れ渡っており、前述のように昭和天皇もその残虐行為をよく知っていました。首相や東条将軍などの他の上級指導者も実際にその様子を見ていました。
→根拠なし
第15章 麻薬密売国家としての日本
彼(土肥原賢二氏)は15歳の妹を貴族の売春婦にした。この取引は成功し、これらの性的サービスと引き換えに、貴族は彼に軍のより高い階級と、北京での駐在武官、東条英機中佐の副官としての勤務地を与えた。
→真偽不明
世界の違法薬物のほとんど、主にヘロイン、コカイン、アヘンは、土肥原の活動により、日本産であった。
→根拠なし
土井原は、悪意ある影響力を拡大するため、麻薬中毒者を広めるために約8万人の中国人を雇った。さらに、日本人は中国人労働者にアヘンで報酬を支払うことが多く、それによって中国社会全体で麻薬依存が永続化した。
→疑義がある
香港は陥落後、麻薬文化に屈し、当初は売春宿の売春婦たちの間で始まり、この街中に広まりました。驚いたことに、満州だけで人口3000万人のうち、なんと1000万人がアヘン中毒者になりました。上記の数字を知っていた近衛首相は、中国での麻薬取引が裕仁政権にもたらした利益に大笑いして銀行に向かいました。
→諸説あるが真偽不明。
日本が1931年という早い時期に中国全土で麻薬の使用を支援していたことを考えると、土井原の邪悪な事業が、直接的な麻薬のせいで数百万人の命を奪った可能性が高いことは明らかである。
→真偽不明
第16章 その他の日本軍の残虐行為と犠牲者の数
保定占領後の状況は残虐さの壊滅的展開となり、3万人の兵士が一週間にわたる殺人、強姦、略奪の暴行に行った。
→諸説あり。
蘇州だけでも、日本軍は容赦な10246人を殺害し、62146軒の家屋を破壊し、7620頭の牛を盗み、作物の30%を焼き払った。日本陸軍は捕虜となった大勢の男性を機関銃で撃ち、女性を強姦し、ペニスや銃剣で串刺しにした。また、銃弾、銃剣、棍棒を使って罪のない子供たちの命を無慈悲に奪い、時には井戸に投げ込むという恐ろしい行為に訴え、彼らを溺死させ、いくつかの村の水源を汚染するという悲劇的な運命にさらした。731部隊によるコレラ、腸チフス、赤痢の病原体を含む生物兵器の使用は、町や村全体を破壊した。この作戦の終わりまでに、何万人もの女性が強姦され、少なくとも25万人の中国民間人が死亡した。
→諸説あり。真偽不明。
日本軍が征服した土地の至る所で、敵の人肉食が数多く行われ、内臓、ペニス、睾丸を揚げるという行為さえあった。
→真偽不明
彼(昭和天皇)は政治と軍事に精通していたため、国の政策策定に参加し、大本営の命令を野戦司令官や提督に発令しました。彼は、野蛮な日本の戦争戦略を形作る上で積極的な役割を果たしました。
→真偽不明
日本は1927年から1945年にかけて少なくとも3000万人の恐ろしい大量殺戮を犯し、18年かけて劣等民族を絶滅させた。
→過大。
国立太平洋戦争博物館は、日本が22617242人を虐殺したと報告し、ジェノサイド百科事典は少なくとも1500万人の中国人が日本のテロ作戦による爆撃、飢餓、病気で死亡したと指摘している。「中国は日本との戦争で連合国の中で最も高い代償を払った」「日本支配下のアジアは残虐行為の死体安置所だった」そして日本は支配下の人々を「獣のように扱った」。歴史家のマーティン・モーガンは、日本軍の支配下で都市全体が消滅し、集団墓地が作られたことを考えると、死者数は4000万人を超えるかもしれないとさえ示唆している。
→諸説あるが過大。
アジア太平洋戦争(1927年~1945年)中に日本軍によって殺害された人々(ほとんどが民間人、捕虜、さらには自国民)の大まかな内訳である。
中国: 2000万人(最小かつ控えめな数字)
インドネシア語: 400万人
ベトナム: 200万人
ベンガル飢饉:150万人フィリピン:100万人
韓国: 50万人
ビルマ・シャム鉄道: 345000人
マラヤ/シンガポール: 200000人
インド: 180000人
沖縄:15万人
サイパン: 16751人
テニアン島: 4000人
グアム: 2000人
合計: 29897751人
→過大なことや根拠なきことを含む
日本は性別や年齢に関係なく中国人を大量虐殺の対象とし、貧しく無防備で非日本人であるという理由以外には正当な理由もなく、彼らを犠牲者として処分した。
→根拠なし
第17章 日本が過去を記録し償うことで抱える問題
彼らの行動は、過去の犯罪行為をも再現している。完璧な類似性はないが、彼らの行動は、男性が女性を残忍に殴打し強姦した後、鼻を折られ、顔から血を流し、身体を犯された女性がそこに立っているのを見て、何も悪いことをしていないかのように振る舞う暴力的な犯罪現場に似ている。歴史上の犯罪を公然と検証し、認めることは、真の和解と理解のために不可欠であるが、大多数の日本人はそれを理解していないようだ。
→侮辱とも受け取れる
日本社会が、ある意味では、歴史書に真実が記されるのを阻止する陰謀を企てていることを示している。日本の役人や多くの歴史家は、組織的にすべての事実を隠蔽してきた。
→根拠なし
1932年と1937年から1940年にかけて日本が薩北、天津、上海、南京、蘭州、広州、重慶などに対してテロ爆撃を行った際に特に顕著でした。たとえば、重慶だけでも、日本は1937年から1940年にかけて200回の空襲を行い、1万2000人が死亡、数万人が負傷しました。そのほとんどは非戦闘員でした。敵国の軍需産業を麻痺させて最終的に戦争を終わらせることを目的としたアメリカの爆撃とは異なり、日本は爆撃作戦で意図的に民間人を標的とし、戦争を長引かせるような方法で民間人を利用しました。
→根拠なし
米国による日本への爆撃で何千人もの民間人が死亡したが、その戦略は常に軍需産業を麻痺させて戦争を終わらせることだった。日本の目標とは異なり、民間人を殺害することは決して意図されていなかった。
→詭弁では
歴史的正確性の欠如は日本の教育制度にまで及んでおり、真珠湾攻撃などの重要な出来事は誤って伝えられるか、完全に無視されている。
→根拠なし
彼は反証となる圧倒的な証拠があるにも関わらず、慰安婦が存在したことすら否定している。
→正当。慰安婦問題は発端となった本を書いた吉田清治氏が虚偽であったことを既に認めている。朝日新聞も誤報を認めている。慰安婦の存在を否定しない。公の関与を認めていない。
国際社会で真剣に受け止められるためには、日本は真実、説明責任、和解へのコミットメントを示し、過去の過ちを認め、近隣諸国との平和と協力に基づく未来に向けて積極的に取り組む必要があるが、これは安倍首相(戦後最長在任の首相)や他の政治家ができなかったことだ。
→RIGG氏の認識不足に過ぎない虚言。
祖父に関する犯罪歴に関する情報が明らかになれば、新藤氏にとって政治的に壊滅的な打撃となる可能性がある。
→妄想では。
2019年、新藤氏は私たちの研究に注目が集まることに不満を抱き、硫黄島アメリカ協会(IJAA)に暗に脅迫し、硫黄島を閉鎖するかもしれないと示唆するという不幸な事件を引き起こした。
→要事実確認
彼(新藤義孝氏)は歴史修正主義団体「日本会議」の一員として、日本の犯罪を歴史から消し去ることを目指しているからだ。
→侮辱では。
歴史書の改ざん、国家主義的な教育の推進、靖国神社への公式参拝の支持、国民に対する神道の国家主義的解釈の推進などを行っている。このロビー団体は、国が常備軍を復活させることを望んでいる。影響力のあるリーダーの一人である加瀬英明は、2022年に死去するまで、日本が君主制と帝国主義に戻ることを望んでいた。このロビー団体は、外国人排斥、女性蔑視、反近代主義、反自由主義、反民主主義の理念を支持している。ファシスト組織と呼ぶこともできる。
→事実誤認
日本はナチスの3倍もの人々を虐殺したにもかかわらず(ヒトラーは1170万人を殺害)、日本が支払った金額はわずかで、ドイツが支払った金額の1%をわずかに上回る程度である(ドイツの900億ドルに対して10億ドル)。
→事実誤認
日本は、堕落した神であり戦争犯罪者であった彼(昭和天皇)が、1989年1月7日に結腸癌で亡くなるまで、天皇の座に留まることを許した。長年、彼はのんびりとした生活を送り、しばしば戦後の時代にゴルフをし、戦時中の汚らしい過去をまったく忘れていた。
→冒涜
これらの出来事に参加した不誠実な裕仁天皇は、日本が行ったことに対する個人的な責任意識が全くなく、多くの命を奪った侵略戦争の罪を一度も認めなかった。
→冒涜
そして戦後の謝罪と賠償に関して言えば、韓国は日本による不十分な補償の矢面に立たされてきた。特に、韓国から来て戦争中に多大な苦しみを味わった何万人もの慰安婦に対する補償だ。
→事実誤認
次のオリンピック(LA)では、彼らを招待すべきではなく、日本製品、特に戦時中に日本を支援した企業の製品に対する規制を実施して、自由市場への参入を阻止すべきである。
→Missing the point(的外れ)
第18章 日本人による日本国民の大量殺人と強制自殺
第19章 万歳、切腹、自決、神風
日本軍の戦闘地域での死亡率は98% で、これは現代の戦争ではこれまでにない数字です。
→真偽不明(サイパン)
日本軍はアメリカ軍が来ることを知っていたので、
彼らは学校を閉鎖し、チャモラ人の男女、子供全員に24時間体制で防御を建設させた。
→真偽不明(グアム)
自爆攻撃に全力を注ぐ傾向は日本文化において際限がなく、日本にとって明らかに終わった戦争を長引かせるために、国民や若者を自殺行為で犠牲にすることもいとわなかった。しかし、敵の何人かを殺すためなら、自国の兵士や空軍兵を殺害することもいとわなかった。
→誤認の可能性
一部の部隊は飢えに苦しみ狂気に陥り、他の部隊の落伍者を狩り、その肉を食べた。一部の地域では帝国軍は人食い集団と化した。
→諸説あり、過大
山下は自分と部下をアメリカ軍に明け渡した。
「飢えと病気で部下が死ぬのを阻止するため」 このように分析されたこの最後の行動は、何万人もの部下を救った。栗林もこの選択肢を行使して自分と部下を不必要な死から救うこともできたが、それは彼のDNAにはなく、自分が下すべき道徳的決断を認識しなかったという彼の弱さを示している。
→誤認、山下大将の降伏は終戦による指令。栗林中将は終戦に至らず硫黄島陥落。
硫黄島での司令官、栗林忠道中将。残念ながら、彼は中国、特に第23軍参謀長として香港で行った恐ろしい戦争犯罪にも関与していた。1941年12月に彼が香港を占領してからわずか数か月の間に数万件の殺人と強姦が彼の承知の上で、そしておそらく全面的に許可されて起こった。
→真偽不明
彼は公式に性奴隷を拒否した。彼が中国で軍隊が性奴隷を使うことに反対したという記録はないので、硫黄島での「慰安婦」全体を認めなかったのは、単に十分な人数がいなかったからだろう。栗林は兵士たちに水と食料を与えたが、自分と部下のために性行為を行う女性を少人数残していたようだ。
→根拠なし
神道はまた、名誉ある死を遂げれば、彼ら自身が神となり、家族を永遠に守ることができるという信仰を強化した。要するに、この戦争は「聖戦」であった。日本の神話は、日本の兵士たちに後悔なく殺し、無謀に死ぬよう動機付けた。
→誤認
そのような行為、そのような死は名誉ある勇敢なものではなく、無駄で愚かなものでした。日本が自らに対して行った大量殺戮のこの側面はほとんど調査されていません。もう一度言いますが、日本人は一般的に不道徳な命令に従うのは得意でしたが、西洋の基準からすると道徳的な命令に従うことは得意ではありませんでした。特にアジア戦争や太平洋戦争中に自殺するように条件付けられた場合はそうです。
→意味不明。道徳の基準は世界共通ではない。
第20章 日本の国内外における犯罪に関する知識
広田は、南京について次のような報告書を個人的に作成していたにもかかわらず、事態が改善するかどうかを確かめることはなかった。日本軍はアッティラとフン族を彷彿とさせる行動をとった。少なくとも30万人の中国民間人が虐殺され、その多くは冷酷なものでした。
→真偽不明。アッティラ王とフン族とは中世ドイツの残忍行為の象徴
東条自身による直接の命令は、次の正確な言葉で伝えられた。「追撃は徹底的かつ容赦なく行う。捕虜や負傷した英国人とカナダ人の銃剣による刺殺、病院の看護婦の強姦と殺害、捕虜の拷問、溝の底まで血が流れるまで中国人の非戦闘員の斬首する」、これらすべての残虐行為は、東条が「外敵」を憎み、ドイツのシュレックリヒカイト理論に夢中になっていたことに由来する。
→真偽不明
裕仁天皇が、南京大虐殺だけでなく、アジア太平洋全域で神聖な名の下に行われていた残虐行為について知っていながら、何もしなかった。日本が中国と戦う際に優位に立っていて征服する勢いがあると思われた時に起こったすべてのことを黙認していた。それは天皇の堕落した精神を物語っている。彼がその行為を抑制するために上官と個人的に話をしたことがなかったことは、彼がそれを歓迎し、部下が罪のない人々に行っていることを容認していたことを示している。
→根拠なし
日本陸軍や海軍にも、帝国政府にも、裕仁天皇にも、兵士たちが行く先々で強姦や殺人を繰り返すのを抑制しようという道徳的決意はなかった。
→誤認
第21章 日本における犯罪者と死刑囚の顕彰
昭和天皇は亡くなる前に、彼の指揮下で残虐行為を行った者たちを称えるために靖国神社に頻繁に参拝していた。
→事実誤認
国民は彼(昭和天皇)に毎日祈りを捧げ、彼を神として崇めている。彼らは大量殺人犯を崇拝しているのだ。
→根拠なし
第22章 原爆と日本の大量殺戮の阻止
主に日本人の何百万人もの命を奪うことになるため、裕仁天皇が降伏を決断したのは日本にとって幸運な決断だった。したがって、2発の原子爆弾で殺された人々の数は、多くの点で日本が統治を通じてすでに行っていたことと比べれば、取るに足りないものだ。
→暴言
日本軍によって虐殺された3000万人のアジア人、数百万人の強姦被害者(女性、少女、少年を含む)、そして上海強姦、南京強姦、香港強姦、マラヤ・シンガポール強姦、フィリピン強姦、マニラ強姦、グアム強姦、広州強姦、北京強姦などとして知られる惨状についても認識されていない。
→真偽不明、諸説あり
これらすべての出来事 (アメリカの封鎖、原爆、ソ連の侵攻) は、裕仁天皇と他の最高指導者たちの民間人が反乱を起こして政府と天皇制を転覆するのではないかという恐怖をかき立てた。1945年の首相、米内光政海軍大将は当時、これが裕仁天皇が降伏を望んだ本当の理由であると主張した。
→真偽不明
裕仁天皇がさらに迅速に和平を訴えるきっかけとなり、「私は国内外の状況を真剣に検討した結果、戦争を続けることは国家の破滅と世界の流血と残虐行為の長期化を意味するに過ぎないとの結論に至りました。我々は耐え難いことに耐えなければならない時が来ました。」と述べた。
→誤認
広島の後でトルーマンが言った。「もし日本が今我々の条件を受け入れなければ、彼らはこの地球上でかつて見たこともないような破滅の雨を空から降らせることになるだろう」と。これは大統領の虚勢ではなかった。歴史家リチャード・フランクによれば、さらに1発の爆弾が、歴史家ジョン・トーランドによれば、さらに2発の爆弾がテニアン島で準備され、8月中旬から下旬までに日本に投下される予定だった。アメリカはまた、9月から毎月11万5000トンの焼夷弾を日本に投下する計画だった。
→無差別攻撃?
歴史家リチャード・フランクは、日本軍が太平洋諸島やアジアの土地を占領し続ける毎日、何万人もの民間人が彼らの「保護」の下で死んでいった(女性に対する強姦も続いていた!)と述べた。
→真偽不明
第23章 水陸両用戦争/海兵隊のフォルテがヒトラーのジェノサイドと日本のホロコーストを止めた
日本が帝国主義的な試みに乗り出し、特に中国全土を征服し、その国民を奴隷化し虐殺するという欲望が明らかになった。
→根拠なし
首相で将軍の東条は裁判で「裕仁は戦争の責任があった。なぜなら、彼は戦争を止めることができたのだから」と断言した。
→根拠なし
昭和天皇は部下に対し、ハーグ条約(1907年)、ケロッグ・ブリアン条約(1928年)、ジュネーブ条約(1929年)を遵守しないように命じた。この勅令により、天皇はすべての日本人に無謀で犯罪的な行動をとる許可を与え、兵士や水兵に邪悪で悪意のある行動を全権委任したのである。
→根拠なし
現代の日本人のほとんどが南京大虐殺を知らないという事実は、暗い歴史を認めようとしない日本のような社会の憂慮すべき傾向を示している。過去の犯罪を認めようとしないこの姿勢は、その再発防止の取り組みを妨げており、この問題は真剣な配慮と変革を必要としている。
→事実誤認
日本文化では、女性はしばしば劣った人間以下の存在とさえみなされ、考えや感情は完全に無視され、権利は想像すらされなかった。レイプ犯の子供時代は、無視と厳しい罰が交互に繰り返されることが常態化しており、ほとんどの日本の子供がそれを経験した。また、強姦犯は片親に育てられた可能性が高いが、父親の不在が一般的だったため、多くの日本人がこのような状況を経験した。日本人は絶望、暴力に特徴づけられる文化の中で育ち、身体的暴力が犯罪の原因になると信じられてきた。
→根拠なし
彼ら(日本軍兵士)は被害者を憎み、女性を屈辱を与え支配したいと望んでいる。彼らはしばしば異常で痛みを伴う性的要求をし、その多くは奇妙なファンタジーを演じているようだ。彼らはしばしば被害者を致命傷に至らしめる。日本人はこれを何百万人も行った。気がかりなことに、多くの将校は強姦が兵士の闘志を高めると信じ、そのような行為を奨励し容認していた。例えば、栗林中将は第32帝国軍の副司令官を務めていた間、強姦を容認していたようだ。
→根拠なし、侮辱
アジア太平洋戦争中の日本において、強姦は悪いことだという認識が一般的ではなかったことは非常に憂慮すべきことであり、野蛮で非倫理的な社会を反映している。
→事実無根
日本人は、犠牲者を辱めるために、強姦して死んだ女性の膣に小枝を突っ込んだり、舌を切り取ったり、耳を切り落としたり、無防備な捕虜の首を切ったり、女性の乳房を切り落としたり、生死を問わず捕虜の切断された睾丸やペニスを口に詰め込んだり、拷問や食用に死体を解体したりと、作戦地域全体で敵の死体を汚すことに飽きることはなかった。
→真偽不明
日本帝国軍では、殺人者のほぼ100%が四肢切断を行っていた。
→事実無根
罪のない人々を殺すだけでなく、彼らの体を玩具のように扱い、切り刻んだり、犯したり、戦利品として展示したり、嘲笑したりすることに喜びを感じるという日本人の傾向は、日本社会が生み出した集団犯罪を物語っており、最終的には日本人男性にとって一般的で正常な行動となった。
→事実無根
戦争の終わりに、虐げられた国民や昭和天皇の暴政の犠牲者たちが、それぞれの地域で日本に復讐しようとしたことは驚くべきことではない。日本の抑圧に苦しんだ一般人が、戦争の終わりに機会を捉えて日本陸軍や海軍の軍人、日本国民を殺害した例は数え切れないほどある。熊手や棍棒、素手で武装したこれらの人々は、かつての抑圧者たちに形勢が逆転したときに正義を求めた。満州の中国人農民であれ、インドネシアやボルネオの部族民であれ、フィリピンの敬虔なカトリック教徒の若者であれ、グアムの平和で愛情深く親切なチャモロ人のように日本人に対して報復を行うことに大きな満足感を覚えた。
→真偽不明
戦争が終わったときに彼ら(チャモロ人)が立ち上がって、手が届く日本人を全員殺したことは、日本人の行為に対する劇的な非難である。日本とその文化に対する憎悪は、今日でもまだ残っている。
→真偽不明
彼(栗林)は女性民間人全員を避難させたわけではないようだ。数え切れないほどの米海兵隊員や水兵の目撃者が、戦闘中に島で女性たちを発見し、これらの女性たちが将校たちの性的快楽のためにそこにいたと固く信じていた。栗林らはお気に入りの売春婦や慰安婦を連れ、日本への安全の為に日本本土への避難をさせなかった可能性が高い。
→真偽不明
かつての日本では、結婚生活における忠誠心はあまり重視されていませんでした。しかし、少なくとも妻たちは不倫相手を強姦したり虐殺したりはしていなかったので(不倫相手は結局日本人でした)、道徳観で言えば、浮気した妻たちの方が道徳的に正しい生活を送っていたのです。
→侮辱
栗林は他の多くの日本の指導者と同様に、戦争犯罪をおかすという暗い伝統を永続させた。彼の部下は捕虜を殺害し、朝鮮からの奴隷労働を利用し、自殺を確実にする命令に従い、女性を性的に暴行し、罪のない民間人を殺害した。
→諸説あり
ファシスト指導者のヒロヒトに武器を捨てさせ大量殺戮をやめさせた唯一のものは原爆だった。この爆弾がなければ、日本は支配下にある土地で大量の死者を出し続けただろう。
→侮辱
日本人が「二度としない」と言うとき、彼らが意味するのは、二度と戦争に負けたり、原爆を落とされたりしないということであり、二度と大量殺人や集団レイプをしないということではない。
→侮辱
少女たちは、合計で6000万人の命を奪った第二次世界大戦の終結に貢献した(その半数以上は日本(3000万人)とドイツ(1170万人)によって冷酷に虐殺された)。
→意味不明
女性に対する暴力は、イスラム原理主義やプーチンの軍の悪党が支配する地域で特に蔓延しており、日本帝国の多くの司令官が誇りに思うであろう。
→侮辱
皮肉なことに、私がこの作品を執筆する上で最も大きな争いの1つは、栗林の孫である「名誉ある」新藤本人との争いだった。彼は脅迫によってこの作品を抑圧しようとし、私が何を書いて何を書けないかを承認する権利を要求した。彼は、歴史は検閲されるべきではないことを理解できなかった。
→真偽不明
毛沢東はおそらく史上最大の虐殺者であり、裕仁、ヒトラー、スターリンを合わせた人数を超え、死者総数はおそらく7000万人にのぼる。
→諸説あり
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ホーム>政党・政治家>坂本 雅彦 (サカモト マサヒコ)>Bryan Mark Rigg著「日本のホロコースト」についての私見